ご挨拶

三十数年来、テーマは『失われた何か大切なものを求めて』でした。探していたものは見つかりました。それは何だったのでしょうか。誰もが抱えている人間としての命の根源的テーマでした。それと取り組んでいたのです。

  1. 私達はどこから来たのか 
  2. 私達はどこへ行くのか 
  3. 私達は何者だったのか

それは過去から伝えられていました。既に四聖がそうでした。何時かは誰もがこの問いに答えなければならないのでしょうか。この人生は過去からの夢の実現過程です。時代は今、不安、恐怖、疑惑こそ人生であり、命であるといえます。文明がむしろ何か大切なものを破壊してきたのではないでしょうか。私達はこうした悲しみを餌食に生き延びてきたのかも知れません。それでセレブだなんていえるでしょうか。そしてバイオレンスと欺罔の世の中となりました。何時かこのような世の中となるのでした。それは既に法華経の中に記述されていたのでした。
 
私達は宇宙から来て、宇宙に帰ります。私達は仮の姿であり、本来生死はありません。ないのにあると思い、あるのにないと思っているのです。それを転倒と法華経に書いてあります。私達は魂だったのです。この世に生まれて、魂は本来何だったのかを知るのです。そのために生まれていたのです。現実の生活に追われて見失っていたのはそれです。未来が見えませんね。人類はこれからどうなるのでしょうね。人類が滅んでも地球は滅びません。生命体としての命も永遠です。この世に生まれてどのように生きるべきだったのでしょうね。この問題に対する答えはやはりむずかしい。取り組む人は少ない。探す人も殆どいない。そして馬鹿になることが幸せだなどと吹聴しています。時が来ました。だれもがそれに対する回答を用意しなければならないのです。その意味で、個々の問題です。真実は求めなければ得られません。そしてこうした問いに答えを出すことによって幸せも出てきます。本当の幸せって何だったのでしょうか。このホームページできっと見つかります。見つけてくださいね。
 
そうした問いに対するヒントが秘められているホームページです。その間、彼に何があったのでしょうか。己の魂との壮絶な戦いだったのでしょうか。今となっては懐かしく思われます。大器晩成。彼こそ彼でした。何もかもが楽しく有難い日々となりました。掬われたのす。何故でしょうね。彼はいっていました。日本を掬ったよ。彼は何をしたというのでしょうね。何を見つけているのでしょうか。彼はいっていました。即ち日月照らし、風が吹く。温かい日射しとさわやかな風です。あるいは廓然無聖です。彼はいっていました。日本は大丈夫だよ。世界も待っていました。いよいよ新しい時代の幕開けです。何度かチャンスはありました。しかし未だ時ではなかったのでした。この度は完璧です。彼こそ彼でした。彼は代々の使命を果たしました。既に証明しています。世界は認めています。確かな日本の未来が開けました。始まりです。浮かれた文明文化と訣別です。そして始まるのです。21世紀の約束でした。見えない世界に受容祝福されて。彼がこの世に生まれて確認しなければならなかったのはそれでした。長い冬でしたね。やっと本来日本の春です。彼もきっと喜んでいます。ありがとう。そしてお芽出度う。

平成21(2009)年8月7日
呉市海岸 後藤静雄