私的宇宙生命論

●寒い冬、あたたかいのがごちそうと、さりげなく言う君の、いくつもの季節を経りし故のこと。かつて日本はやさしさに向かって咲く花のようであった、と辻邦夫が書いていた。心の周波数が、やさしさで共鳴するとき、幸せな世界が、昼下がりの、のどかな、おだやかな、たおやかな、さざ波の上の光の子たちの、舞う水面にうつる、それはある日あの時のあの海に、青さと浜の、寄せる波音、そしてremembrance (That's happy days.)。

●仲良くすること、楽しくすること、幸せであること、すべて、気持ちの問題だった。昔の物語に書いてあったように。21世紀は、ハードからソフトへ、すべてが移行していく。正直さでいることで、神様からも、仏様からも、諸精霊様からも、心から祝福される時代でありますように。魂としてのDNAが進化して、清浄さの故の箱船に、みんな乗れるといい、と思う。きっと美しくなれるから。

●21世紀に乾杯!何時の世も、時代は苦しんできました。そして時代はここまで辿り着きました。大切なのは、正直者の頭に神は宿る、と昔より言われてきたことでした。そして本来の幸せの実現の時を迎えたのです。これが新しい21世紀のドリーム。実現させたいですね。咲かせてみたいですね。本当の個人主義の時代です。それぞれの夢、自分の思いを実現し、幸せになれる時代の到来です。どんなことも、古来の智慧を含む人間の英知で解決してゆける時代です。人類はここまで進化したのですね。新しい時代を作ることができるのです。かぎりなく希望があって、それは日々を大切にし、よく考えて工夫することで、個々の幸せを手にすることができるという、そうした時代を迎えました。【2005/05/20】

●21世紀、私的宇宙生命論 :21世紀は魂の時代である。或いは心の時代と言われて久しい。さて、人類も進化した。地球も進化した。生命も進化している。魂のことがやっと庶民レベルで語ることができる時代が来た。それが21世紀の意味である。かつて、仏陀、キリスト、ソクラテス、孔子が語っていたことである。ところで、魚は水を出て生きることはできない。同じく、人は地球を出て棲むことはできない。かつて世界は地中海であった。今世界は地球である。現代世界の始まりは大航海時代と重商主義。ペリーが来て日本もその波に飲み込まれた。それは或る意味で洋流の変(楊柳の辺)と言える。しかし、日本の歴史は西洋より古い。始まりがあれば終わりがある。西洋の没落が唱えられたのは何時だったか。19世紀末の腐敗がここまで続いた。

反省すべきは何か。本来清浄を教えるために仏は常々存在する。さて、閻魔帳はアカシックレコード。人間の或いは生命の犯した罪はすべて記帳されている。しかし反省すれば赦して貰える。人生はそうした過去を書き換えるためにある、とも言える。それが懺悔であり、修業である。宇宙の始まり或いはそれ以前からの生命の過程がある。生命は清浄を目指して旅をしている。鮭がやがて生まれ故郷を目指して清浄な上流へ遡上するように。地球にとって人類などどうでもいい。恐竜が滅んだように人類だって滅ぶ。何が大切か。魂である。人間は魂の仮体にすぎない。今地球のバランスを壊している生命体は唯人間の意識と行為である。人間も岩石も物質としては同レベルである。還元すれば元素である。生命体としての未来は今で決まる。

人類の未来は今の人類の意志と行為で決まる。それが因果である。で、どうするか。何が大切か。人間レベルの分際を認めることである。本体は魂と認識することである。そして神仏としか言いようのない存在に対する畏敬の念を取り戻すことである。祖先が子孫を守る。祖先を大切にすることである。何時までも無知でいても仕方ない、と知ることである。そして、これ(神仏との邂逅)こそ人類の夢であったその夢を実現することである。本当の生命体としての生きる意味をここに見いだすことである。宇宙は大自然であり、魂である。これが21世紀の三位一体である。護念する者は護念される。衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も、我がこの土は安穏なり、という仏の約束を事実として享受することである。それ以外はあらゆる文化現象が虚妄である。と。