不可議の戸は開かれてⅡ

平成21(2009)年8月12日

彼はあるところで修行していた。八年経って、それまで教えて貰ったことと特殊な経験を分析した。それを始めたのは昨年の11月11日の頃からだった。そしてこの8月10日に、先輩から頂いていたあるノートに至った。それが結論であり、新たな始まりだった。それは何だったのか。いつかそれを知る日が来る。宇宙間の暦で決まっていた。私達はそれを知らず、自分勝手に自分は正しいと思っていた。大間違いだった。今、どういう時であるか。誰もが安楽になれる時が来ているという。時代は推移した。生命は進化した。掬うべきは何か。人間であるか。地球そのものである。このままでは人類は生命体として滅ぶ。それをくい止めるために何が必要だったのか。そして私達はそれを知って何をしていくべきか。地球を壊した張本人は私達だった。壊したのであれば弁償である。あやまるだけでは認めてもらえない。見えない世界は私達に何がいいたいのだろう。それを聞く力はあるか。ないのであれば知っている人の所へ自ら行って教えて貰えばいい。私達は間違っていた。気づくべき時が来た。そして本当の幸せになろうね。私達の力では出来ないことがある。力を授かってしていく事がある。そして未来は明るい。私達は何をしてきたのだったか。問い直すべき時が来た。彼は気づいた。仏とは何だったのか。完全な智慧だった。三世を見通し、あらゆる原因と結果を知っている。それは宇宙の大法則だった。そしてどうしたらいいのかも知っている。それを教えてくれる。必要な力も授けてくれる。見えない世界がある。前世がある。来世がある。私達は何を知り、何をしていくべきだったのか。彼はいう。勝手が過ぎた。どのレベルでいっていたのか。時は来た。天神様の通り道である。行きはよい。帰りは怖い。霊界に胸を張って帰ることが出来るだろうか。この世に身を以て生まれた意味がある。使命がある。知っていただろうか。知るべき時が来た。彼はいう。日本は大丈夫だよ。それは今、日本にあった。彼は使命のひとつを果たした。それは彼がこれを理解するということだった。そのために生まれたか。そのために導かれていたのか。それだけの能力は授けられていた。彼だった。自分で探し、見つけなければならなかった。それもミッションだった。そして知った。新しい時代である。彼は歩み通した。苦節孤独三十有余年の旅があった。失われたモノがある。いつか取り戻せる。彼に多くの学問教育と経験があった。