価値観の多様性について(結論)

2011-12-10

  • 価値観の多様性を認めることで、例えばテレビ界及び漫画界の価値観が一世を風靡してしまった。それは価値観の多様性の一つに過ぎなかった。しかしそれが成功あるいは幸せのための価値観として子どもたち及び社会一般に対して錯覚あるいは勘違いせしめたのである。馬鹿になることが幸せであるとか、不倫は文化であるとか、日本男子はこれで良いというのがそれだった。面白ければ良いとするお笑いバライエティもそうだった。本来価値観の多様性を認めるということはそうではなかった。それぞれ固有のものであり、それを認めることだったのである。つまり、みんな違っていていいということだった。それぞれの個性を認めることだった。しかし、それを見失ってしまった。そして個々の自信を喪失していたのである。それでは自己有用性は描けなかった。自分は自分で良い。取り戻すべきは何だったのか。見直すべきは何か。明らかとなった。自尊感情が芽生えて自己実現への模索が始まる。自己実現が幸せの形だった。何をしても良い。その前に、生理的ニーズ、安全、帰属=愛がある。私たちは勘違いがあった。自分は正しいと思っていた。しかし誰もが間違っていた。カルバン以降自己利益追及重商主義もそうだった。親も教師も大反省の頃となった。浮かれた時代を終わって新しい時代を始めるべき時である。何事も方法がある。原因と結果を知って選択する自由がある。結論である。