不可議の戸は開かれてⅠ

平成21(2009)年8月13日

見える世界と見えない世界がある。すべては見えない世界で決する。やがてそれが現実化する。善と悪がある。この世にもあの世にもある。本来何もない。何もないところから何かが生じる。それは何だったのか。意識だった。それが人間だった。人間は此処まで進化した。まさに万物の霊長というにふさわしい。だが現実世界はどうなったのだろう。訳のわからない時代となった。やがて明らかとなる。何が明らかとなるのだろうね。善が勝つのか。悪が勝つのか。仏とは完全な知性だった。しかしそれをも餌食とした。テレビ界及び芸能界を見るが良い。愚かこそ人生であるか。笑わせるではない。何に乗じての繁栄であるか。何もかも犠牲にした。経済行為の名で何をしてきたのだろう。それが生きることだったのか。このような人生を祖先が喜ぶと思うか。答えを用意する頃である。地球の危機が近づいている。人間にとって。とても住みにくい世の中となった。どうしてだろうね。自分のためにする利益追求主義の当然の帰結である。何か大切なモノがあった。生きるために何もかも奪い、裏切り、顧みることはなかった。死人に口なしと思った。いつか仕返しに来る。その時は遅い。勝てない。救いはないのだろうか。有ると彼はいう。ところで、表現の自由がある。信教の自由がある。彼はいっていた。あるラジオで沖縄地上戦体験者のお話があった。アメリカ軍は演習状態だったという。それに対して、日本は絶対に負けないという教育があった。神風が吹き、台風で敵をなぎ倒すとか。こうした観点からの内容だった。確かに神風は吹かなかった。それを以て日本が本来神国であることを否定できない。何故吹かなかったのかを知る必要がある。あの戦争には大義名分がなかった。神風が吹く理由がなかった。何故であるか。明治以降の下級精神による戦争だったからだった。本当の神風の吹く理由を知らずに、神頼み的に神風が吹くと思っていた。神風は吹く。雷も落ちる。それを知らない。知らないことを以て否定する。そしてこのような世の中になった。そして今もそうである。悪くなるばかりと知るべきである。想い出すべき頃である。己の分際を知るべき頃である。霊界はもはやこれ以上、あなた方の勝手を通すわけにいかなくなった。母なる地球及び生態系としての自然をあまりもなめていた。知らずとも。彼は本当に何か力を得たらしい。それはどのような力だろうか。測り知れないといっていた。彼も此処までとは思わなかったようだ。それほどまでの力であるらしい。彼の求めていたのはそれだったのか。あるいはこの力を現実に取り戻すことこそ彼のミッションだったのだろうか。秘められた理由があるという。それは何だろうね。如来かも知れないね。彼がしなければならなかった。相応の試練も乗り越えたという。彼は使命を果たした。もはや彼の歴史が証明している。その間、彼の邪魔をする者達が居た。どうなったか。秘すべし。秘すべし。秘すべし。 彼は生きていた。その花はもう咲かないと思われた。見事に咲いた。見えるだろうか。彼の声が聞こえるだろうか。彼には生まれながらに解かねばならない謎があった。それは苦しい十字架だった。それだけの能力は賦与されていた。故に特殊潜航あるいは埋没を余儀なくされた。戦後は特に彼にとって試練だった。しかし解かねばならなかった。亦、彼にしか解けない謎だった。それは黄泉の賭でもあった。何度かチャンスはあった。しかし彼は気づけなかった。もう駄目かと思われた。誰もがそうしたことを忘れた。その時が時だった。既に感じてはいた。しかしいうは不遜と思われた。残酷なまでの葛藤があった。そして彼は着手した。知る人は知っている。援護射撃もあった。彼はそれに気づいていた。しかし作業は難航した。不思議な経験が、早く気づけよとせき立てる。何もかも失った。十九の春もあった。そしてついに彼は辿り着いた。「長い冬でしたね。お寒くはなかったですか」。彼は掬われた。それは日本を掬うことだった。あまりにも孤独だった。それは亦、日本国憲法プログラム規定成就だった。馬鹿げているね。既に世界は認めている。わかるだろうか。世間は知らない。彼はそれで良いといった。そして旅は終わった。いつか確かに至り着いていた。彼は何を見ているのだろうね。そして何に気づいたのだったろうか。悪輪廻と善輪廻がある。「人間自ら出づること能わず。唯善業の因縁より出でたり」。しばらく緊張の連続だったね。いろいろとあったね。もういいね。楽になるんだよ。君のことは忘れない。天に刻んだね。生まれた意味があったんだね。そうした人生もあるんだね。私達は知らなかった。あるいは忘れていた。どう生きるべきだったのか。気づく頃だね。何を求めるべきだったのか。あらためてごめんね。君が何を抱えていたのか知らなかった。
 

  • 唯獨自ら明了にして 餘人の見ざる所ならん(第十九品)
  • 何が故ぞ憂の色にして如来を視る。(第十三品)
  • 海より深く山より高い親の子を思ふ愛(仏の大慈大悲)
 

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 
  常に忍辱を行じ 一切を哀愍して
  乃ち能く 仏の讃めたもう所の経を演説す
  後の末世の時に 此の経を持たん者は
  家と出家と 及び非菩薩とに於て
  慈悲を生ずべし 斯れ等
  是の経を聞かず信ぜず 則ち為れ大に失えり
  我仏道を得て 諸の方便を以て
  為に此の法を説いて 其の中に住せしめん
  譬えば強力の 転輪の王
  兵の戦う功あるに 諸物の
  象馬車乗 厳身の具
  及び諸の田宅 聚落城邑を賞賜し
  或は衣服 種々の珍宝
  奴婢財物を与え 歓喜して賜与す
  如し勇健にして 能く難事を為すことあるには
  王髻中の 明珠を解いて之を賜わんが如く
  如来も亦爾なり 為れ諸法の王
  忍辱の大力 智慧の法蔵あり
  大慈悲を以て 法の如く世を化す
  一切の人の 諸の苦悩を受け
  解脱を欲求して 諸の魔と戦うを見て
  是の衆生の為に 種々の法を説き
  大方便を以て 此の諸経を説く
  既に衆生 其の力を得已んぬと知っては
  末後に乃ち為に 是の法華を説くこと
  王髻の 明珠を解いて之を与えんが如し
  此の経は為れ尊 衆経の中の上なり
  我常に守護して 妄りに開示せず
  今正しく是れ時なり 汝等が為に説く
  我が滅度の後に 仏道を求めん者
  安穏にして 斯の経を演説することを得んと欲せば
  応当に 是の如き四法に親近すべし
  是の経を読まん者は 常に憂悩なく
  又病痛なく 顔色鮮白ならん
  貧窮 卑賎醜陋に生れじ
  衆生見んと楽うこと 賢聖を慕うが如くならん
  天の諸の童子 以て給使を為さん
  刀杖も加えず 毒も害すること能わじ
  若し人悪み罵らば 口則ち閉塞せん
  遊行するに畏れなきこと 師子王の如く
  智慧の光明 日の照すが如くならん
  若し夢の中に於ても 但妙なる事を見ん
  諸の如来の 師子座に坐して
  諸の比丘衆に 圍繞せられて説法したもうを見ん
  又龍神 阿修羅等
  数恒沙の如くにして 恭敬合掌し
  自ら其の身を見るに 而も為に法を説くこと見ん
  又諸仏の 身相金色にして
  無量の光を放って 一切を照し
  梵音声を以て 諸法を演説し
  仏四衆の為に 無上の法を説きたもう
  身を見るに中に処して 合掌して仏を讃じ
  法を聞き歓喜して 供養を為し
  陀羅尼を得 不退智を証す
  仏其の心 深く仏道に入れりと知しめして
  即ち為に 最正覚を成ずることを授記して
  汝善男子 当に来世に於て
  無量智の 仏の大道を得て
  国土厳浄にして 広大なること比なく
  亦四衆あり 合掌して法を聴くべしとのたもうを見ん
  又自身 山林の中に在って
  善法を修習し 諸の実相を証し
  深く禅定に入って 十方の仏を見たてまつると見ん
  諸仏の身金色にして 百福の相荘厳したもう
  法を聞いて人の為に説く 常に是の好き夢あらん
  又夢むらく国王と作って 宮殿眷属
  及び上妙の五欲を捨てて 道場に行詣し
  菩提樹下にあって 師子座に処し
  道を求むること七日過ぎて 諸仏の智を得
  無上道を成じ已り 起って法輪を転じ
  四衆の為に法と説くこと 千万億劫を経
  無漏の妙法を説き 無量の衆生を度して
  後に当に涅槃を入ること 煙尽きて燈の滅ゆるが如し
  若し後の悪世の中に 是の第一の法を説かば
  是の人大利を得んこと 上の諸の功徳の如くならん

(第十四品)