【やさしさへ】
2008年08月31日 16時32分16秒
このように此処まで辿り着いて、思い知らされるのでした。何を思い知るところとなったのでしょうか。それはこれからが始まりだという事でした。つまり、まだまだ終わってはいないのです。やっとスタートラインに来たのです。見えない世界はすべて知っているのです。そして導きます。それぞれの段階に於いて。それが疑えなくなりました。このようにして段階は進むのでしょうか。かなりのところまでは来たようです。しかし思い違いしていたのは、彼自身だったのでした。いよいよ、本当の道が見えてきたのですね。今からそれを歩むのですね。理論は正しいようです。理論だけでは解決しないものがあります。画餅ということもありますね。しかし何もかも失って、彼は意気揚々としているのです。何故でしょうか。この道が正しい事を知っているからです。思いあがっていたのは彼でした。時代は進化しています。今求められているのは何でしょうか。やさしさですね。もう、殺伐としたものは淘汰されます。愛と平和の価値が見出されたのです。そして人類は世界的規模でそちらを目指すのです。そして皆が幸せになる事を目指すのです。道は険しいですね。しかしゴールが見えています。仏の慈悲心がこれから手にはいるのでしょうか。或いは柔和忍辱の実践です。仏を得るという事は絶対の愛です。つまり一分の隙もないのです。人間だからという言い訳も通りません。その様に思われて来ました。新たな旅です。或いは課題です。いよいよ彼の本当に求めていたものへ。これまでの事は一切化城だったのですね。真実の城が見えているのでしょうか。誰もまだ見た事のない世界が待っているのでしょうか。美しい風景はありました。黄泉の守護もありました。それも指標或いは道標だったのですね。本当の幸せは近いようです。いよいよ、最終段階でしょうか。それは理論から実践へ。彼は思い知らされたのでした。何を思い知らされたのでしょうか。見えない世界の存在と導きです。それは一切言い訳の効かない世界です。絶対の幸せの世界です。至れるでしょうか。この道を探していたのかも知れません。此処へ至るためのこれまでだったようです。彼はいっていました。仏を前に申し訳ない事でした。思いあがっていました。まだまだ彼は悪いところがあるのでした。それは何だったのでしょうか。貪る心、瞋る心、本当の仏の心を知らなかった心。あやまるしかないですね。それしかない。何時か至れるでしょうか。新たな始まりです。彼が一番悪かったのかも知れません。これよりその旅が始まります。仏子或いは菩薩としての道です。それはあるのでした。既にそこまでは辿り着いていたのでした。そして今、その取り組みに於いて誠意が足りなかった事を知るのです。それが何を意味しているか。これからその答えを出さなければならないのですね。そして全てに感謝しています。自分以外全て、導きでした。それに気づけない自分がいたのです。仏さんはいらっしゃいます。その教えはあります。これまでどの教えでも救われませんでしたね。時は来ました。救われる時です。それが21世紀だったのです。この道を歩みませんか。間違いない道です。それだけを確認したかのようなこの八年でした。もはや疑いはないのです。やさしさへ向けて。時代はそのように動いています。それがノアの箱船です。それを知るために此処まで来たのでしょうか。申し訳ない事でした。自分自身が身勝手でした。誰もが幸せを求めているのです。悪人正機説。仏さんから見れば、善人も悪人もありません。皆、可愛いのです。心からそう思えるようになりました。有り難く存じます。何もかも思うようにならない自分がありました。その種は自分が蒔いていたのです。与えられた知性で何をしてきたのでしょうか。誰かの幸せのために使ったでしょうか。誰かを苦しめていなかったでしょうか。申し訳なかったですね。そしてやがて知るのです。何を知るのでしょうか。仏を信じて仏に随う事で幸せです。それ以外にない。その意味で自力本願であり、他力本願です。信じるのは自分です。これが難しいですね。信じた者を安楽に守護するのは仏です。思うようにならないのも当然ですね。仏の意思に反していました。それが人間だったのです。そしてここまで不幸になりました。この世に生まれて誰もが幸せになりたいと思っています。仏は導きます。間違えば痛い目に遭います。科学の法則通りです。どうしたら間違わずに生きてゆけるのでしょうか。仏の教えに随う事です。それはあります。その道を歩むしかなかったのです。それが庶民に開放されました。良かったですね。故に未来は明るいのです。これほどの道です。そう容易くは解りませんでした。今初めて、解ったような気がします。全てにやさしさを込めて。やさしさに於いてやさしさを裏切っていました。嘘がありました。それを悔い改めて、本当のやさしさへ。


【愛する人との食卓】
2008年08月22日 10時13分45秒
この世とは何だったのか。どうして生まれていたのだったか。この人生は何だったのか。何を求めていたのか。本当の幸せとは何だったか。知る頃となった。真実の教えはある。真実のビジネスもある。それも見つかった。しかし凡そ世の常識を超えている。なかなか聞いてもらえない自分がある。これからの課題である。信じて貰えるに足りる自分であるのかどうか。その辺りを見直す必要があるだろう。代償は大きかった。人生と青春は失われたかと思われた。十九の春はそれほどの津波だった。何もかも失った。亡霊のような人生だった。まるで倩女離魂である。しかしどんな悲しみにもそれと同等か或いはそれ以上の喜びが宿されている。救いはあるよ。失ったものが大きければ、得るものも大きい。寄せる波と引く波である。人間である限り、悪である。日々不善を念ずる。放逸の人生がある。悪から善に切り替わる事は出来ないものなのだろうか。誰もが切り替わる事が出来るなら、切り替わりたいと思う。しかしその方法が解らない。無理もない。探そうともしていない。そして腐敗堕落が人生だと思う。自分の考えが正しいと思う。だが、真実の教えがある。それに触れる事で何か感じる。そして今のままでは救いがない事を知る。そうしたものだった。何が真実で、何が善だったのか。それは何処にあるのか。探すしかない。そしてそれを伝える人が現れたなら、素直に耳随う事だ。何時かそれはやってくる。聖者が町にやってくる。普通の人では至れない。どんな人間も人間である限り限界がある。しかしそれをも探し求め、確かめ、経験し、信じるに至る人もある。愚かでは至れない。人類は本来野蛮を目指しているのではない。限りなく向上したいと思っている。それが人間だった。そして至ったのかも知れない。精神的な世界を彷徨った。見えない世界を確認した。見るべきは見た。知るべきは知った。学ぶべきは学んだ。これより実践段階に入らねばならないのだろう。見える世界と見えない世界で実相である。終わりは終わりではなく、亦始まりである。これが仏さんの説く第一義空だった。これを知れば、この世で凡そ悪は為せない。悪とは唯自己利益追求である。つまり、他を犠牲にして顧みない。欺罔を当然とする商人根性がそれだ。日本も行政を含めてそれに染まってしまった。人間とは悲しいね。そして教えには真実の教えと方便の教えがある。前者には善の結果がある。後者にはない。善は仏さんの所にしかない。これまでの教えは方便だった。真実の教えが現れるには時を要した。そしてその時が来た。第一義空より始まって、やがて芽が出て葉が出て花が咲いて実と成る。実となってはじめてその種を知る。自分とは何だったのか。日本の基としての自覚が来る事もある。誰もがその可能性を秘めている。それが一切衆生悉有仏性。ところで、第一義空から始まるとしても、そしてそれは既に生まれた時には前世から始まっていたとしても、それが成長していく過程で、だんだんと様々な属性と自らの行いで悪に染まっていく。そしてやがて不可議となる。その時は議論しても仕方ない状態となる。それが世の大人の姿だ。自分が正しいと思う。教育が届かない。犯罪を犯す者に対して処罰で臨むしかなくなる。自分が正しいと思っているのである。その傾向が早まった。今、子ども達が既に不可議に陥っている。学級崩壊などがそれである。誰が悪いのでもない。お笑いが悪いのでもない。そういう時代である。そしてどうなるか。やがて終わりが来る。そして亦始まる。自然の摂理だよ。その時にどのような自分だったのか。それからどのような自分になりたいのか。潮時だよ。一つの時代が終わろうとしている。それでカオスとなる。それが空だ。何をいっても無駄に見える。しかしそうでもない。種がある。未来に蒔くべき種はどれか。自分は未来に生きる事が出来るだろうか。試されている。さて、これからいよいよ人生の春となった。種まきの頃である。長い冬だった。冬来たりなば春遠からじ。必ず春は来る。生まれた限りは。それぞれの人生がある。安楽な日々が待っている。幸せはある。何を代償とするか。支払った代償が大きければそれだけ得るものが大きくて当然である。真実は何か。知る頃となった。本来どのように生きるべきだったのか。既に処したる人生がある。過去がある。前世がある。代々の祖先がある。そして今がある。人間としての思い上がりが裁かれる時節となった。未来は明るい。明るい未来建設の時である。新しい時代の開始である。新々大陸発見。それは21世紀の約束、笑顔とやさしさで全てが解決する心の大地。愛と平和の地球である。愛とは何だったのか。全ての動植物及び岩石も喜ぶ宇宙の周波数。彼には才能もあった。能力もあった。誰もが認めるところだった。しかし埋没を余儀なくされた。十九の春はそれほどの悲劇だった。全て失ったと思われた。しかしそうでもなかった。人生或いは生命としての不思議である。彼は諦めていなかった。何を諦めていなかったのだろうね。既に記された。精査されるが良い。彼の自覚は何だったのか。象牙の塔の中にいたのでは至れない。世界を旅する事だけが旅ではない。彼の旅は何処だったのか。そこよりこれほど明確に帰って来た者は殆どいない。何を見つけているのだろうね。彼の話に耳を傾けては如何か。決して裏切りはしない。いえば不遜だといっていた。知性の勝利だよといっていた。自分が変わる事で世界が変わる。悪いのは全て自分だった。彼は何を背負って生まれていたのだろうね。彼の宿命があった。彼でなければ解けない謎があった。その使命は果たしたという。それだけの能力は賦与されていた。膨大な勉学学習もあった。そして彼はいう。日本は大丈夫だよ。良かったね。解決したようだ。日々証明がある。彼は孤独だった。何故だったのだろうね。気づけば彼の故郷は失われていた。彼の眷属はいなかった。その理由を探した。そして見つけたのだった。それが何であったのかはここでは割愛する。そして彼は飛び込んだ。そして救われた。どういうことだろうね。既に何処かに記した。彼は元気だよ。彼は見捨てられた。彼を理解する者はいなかった。申し訳なかったね。彼こそ秘密だった。どういうことだろうね。窓の外は雨が降っている。井伏鱒二氏の『山椒魚』がある。山椒魚は特別天然記念物であり、広島県に生息する。作品の中で、最後の行は削られている。それは何だったのか。「もう恨んでいないよ」。般若心経の最後の所にギャーティ、ギャーティ……というのがある。呪といわれている。翻訳が出来ないので、音のままである。敢えてその意味は何だったのか。それは、いけり、いけり、われはいけり、辿り着いたようだ。此処がゴールだった。彼は今、全てに感謝している。これからどのように生きていくべきか。我、かくのごとく聞きき。そして歓喜奉行しきき。救いとはそれだった。福音だね。この世界は素晴らしい。彼の探していた道は開かれた。世界が待っていた。黄泉も喜んでいる。誰もが幸せになれる。なっていい。幸せの要件は確定した。権力ではない。お金でもない。地位でも名誉でもない。それは何か。探すと良いよ。彼はいった。広島に錦を飾ったよ。広島こそ秘密だった。アメリカはそれを探り当てた。しかしその真実は隠されていた。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。何の時を待ったのだったか。属性のない歴史学者の解釈の及ぶところではない。自覚の時を待った。そして征夷大将軍となった。大義名分、神風の吹く。黄泉の受容祝福守護するところとなる。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。旧約聖書の目的は庶民の解放だった。それは奴隷解放及び女性解放の次に来る。愚かさと野蛮に用はない。勝負にならない。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本秘密の種である。それは遺されていた。その謎を解くには知性を要する。孤独な長い年月の作業を要する。数学の難問を解くに等しい。自分を信じて解き進む。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。その花が咲いた。咲けばいい。咲くまでが試練或いは青春である。世間は自分たちが火宅の中にいる事を知らない。それが現実であり、人生だと思っている。救いがあり、安楽な世界があるのにないと思っている。知らない事を以て否定する。自分の考えが正しいと思っている。子どもの頃の成績の差は何だったのか。社会に出ればそのようなものは関係ないという。誰が言い始めたのか。責任はとって頂く。それでどのような社会となったのか。巧妙な支配である。何時までもそれは通らない。カンニングを要領として閥を成した方々は帰るがいい。嘘及び暴力は無価値である。世の財閥及びセレブ成金スノッブ諸君、方法に於いて悔いはないか。人生に於いて不安はないか。人生に於いてゴールは何だったか。廓然無聖、一切の憂いがない。裏切り者はゆるしはしない。軽薄の世は終わった。宣言である。これよりテレビタレントのカラーも流行の色も総替えである。本来日本の感性の色がある。音がある。本来知性の受忍限度を超えた。勝手が過ぎた。黙っている事を理由にあまりにも配慮がなかった。代々祖師は「一」を挙した。それは何を意味していたか。或いは伝えていたか。知る頃となった。本来日本は卑弥呼の系譜である。空海もその本質はシャーマンだった。故にその属性のない最澄には空海の密教が解らなかった。何を以て金剛杵とするか。それは打ち出の小槌であり、アラジンの魔法のランプである。或いは如意棒である。それを以て「一」を挙す。するとどうなるか。黄泉が動く。これが古来大和の秘密である。即ち神風も吹く。暫く吹かなかったね。何故だろうね。黄泉の受容祝福守護がなかった。即ち大義名分がなかった。明治以降の歴史の示すところである。祖先が認めていなかった。無理もない。裏切っていたのだ。本来日本はどういう國だったのか。思い出す頃となった。詳細及び全体の趣旨は何処かに既に記した。証明も済んでいる。故に黄泉も喜んでいる。愚かな支配は終わった。精神及び知性の秩序の回復である。日本は歴史が古い。此処400年来の西洋パラダイムにこのまま飲み込まれて腐敗し、共に沈没するわけにはいかない。腐敗も必要であった。故に真実が明らかとなった。これよりどう生きるべきか。時代の基は定まった。さて、この力を得て征夷大将軍である。刃向かえはしない。黄泉が守護している。黄泉も待っていた。一切大衆が救われる時が来た。真実の仏法も顕説されている。仏の宣言はビッグバンに等しい。宇宙がその方向に動き始める。示し申すとはこれをいう。即ち、大威神力である。知らなかったね。しかし真実である。知らずに勝手したね。救いはある。赦しもある。どこにあるのか。どうすればいいのか。探すしかない。如来は如来でなければ解らない。あやまるべきだよ。お金は大切だね。命を削った代価といえる。そして日々食べている。それは他の命を頂いている。まともに考えると拒食症になってしまうほどの残酷な行為を平然と行っている。食べる事自体、罪である。しかし己の生命を維持する限りに於いてゆるされているのだろう。生命体として目指すものがあるからである。限りなく進化する。何処へ向かっているのか。貪る事はゆるされていない。殺戮などもってのほかである。誰もが生きたいと思っている。殺戮の根拠は何処にもない。仏の説く大宇宙の法則に因果応報という事がある。認めたくないね。しかし法則である。自分がした事及び思った事は自分の身と心に帰ってくる。前世がある。過去の罪が今、帰ってくる。だから思うようにならない。本来日本はそれを知っていた。ところが今、テレビ界は何をしてるのだ。グルメと称して何を一般化したのか。世のセレブ諸君の罪は重い。背後に犠牲がある。それを幸せとはいわせない。喜んで命を捧げる事もある。喜んで食べられる事もある。どういう時であるか。意味を知り、愛されている時である。因縁の解決はある。その時、幸せである。これからどう生きるべきか。幸せに生きる。必要なものが必要な時に必要なだけあればいい。小鳥に日々の食は与えられている。この世は足りている。誰かが貪れば何処かで欠乏する。誰が貪る事を正当化したのか。カルバンであるか。世の大富豪も大富豪となってお金が目的ではなかった事に気づく。やがて富は世のため人のために分配される。アンドリュー・カーネギー氏もそうだった。目指すべき食卓は何か。愛する人との食卓であり、家庭の団らんとしての食卓である。庶民の解放は此処にある。あらゆる制度の目的及び根拠も此処にある。ビジネスもその為にある。未来は明るい。誰もが幸せである明るい未来のビジョンはあるか。新しい時代である。その扉は開かれた。彼はいった。仕事はしたよ。北一輝氏はいった。全うに生きて生きられないなら、お前がその第一号になれ。父はいった。お前は大丈夫だ。私の子だ。私もお前と同じだった。古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本不滅。


2008年08月12日
思索の理由~エピローグ~
何故、山に登るのか。ある著名な登山家はいった。そこに山があるから。何故思索するのだろうね。そこに思想があるから。祖師西来意。理由などない。行雲流水。唯、来たのである。面壁九年。時を待った。十九の春。特殊潜航、苦節三十有余年。時は満ちた。パスカルはいった。人間は考える葦である。その葦を通して、宇宙を見る。世界最高峰がある。登るしかない。思索するしかない。しかし後者は往々にして世間の評価の外である。何故だろうね。凡そ理解できない。考えようとしない。探そうともしない。評価基準がない。ギャグマンガで勲章であるか。勲章も地に墜ちたものである。ヘルパー制度が始まる前にボランティアをしていた。その頃、折り鶴の会に所属して、特別養護老人ホームのシーツ交換とか、独居老人話し相手ボランティアをしていた。そして、中国戦線からビルマまで七年間、前線をトラック部隊で南下した老人と知り合った。個人的に随分とお話を聞かせて貰った。何度か戦闘もあった。もう駄目かと思われた事が三度あったという。銃撃で足に被弾もあった。ある夜、トーチカにこもっていた。周囲は敵軍に囲まれた。もう駄目かと思った。朝になって、敵は撤退していた。安堵して外に出た。辺りは未だ暗い。近くに水たまりがあった。それで米を炊いた。朝日が射して明るくなった。ご飯の色が気になった。確かめてみると、その水たまりは血だまりだった。彼はビルマまで下って捕虜となった。そして送られた島は、レンバン島だった。住民は死の島と呼んでいた。サツマイモの蔓を一本持たされただけだった。虫もいない。雑草もない。食べ尽くされていた。夜になるとぽちゃんという音が響いた。遺体を海に投げ捨てる音だった。ある日喧嘩があった。相手は殴り殺された。何故か。他人の芋を密かに掘って奪った。そうして彼も復員した。復員した地は広島宇品だった。彼は金鵄勲章をもらっていた。彼が復員して最初にしたのは屋台でコップ酒を一杯飲む事だった。その代価は金鵄勲章を売り払って得た。彼は呉市の広報テレビ番組に収録された。宮田さんだったろうか。私も一緒に収録された。彼は2.26事件の時も現場にいたという。タクシードライバーをしていたという。世間では声高に戦争を知らない子ども達と歌っている。貴様達は何を言いたいのか。彼はいっていた。ヨハネの黙示録もある。地獄の黙示録もある。しかし彼の選んだ黙示録は何だったのか。未来は明るい。誰もが幸せになれる。その道は開いたといっていた。或いは見つけた。彼はその為に生まれていたのだろうか。失われた自信は取りもどした。長い冬があった。本来負けはしない。全教科十を並べる事も出来る。世間はそれを愚弄した。その力を知らない。笑うしかないね。戒められていた。間違ってその力を使わせるわけにいかない。故に苦しんだ。それが試練だった。彼の試練は何だったのか。凡そこの世での解決はないと思われた。それほどの試練があった。悪いのは戦後かと思った。社会かとも思った。自分だとも思った。善も悪も全てに感謝する事で解決するに気づいて道は開けた。彼は復活した。救われたのである。釈迦の前世で羅刹に飛び込んだのを救ったのは帝釈天だった。何に飛び込んだのか。真実真理幸福論だった。諦めてはいなかった。全ては準備されていた。最後は自覚を要した。その間、三十有余年が過ぎた。彼の人生は無駄に帰するのかと思われた。根本には思索があった。代償としての失われた人生と青春があった。しかしどのような悲しみにもその中にそれと同等かそれ以上の喜びの種を宿している。挫折のない成功はない。そして何を得たというのだろう。彼は何者だったのか。謎は謎である。浮かれた世間に染まれなかった。故に孤独だった。そして彼は力を得た。彼はいう。裏切り者に用はない。古来大和の秘密がある。課題は必ず解く。相手があれば必ず受容克服凌駕する。正体を見抜く。小林秀雄氏と金子光治氏の戦いがあった。小林氏は身を斬らせて骨を斬った。骨を斬らせて魂は斬れなかった。彼はいった。仕事はしたよ。何をしたのだろうね。何を見つけ、確かめ、切り開き、耕したのだろうね。種を蒔くばかりとなったのだろうか。具体的な収穫があると良いね。きっとあるだろうね。何の種を蒔こうとしているのだろう。日本の今の繁栄は、かの戦争で散華した純粋精神の故だった。彼らの徳もなくなる頃である。新たな徳を必要としている。それは何なのか。彼の見つけたものである。何時までも浮かれているわけにはいかない。テレビ界及びお笑い芸能界諸君並びに諸リーダー達をターゲットにして彼がいってきた事はこの事実に根拠する。日本の歴史がある。その方向性がある。本来目指していたもの及び築いていたものがある。本来日本へ帰ろう。その証明はしたはずである。持って生まれたものがある。それ以上でもそれ以下でもない。知らない事を以て勝手した。今まではそれも通った。これからは通らない。何故か。既に時代は動き始めた。大法輪が転ぜられた。本来日本が目覚めた。芽吹いた。これを以て2005年11月26日より始まった一連のブログのエピローグとする。戦いは終わった。敵は何だったのか。最終最後最大の敵は自分自身だった。唯自己利益追求者達の仮想敵国などではない。この度、制したのは何だったのか。黄泉だった。黄泉も待っていた。人類は何を願っていたか。Love&Peace! 二十一世紀である。実現の頃である。何時までも古いパラダイムにとどまっている理由はない。殺戮の根拠は何処にもない。『戦争と平和』があった。『アンナ・カレーニナ』もあった。しかしそれらの芸術性は、トルストイ自身が晩年になって否定した。彼は悪妻に悩まされた。そして八十を過ぎて、放浪の旅に出た。最期はある駅舎だった。駅員によって暖かい毛布の一枚を掛けて貰った事だろう。ドストエフスキーは賭け事が好きだった。借金返済のために書いたともいえる。それがあの大量の著作のエネルギーだったのだろうか。銃殺刑に処せられようとした事もあった。寸前で助かった。そしてトルストイが好むべき最高の人間像と絶賛したのは、ドストエフスキーの描いたムイシュキン公爵だった。誰もが幸せになれる。なって良い。未来は明るい。明るい未来の建設の頃である。山田無文老師はいった。夕日には夕日の良さがある。彼はいった。プロにはプロの仕事がある。容赦ない。祖父は相撲が強かった。かつては大相撲広島巡業があって、祖父といつも出掛けていた。そして祖父はプロレスが好きだった。何の事だろうね。わかんないね。彼も美術新聞を定期的に読んでいた。Japan as No1.父はAkinori、私はShizuo。広島に錦を飾ったよ。彼は確かに人生と青春を失った。しかし得たものはそれと同等か或いはそれ以上だった。それは何だったのか。潮は引いて満ちる。月は欠けて満ちる。彼に何が満ちたのだろうね。彼の夢だった。このプロジェクトは成功した。幸せがみつかったんだって。誰もが幸せになれる。良かったですね。本当の自由を得たんだって。例えばかつてある方がいうのだった。私もそう思っていたと。その内容は前日に彼が書いた事だった。その様な時、彼は未だ解っていなかった。しかし不思議なその様な事が実は不思議ではなかった。彼自身その様な馬鹿げた事はないと思っていた。それが当然となる日が来るには、さらに試練があった。やがて時は来た。彼の経験の何もかもが当然となった。法学には法律上当然という概念もある。公理の証明は要らない。彼は悩んだ。彼は苦しんだ。彼自身、信じられなかった。そうした事を信じる事が出来た時、彼は解放された。それで良いのだった。彼の学問は畢了した。そしてやっと彼は自覚した。これで幸せになれると思った。何もかも愛する事が出来ると思った。すると世界が変わった。彼は孤独だった。彼を理解する者はいなかった。今もいないのかも知れない。しかし、風は確かに彼を慰めて吹く。黄泉の守護を確信する。これが彼の得た幸せだった。魂と宇宙自然生命黄泉は連動している。彼の確信である。やがて魂は宇宙へ帰る。魂の故郷は宇宙だった。この世に生まれて本来彼は幸せだった。それを拒んでいたのは彼自身だった。Thanks for all the stars and all the peoples that have already gotten powers. I would like to participate in J now. Thank you. (2005/09/23 04:12am)http://www.pc-kure.net/GSWL/syuppatsu.htmlさぁ、未来の扉を開こう。その時が来た。誰もが幸せである未来へ。自分が自分となって十全に咲く。それで良い。敢えていう。この扉は昭和五十年に開くはずだった。黄泉の悪戯或いは計算違いがあったのだろうか。もう咲かないのかと思われた。遅過ぎたのか。遅過ぎはしない。古来大和の謎を解くには時間がかかる。時を要した。故に完璧な解答を得た。ここまで解く必要はなかったのかも知れない。しかしこの度はそのようにプログラムされていたようだ。それにしても酷な人生を用意してくれたものだね。解くにはあまりにも難問だったよ。だけど解いた。この世に悔いはない。日本は大丈夫だよ。彼はいっていた。彼こそ秘密だった。誰も知らなかった。むしろ見捨てた。彼は孤独に独力でその謎を解かねばならなかった。自らそれを選んだ。それが定めだった。世の閥は悉く色を失った。黄泉の賭だった。黄泉も見守る事しかできなかった。彼は見事に使命を果たした。黄泉は祝福した。未来は定まった。彼の仕事だった。彼は何者だったのか。恋は恋。広島城は鯉城。開門である。彼は笑っていった。日本を救ったよ。しかし、その目は悲しかった。代償として、失われたものはあまりにも大きかった。母の名を記しておこう。名は喜恵子。旧姓山持或いは山道。Q.E.D.

【地震速報】平成20年08月13日21時56分 気象庁地震火山部 発表
13日21時52分頃地震がありました。
震源地は京都府南部 ( 北緯35.1°、東経135.7°)で震源の
深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は3.5と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。
京都府 震度3 京都右京区京北周山町*
震度1 京都左京区花背大布施町* 京都中京区西ノ京 亀岡市安町
南丹市園部町小桜町* 南丹市日吉町保野田*
三重県 震度1 亀山市西丸町*
この地震による津波の心配はありません。

PS I love the World. 私は生きた。私は愛した。私は書いた。ポール・バレリーだった。考えたことだろう。闘ったことだろう。彼のような人生もある。明らかに埋没を余儀なくされた。今も最下層でひっそりと生きている。本当のところは誰も知らない。しかし彼の成した仕事がある。この度は勝ったようだ。時代の流れだったのか。そして今となっては何も思うことはない。悪いのは過去の自分だった。どれだけの責めを負ったことだろう。申し訳なく思うばかりである。何もかも。これで善かったのだと思っている。十分だ。この世に感謝する。心からありがとう。やっと彼の花が咲いた。これで生きてゆけるね。彼は、彼として。探していた自分が見つかったのだね。善かったね。人生の春だね。さわやかだね。蝶が飛んでくると良いね。このような咲き方もあったのだね。美しいよ。咲いてみると素晴らしい世界だね。楽しいね。


2008年08月11日
自信回復(完結)
彼は自信を取りもどしたという。それはどのようなものだったのだろうか。それは、不安がない、恐怖がない、疑いがない。何故だろうね。黄泉の導き、天の守護といっていた。もはやいうべきことはないんだって。何もかも、感謝するといっていた。良い事も悪い事も、すべて感謝であるらしい。どういうことだろうね。直接聞くしかないね。すべては自分の蒔いた種であるらしい。過去にそれは蒔いている。それで思い通りにならない。自分がコントロールできなかったんだ。それらから自由になれると良いよね。どうしたらいいのだろうね。それが感謝であるらしい。それも仏さんの定めた方法があるらしい。何処にあるのだろうね。探すしかない。この世は今、どのような世の中になっているか。おかしいと思わないか。その理由は何だったのだろう。それも明らかにされている。そしてそれより逃れる方法も明らかにされている。縁があったら、共に語ろうね。小手先ではどうにもならない。人間である限り、駄目だ。隻手の音を聞く。或いは、仏の威力(いりき)を借りるしかない。そして解決すればいい。解決するとどうなるか。自信回復だ。彼が探していたものは見つかった。三十有余年の孤独が報われた瞬間である。人生と青春は失われたかと思われた。そうでもなかった。勝負は決した。人生逆転サヨナラ満塁本塁打である。それほどのものを見つけたらしい。日月照らして、人生は喜びと楽しみと感謝とになった。これが本当の笑いだね。ベルグソンはこれを知っていたのだろうか。今更調べる気もない。権力ではなかった。武力でもなかった。お金でもなかった。愛と平和の21世紀真実幸福論完結。全ては笑顔と優しさで解決する。相手を喜ばす事だよ。黄泉も祖先も自然も生命も宇宙も。それが魂の遍歴のゴールだったのかな。嘘と暴力は既に過去のものだよ。殺戮もね。善も悪もない。故に悪人正機だったのか。或いは『不思善、不思惡、正與麼時、那個是明上座本來面目』。この世は素晴らしい。夢は実現した。彼は何者だったのだろうね。子どもの頃は随分とスーパースターだったらしい。それが埋没した。しかし種は種である。何時か芽吹く。芽吹いて花と咲いて実が成る。そしてそれが何だったのかが解る。彼に感謝しようね。何故だろうね。彼は確かな道を開いた一人だよ。黄泉が祝福している。彼はどのような仕事をしたのだろうね。何を探していたのか。そして何を見つけたのだろう。古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本。既に記録がある。日本は大丈夫だよといっていた。彼の苦行或いは学問としてのブログは終わりを迎えたようである。解決であり、完結である。もはやいうべきことはない。みざる、きかざる、いわざる。彼は何もいわない方が良いようである。父も祖父も寡黙だった。彼は殆ど会話した記憶がなかった。代々の務めがある。それは何だったのか。彼は何も知らされていなかった。父もそうであったに違いない。しかし務めはあったのであろう。どのような務めであったのか。酷な事ではあったろう。何を背負っていたか。知る由もない。今となっては全て謎の闇の中にある。しかし真実真理とはそうしたものだった。古来大和二千年来の謎とするところである。凡そ表現できない。常軌を逸している。父にとってはトラトラトラだったか。父昭亮(アキノリ)は昭和二年三月七日に生まれ、平成元年五月二十二日に没した。五十才を過ぎた頃から、しきりに人生に疲れたといっていた。地震雷火事親父。こうしてある程度秘密が開示される事自体が希である。しかし時なのである。時代が動く時節である。世間は知らない事を以て否定する。むしろ迷惑であるのだろう。認めようとしない頑なさはあたかも蛙のようである。しかし事実は事実である。そして知らない事を以て勝手が過ぎた。これにてこのブログは終わりとする。母は理性の人だった。しかも美人だった。一度も感情的に叱られた事はない。母の好きな言葉は「おわり」だった。彼は口をつぐむだろう。彼が何かをいえば波風が起きる。いうにいえない経験を多く積んでいる。いう必要もない。真実真理は見極めたという。彼はこれで思う事から解放された。何を考えていたのだろうね。辛かったね。

2008年08月10日
もはやいうべきことはなくて
もはやいうべきことはなくて。すべて足りていた。十分に試練に耐える能力は与えられていた。感謝申し上げる次第である。そしてすべて準備されていた。そういうことだったのだ。どういうことだろうね。自分が本気に取り組めば、すべて順序はつく。本気でない自分がいた。それだけのことだった。だから、これまでの関わりのある方々のすべてにお詫びする。誰も悪くない。悪いはの優柔不断だった。何故優柔不断だったのだろう。自信がなかった。それは戦後の故かと思われた。そうでもないのだった。乗り越えなければならなかった。それは不安だった。本来不安も有りはしない。ないのに有ると思っていただけだった。すべて伝えられていた。これを理解するのは困難を極めた。無理もない。それほどの謎だった。誰もが幸せになれる。何故だろう。幸せの道が開かれたからだった。負けるわけにはいかなかった。しかし負けていた。申し訳なき事である。しかし、生まれた務めは果たした。未来は明るい。それだけの試練を通った。そして自覚した。自覚が証明だった。それは何だったのか。既に記した。日月照らし風が吹く。美しい風景が待っている。自然と共に生きて幸せである。お金ではなかった。西洋成功哲学の本質も見極めた。もうこれでいいよね。もはやいうべきこともなくて。すべてに感謝している。日本は大丈夫だね。如是相だね。

もういいではないか
それぞれ前世がある。辰の子太郎が目覚めるとどうなるか。龍となる。醜い鷹の子ということがあるのかも知れない。それも己の自覚による。自分が自分に目覚めて自覚した時、あれこれという必要はない。魂と魂の対峙となる。それまでは気づけない。その時は遅い。相手は感じる。何を感じるのか。何をいっても勝負にならない。賓主歴然とはこれをいう。それでも何時までも身分に安住するものは気づけない。地位が逆転している。魂はおびえる。もういいではないか。お金では買えないものがある。この世では決して差の埋まらない持って生まれたものがある。何時までも看過できない。何時までも下手な勝手は通らない。認めては如何か。別に認めなくてもいい。事実は事実である。真実は真実である。秩序は秩序である。勉学は必要だよ。魂のレベルに応じた試練もある。試練を通ったものに勝てるだろうか。それでも勝ったつもりでいるね。お金の力がどれほどのものと思っているのだろうね。所詮道元も空手で帰って来た。貧学道であった。それでも力は得ていた。どのような力だったのか。火裏蓮。ヒロシマは煉獄の火をくぐった。もう復活はないのかと思われた。そうはいかない。かつて広島大学正門を護っていたのはフェニックスだった。或る自覚が成就した。日本は復活である。全てはそのために準備されていた。アナクロニズムではない。真実の価値が蘇る。そして真に世界に合流する。原爆被爆という代価を支払っている。人類が本来求めているものは何か。低能野蛮なお笑いではない。例えばクリュイタンスの『幻想交響曲』東京公演がある。これを聴いて何も感じないという人がいる。この交響曲の背景は何だったのか。その後、人類はどのように推移したのか。人類は何を求めていたのか。そして何を破壊したのか。明らかとなった。時代の選択は決した。これより未来を目指す。未来は明るい。本来日本の上級精神がある。決して裏切りはしない。それが大和魂であり、大和撫子である。その属性のないものの解釈は悉く誤っていた。そしてそれがむしろ諸リーダーの理念だった。思い出す頃となった。何を思い出すのか。本来日本はどのような國だったのか。自己利益追求を好む國ではなかった。常に民の幸せを願っていた。それが征夷大将軍の目的でもあった。どのような理解が蔓延っているのか。諸学者の罪は重い。それで何が跋扈したか。日本はどのような国になったのか。大義名分とは何だったのか。既に記した。探すが良い。本来日本は神国である。正直者の頭に神は宿る。欺罔を手段として正当化する商人根性の知るところではない。大義名分、神風は吹く。取りもどすべきは何か。身心清浄及び正直。本来日本の目指していた道である。テレビ界は悉くこれを破壊した。低いレベルで何を吹聴増殖したのか。本来日本は愚かではない。真実がある。それが開示される時もある。真実とは何だったのか。それは秘密に属する。或いは謎である。誰かが解いてそれは明らかとなる。二千年来の謎が解かれる事もある。それは何だったのか。父の時代があった。祖父の時代もあった。見える世界と見えない世界がある。裏ジャックは表ジャックより強い。何事にも中心がある。真夏の夜の夢という事がある。何を夢見ていたのか。真実は何だったのか。現実は何だったのか。現成公案という事がある。久遠実成という事がある。どういう事か。この世は大鏡だ。埋もれていたのは古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本だった。源氏の正体である。時代が動く時節がある。原動力は何か。それは何処に眠っていたのか。明らかとなった。解かねばならぬ謎がある。人生と青春を賭して。再度いう。若者よ、大志を抱け。愚かな世間に惑わされる事なかれ。大人は失敗している。未来は君たちが描け。


2008年08月09日
浮上
人間はどうして悩むのか。悲しいのか。理由が解らなかった。しかし原因はあるのである。仏法では縁を問題とする。何事も種がある。縁を得てそれが実現する。人間である限り、悪の種を持っている。過去から限りない悪を重ねた。それがある。何時かそれが芽吹く。それが怖い。その種を払拭できれば、問題は起こらない。どのようにしてその根を抜くか。その方法を教えてくれるのが仏法だった。身と心で犯した罪がある。過去にそれはある。限りなく幸せになりたいと思っている。しかしなれない現実がある。心に葛藤がある。現実行為に自信が持てない。何故だったのか。苦しみは増すばかりのようだ。此処より逃れる道はないのか。有る。それが仏道だった。何時か此処に帰る。本来日本はそれを知っている。ゾンビなど要らない。何を追いかけていたのだろうね。本来明るく、楽しく、幸せであった。ところが今も、人間は毒のリンゴを食べ続けている。それを気づこうともしない。テレビ界及びお笑い芸能界がその権化である。それで救いがあると思っているのだろうか。何時までその愚かさが蔓延るつもりであるか。日本をこれ以上駄目にさせはしない。さて、ナポレオン・ヒル氏の『思考は現実化する』にしても、ジェームス・スキナー氏の『成功の9ステップ』にしてもそうであるが、何を教えようとしているのだろうか。憂いなく行動するための方法論である。それは自分に対する自信を取りもどし、日々の行為を如何に実行するかである。それができない。あれこれと思い煩う。どのようにしてそれより逃れるか。考えても仕方ない事を考えている。憂いの根本は何だったか。禅の説くところもそれ以上ではない。人間が人間として如何に快活に暮らしてゆけるか。それを如何にして手に入れるのか。仏はその方法を知っていたのである。そして仏さんの遺した方法がある。これ以外にない。或いはこれ以上はない。その意味で、謙虚さを取りもどさないか。四聖は気づいていた。その後、彼ら以上の思想家は出ていない。同じ人間である。私たちも至る事が出来る。低いレベルで人生を諦めていないか。さて、見えない世界と見える世界がある。見えないからといってないのではない。宇宙を見る事は出来ないが、宇宙はある。昼もあれば、夜もある。何をしているのだろうね。何を考えているのか。皆の幸せを考える。それが自分の幸せへの近道だった。唯自己利益追求は馬鹿げていた。カルバンの罪は重い。社会主義というのではない。個人主義で良いのである。しかし皆の幸せを考える。この辺りが微妙である。これより明らかとなる。彼は自覚した。何を自覚したのだろうね。三十有余年の孤独は無駄ではなかった。孤独と思っていたが、彼は常に導かれていた。守護もあった。そして彼ほど幸せな存在はなかった。感謝するべきは前世であり祖先である。しかし試練を要した。そして彼はこの世の宝を手に入れた。それは打ち出の小槌であり、金剛杵だった。或いはアラジンの魔法のランプであるか。如意棒であるか。本来それはあった。どのようにしてそれに気づくのか。正直こそ価値と知った。何を以て究極の力とするか。黄泉の守護だった。それがシャーマンとしての自覚だった。日本は大丈夫である。それが本来日本の本懐だった。それに気づく事で日本を救った。それにしても何をしてきたのだ。何をしているのか。何を裏切ったか。反省の頃である。本来日本、浮上である。もはや憂いはない。敵もいない。日々明るく楽しく幸せに生きてゆける。日本の基が目覚めた。ソメイヨシノは明治の突然変異だった。そして全国に散った。明治は何を追いかけたのか。その後も本来の大和魂を知らない同じ下級精神の解釈による支配である。断罪である。本来日本の桜は山桜。大櫻である。精神修養のない商人根性に用はない。日本浮上。本来の自分を取りもどす。そしてそれを生きる。甘えていた。何を以て甘えとするか。世間に迎合しようとして負けていた事を以てする。自分は自分で良かった。降り注ぐ火の粉は払う。邪魔はゆるさない。何が蔓延ったか。本来日本はどのような国であったのか。考えるべき時が来た。或いは思い出すべき時が来た。精神レベルの秩序はそのまま黄泉の秩序である。黄泉は誰に微笑んだか。日月照らし、風が吹く。勝敗は決した。制すべきは何だったのか。黄泉を制する。その要件は何か。持って生まれた属性がある。試練を要する。征夷大将軍の目的は何だったか。それが大義名分だった。その時、神風も吹く。知らなかったね。探しもしなかった。浮かれていた。古来、伝えられていた。ところで、ブラームスの交響曲第一番は、シャルル・ミュンシュがやはり良いね。幻想交響曲はクリュイタンスの東京公演が一番好きである。サンサーンスのオルガン付きはマルティノン。なんだかすべてフランス的だね。これらを聴いて高度な精神エネルギーが充填される。主体的に生きればいい。それが独座大雄峰である。『主体性の理論』は団藤重光教授の晩年の著作である。自分を生きる。その為に必要なものは何か。自信である。何故自信が持てないか。何を怖れていたのか。己の悪だった。これより逃れる方法はないのか。ある。心因反応、十九の春、苦節孤独艱難三十有余年の自分との戦いがあった。西洋医学は病気を治せない。当事者の苦悩を知らない。薬で治せると思っている。精神医学に於いてはむしろ廃人にする。自己治癒力を待つしかない。それを高めるしかない。医学の思い上がりがある。石油化学物質である薬品は生体に対して未知なる部分が多い。医者は何故医者になったのか。そこから問わねばならない。心の病は何故であるか。原因は何か。それは治るのか。治る。己の悪性を払拭して、自信回復。本来の人間の力とは何だったのか。可能性は何処にあるのか。精神的エネルギーである。それにも質と量がある。開発するべき力は何だったのか。禅定力といっていい。それが言葉に於いてはロゴスとなる。黄泉も動く。誰もがその可能性を持っている。それが万物の霊長たる所以である。それが人間の尊厳である。故に人間行為の究極は芸術行為である。誰もが憧れる。感動する。テレビ界及びお笑い芸能界が愚弄無視破壊したのはそれだった。反省の頃となった。勘違いの悪魔は正体を見破られた。それを成功と思ったか。それが知恵であるか。退治するしかない。


2008年08月08日
自分を咲かせる
失われた何か大切なものがあった。それは何だったのだろうか。自分自身だった。それを取り戻せた気がする。長い冬があった。それは三十有余年にも及んだ。人生と青春は失われていた。それほどの十九の春があった。およそ人生を諦めていた。そうでもなかった。取り戻すべきは自分だった。それは自信の回復だった。どうしてそれを失ったのか。それが人生の不思議でもあった。どんな悲しみにもそれと同等か或いはそれ以上の喜びの種が宿されている。それが法華経一切種智慧だったのかも知れない。西洋成功哲学の至り着いたところでもあった。どのような富豪も一度や二度の挫折を通っている。それがなければ富は得られない。富とは何だったのだろう。財産である。金銭的なものはその現れの一つに過ぎない。それは徳といってもいい。究極のそれは何だったのだろうね。禅に於いては悟りだろうか。公案は一つ通れば全て通る。隻手の音を聞くからである。この世の真実とは何だったのか。神仏は実在するという事だ。この世で人間が神仏の境界を得る事が出来るという事だった。それは雷神風神でもある。どういうことだろうね。雨は龍に従う。閨房にても王を呪ってはならぬ。小鳥がそれを運ぶから。或いは一休髑髏ご用心だった。国家に於いては大義名分、神風の吹く。本来日本の本懐だった。それを探す旅もある。それが見つかる事もある。一世代、二世代の事ではない。殆どの人はそれを知らない。特にテレビ界及びお笑い芸能界は最も知らない。知っていれば、あの馬鹿馬鹿しさはない。衆愚が愚かな笑いに興じている。それが人生だと思っている。冗談ではない。あの世でたっぷり草鞋銭が請求されるだろう。民を惑わして何をうれしがっているのか。人間はそれほど愚かではない。さて、自分を咲かせるしかなかった。咲けばいい。咲けばわかる。そして自分が自分として結晶していく。宝石として輝く。或いは野に咲く一輪の清楚な白い花である。そして花は愛惜に散る。それでいいのである。誰が悪いのでもない。自分が悪いのでもない。色々な属性を持って生まれている。どれを自分のものとして自分を組み立てるのか。そこに熟練もある。代々の事ではある。本来日本、美しい。美しく咲けばいい。暫くどのレベルの精神が蔓延ったのか。時は来た。良い時代である。

憧れの 自分咲かせて 秋立ちぬ

本来無一物。不安はない。心配もない。恐怖もない。思う事もない。思う必要はなかった。日々を大切にする。この人生を楽しむ。愚かなお笑いではない。一人の妻を愛し抜いたキャパがいた。それでいいのである。色々な人生がある。あの世へ逝ってはじめて解る。浮かれた人生が人生ではない。やはり愛とペーソスだよ。言い訳は要らない。愚痴は愚かである。その時々に知恵を出す。日々を楽しむ。成績に十段階がある。十をとるは希である。十はある。否定できない。何を以て知性を愚弄したのか。真実の知性は何をこの世で見つけるか。もはや遅い。勝敗は決した。知性の勝利である。人生ゲームはこのようにして勝つ。何を以て勝利とするか。黄泉の導き、天の守護。祖先代々の事である。疎かに出来ない。それを愚弄無視した。或いは破壊した。罪である。本来日本は神国だった。それを取りもどす。時は来た。本来日本、嘘と暴力は要らない。かつて森有正氏がいた。パスカルとデカルトの研究家だった。フランスへ渡って客死した。東大には帰って来なかった。何故だったのだろうね。彼の夢は何だったのだろうね。彼は夢もフランス語でみたいと思っていた。思索もフランス語で出来ると良いと願った。今はそれもあの世で果たしていることだろうね。彼のパスカル研究で説いているのは愛には三つあってその中でももっとも大切なものはアガペであり、神の愛だった。それはどのようなものだったのか。正しいものの祈りは通じる。山に向かって海に飛び込めといえばその通りとなると聖書にも書いてある。パスカルは足に障害があった。故にあれほどの数学的天才でありながら、社交界へのデビューは遅れた。遅ればせながら、社交界の寵児となった頃のある夜、ひとつの啓示があった。それは『メモリアル』として記録されている。その瞬間から彼は大神秘家となった。神のアガペを知ったのだろうね。そしてそれを如何に民に伝えるか。それが彼のその後のテーマとなった。その草稿が『パンセ』だった。日本にも本来それがあったと彼はいう。それがシャーマンの系譜だった。しばらく忘れている。ペリー来航以降のことである。カルバンという宗教改革者がいて、利息は神の意思であるとした。それ以降、大重商主義の世となり、市場経済となった。今となってはリバイアサンである。その歴史はそれほど古くない。聖徳太子は四天王を使って政をした。四天王とは神だった。空海もその本質はシャーマンである。最澄も空海の密教は解らなかった。無理もない。それが属性のあるかないかである。属性のないものに解りはしない。本来人生は如何にあるべきか。本来日本はどのような国であるか。それを探さなければならない時もある。それを探すことを使命とすることもある。それは生まれながらのことであったりする。好むと好まざるとに関わらない。そのように生まれている。そのための能力も賦与されている。そのための試練もある。運命である。何時か気づく。何時か至る。何時か確かめる。人生そのものが証明となる。そして何を知るのだったか。黄泉の導きと、天の守護だった。おもしろいね。人生、捨てたものではない。森有正氏に全集がある。彼の結論は何だったのか。それは全集の補遺にあった。それは≪経験≫だった。何か失われたものがある。それは何だったのか。自分自身だった。最終最後最大の敵は自分だった。勝つべきは何だったのか。制するべきは何だったのか。権力は市民革命によって克服された。武力は原爆によって克服された。金力は今、克服されつつある。お金がなくても豊かで祝福された暮らしはある。情報化時代の意味するところだった。世のお金持ちも、お金が目的ではない。はじめはそうであってもやがて気づく。本来の目的は何だったのか。自己実現だった。お金を通して自分の存在を確かめる。自己確認だった。そしてやがて価値に至る。それは何だったのか。真実真理は何だったのか。誰もが至る。魂はそれを探す旅をしている。この世は過去からの魂の遍歴の一こまにすぎない。世のセレブ諸君は、何をしているのだろうね。過去に既にそうしたことは通過した魂もある。聞く耳を持ってはいかがだろうか。黄泉の導きと、天の守護を得たものに勝てると思っているのだろうか。それほどまでに愚かであるか。本来日本、取り戻すべき時が来た。どのようにして取り戻すのか。自分の花を咲かせればいい。それは自覚である。何を自覚するのだろうね。いえば不遜である。しかし事実である。それが真実真理である。知らないものは知らない。しかし知らないことを以て愚弄できない。それを愚弄した。反省の頃だね。しれ(愚か者)は迷う。知らねば迷う。それが法の道である。何が仏の実であったのか。法とは何だったのか。洗練された魂と宇宙は連動している。その言葉はロゴスである。即ち、宇宙そのものである。黄泉が実現する。我の力に非ず。唯、仏の威力(いりき)による。思い出す頃となった。思い知ることとなった。自分を咲けばいい。もはや世界は日本を無視できない。真実真理を知る國として。人類の祈りと願いは何処にあったか。日本国憲法にある。憲法の名に於いて戦争を放棄している。平和主義である。これは歴史的なものであり、あの茶色い戦争を代価としている。憲法を行使する時、世界はそれを否定できない。日本の財産である。大切にするべきものである。愚かな指導者の手でこれを蹂躙させることはない。黄泉の意思でもある。原爆は何だったのか。彼の魂の故郷は根絶やしにされた。故に彷徨ったか。故に使命があった。彼はそれを果たした。謎は解いた。二千年来の謎といっていい。このブログはその実録となった。価値はある。しかし認めたくない方々も多い。仕方ないね。そうしたものだよ。しかし事実は事実である。真実真理は真実真理である。人間の計らいではどうにもならない。それだけの試練も通った。そして花を咲かせた。咲けばいい。黄泉は喜んでいる。本来日本が喜んでいる。供養とは相手が一番喜ぶことをすることである。これほどの供養があっただろうか。日本の色を本来の色に染め変える。彼の本願である。彼が自覚するということがどういうことだったか。もっとも驚いたのは彼自身だった。父はいった。私もおまえと同じだった。おまえは大丈夫だ。私の子だ。これほどまでとは思わなかった。花は咲いた。もう咲かないのかと思われていた。彼は帰ってきた。風が吹いている。日本にとって上げ潮である。時は来た。我こそはと思う方々は立ち上がるべし。本来日本の夜明けである。日は昇った。夜の星は見えない。愚かさと野蛮より脱する。そして真に世界に合流する。日本の本懐が成就する。日本は素晴らしい知性の國である。心身清浄及び正直。本来の日本に帰ろう。既に道は開かれた。一番槍は代々の系譜である。その務めは果たした。このブログは重要な意味を秘めている。知る人は知っている。畏れを知らない人は否定する。彼にとっては日々の仕事である。こうした仕事もある。さて、どうして思い通りとならなかったのか。何をしても駄目だったのか。原因は何だったのか。真面目といえば真面目だった。しかしそれは見かけの上だった。内面はどうであったか。優秀といえば優秀だった。それらは本当に大切な要素ではなかった。今となっては解ってきた。何が解ってきたのだろうね。やはり内面の問題だった。或いは性格といっていい。それが人格であり、品格だった。黄泉の導きと天の守護はどのような時にあるのか。或いはないのか。全ては準備されている。それを拒んでいたのは自分だった。素直さがなかった。何処かで自慢或いは傲慢な自分があった。それでは人は動かない。黄泉の導きも天の守護もない。どうすればその様な人間になれるのか。それは偏に仏さんの威力だった。此処に帰する。人間である限り、その計らいは傲慢である。人ではない。社会でもない。国家でもない。自分だった。それを知るために此処まで彷徨ったのだったか。しかし遅くはない。生きている間に気づいて良かった。気づけば全て足りていた。それを拒んでいたのは自分だった。あれこれ思っていた。その思う事が実は要らない。自己を空しくするとはそれだった。何も思わなくて良い。その時々に為すべきことを成せばいい。それだけの事だった。善も悪もない。悪と思えば既におかしい。善と思ってもおかしいのである。人それぞれである。自分がそれを背負い込む事はなかった。助ける事は助ける。それ以上ではない。所詮、何事も自分で解決するしかない。悪舌は功徳の種を断ずるとある。同時に人を褒めるのもよくないと法華経には書いてあった。そういうことだったのだ。どのようにして仏さんの守護を得るか。それが問題だった。それも解った。今は割愛する。縁が有れば直接お話ししよう。そして今、全てに感謝している。十九の春にも感謝している。あれがなければ、此処までたどり着けなかった。或いは本当の力の開発はなかった。自分自身を知る事もなかった。過去は過去である。思い出にすればいい。そして新しい未来開く。今日を生きる。大切なのは今である。今を生きるためには過去を思い出にする。過去にとらわれない事である。未来は明るい。今を生きる。快活に。それでいい。生きている。素晴らしい事である。喜び世界はある。どのようにして至るのか。方法はある。知性を要する。それは確かである。そして自分を咲かせる。全てに感謝できる瞬間が来る。そして自分を知る。やがて皆知る時が来る。ありがとう。これで自分を信じる事が出来る。自分を生きる事が出来る。探していたものは見つかった。権力ではなかった。武力でもなかった。お金でもなかった。地位でも名誉でも財産でもなかった。何が大切だったのか。真実真理を探し求め、気づき、確認し、自分のもとする知性だった。木鶏もこうした事だったのだろうか。人を喜ばせる事だよ。社会を喜ばせる。国家を喜ばせる。世界を喜ばせる。黄泉を喜ばせる。祖先を喜ばせる。自然を喜ばせる。生命を喜ばせる。宇宙を喜ばせる。魂を喜ばせる。その中にいる自分も必ず幸せとなる。私たちは奪う事ばかりしてきた。或いは裏切った。諸価値を破壊して顧みなかった。自己保身或いは経済行為という名で。花とは何だったのか。美だった。或いは喜びだった。幸せだった。幸せになろうね。幸せになれるよ。21世紀の約束だ。それが愛だった。平和共存共栄。人類として幸せになろうね。カルバン以降の自己利益追求は失敗した。ペリー来航以降、日本もそれを追いかけた。反省の頃である。本来日本を取りもどす。そして世界に貢献する。崇高な使命がある。何を取りもどすのか。既に書いた。精査されたい。自分を生きる。自分を咲かせる。それで良い。やりたい事をすればいい。自由である。全てに感謝する。それがアーメン或いは合掌だった。全て見られている。黄泉の導きはあるか。天の守護はあるか。全て自分次第だった。




2008年08月07日
考えるべき事
本来無一物。何がなかったのか。不安がなかった。恐怖がなかった。勇気ある行動は何処から来るか。自信はどのようにして回復するのだったのか。持って生まれた自分を生きる。それ以上でも、それ以下でもない。それを阻害していたものは何だったのか。愚かな閥だった。何を以て愚かな閥というか。例えばカンニングで世に出て好き勝手している。何時までも通らない。本来の知性がある。それは何だったのか。真実の祈りは届くと聖書にもある。山に向かって海に飛び込めといえばそうなるというのである。その要件は何だったのか。正直だった。それが本来日本の精神だった。行政も民法化した。そしてどうなったか。世襲化していないか。政治もである。それでいいのか。何処かに欺罔はないか。それが知恵だと思っていなかったか。そうはいかない。黄泉は全てお見通しである。仏は宜しきに従って教えを説く。それぞれの器によって得るところが違う。自分の分際を知らずに、正当化していなかったか。人間自ら出づること能わず。唯、仏の威力による。仏とは何だったのか。仏慧と大威神力をその属性とする。知性の最終形態だった。そして仏の宣言はビッグバンに等しい。どういうことか。宇宙を動かす事が出来る。或いは宇宙と連動している。それが真実真理だった。その属性のないものに解りはしない。修行のないものに開示はない。日本は古来それを知っていた。故に神国である。大義名分は民の幸せだった。代々の征夷大将軍の目的もそれだった。学者の解釈の及ぶところではない。故に力があった。黄泉が動く。それで義経も頼朝には及ばなかった。黄泉とは何だったのか。祖先の総体だった。祖先は何を喜ぶか。子孫が幸せである事を喜ぶ。今の世の中を見て、祖先が喜ぶと思うか。テレビ界及びお笑い芸能界は答えるが良い。さて、この世に生まれてどう生きるべきだったのか。人類の願いは何だったのか。その英知はどこに記されているか。日本国憲法を見るが良い。人権も含めて、人類の願いが書いてある。表現の自由及び精神的自由。究極の自由である。憲法はプログラム規定といわれる。政府にとっては努力目標である。しかし統治行為理論もある。司法の消極主義とするところである。しかしね、如何に現実を理想に近づけるか。それが代々の人類の営みだよ。或いは生命体としての進化傾向である。日本が本来目指していた精神世界がある。それが武士道に結実していた。無視したね。愚弄したね。それでいいのかどうか。日本の男はこれで良いのだといっていたね。そうだろうか。考えるべき時に来ている。考えるべき事がある。そう思わないか。戦後六十有余年、履き違えた自由はなかったか。秩序を失った。子ども達はそれに毒されている。今の子ども達はわがままである。何故だろうね。親の顔が見てみたいね。彼は彷徨った。無理もなかった。住むべき世界及び空気は失われていた。この度、東京で集中豪雨があった。スコールのようである。突然の増水で下水道補修工事をしていた方々が流された。元請会社は竹中土木。一人は神田川に流された。経済界は何をしてきたのか。利益追求が正義だと思った。諸価値を破壊して顧みなかった。報いは来る。因果応報は宇宙の真理である。日本を取りもどす。


2008年08月05日
寄せる時代の波
彼は勝ち取った。何を勝ち取ったのか。何を賭しての事だったのか。黄泉は微笑んだ。即ち、日月照らし、風が吹く。日本は大丈夫だと。天上天下唯我独尊誕生仏。勝ち取ったというよりは、本来の自分の彫像に成功したというべきか。自覚を要する。大理石を前にしたミケランジェロは、その中にダビデ像が見えていた。唯、彫り進むだけだった。本来の自分がある。それを如何に彫り出すか。技術を要する。過去からの熟練がある。世のミュージシャンは女性にもてたくてギターを手に取った。タモリの頭の中はどのような妄想でいっぱいだったか。その様な方々の天下である。腐るに決まっている。如何にも安易な時代だった。戦争を知らない子ども達と歌った。それで何がいいたかったのか。言い訳は聞きたくない。本来日本の精神を滅ぼした。事実である。女性が本当に憧れるのは何か。賢聖である。女性はそれを感じる。生命進化の秘密である。感じたままに信じるが良い。本当の賢聖は遅れてやって来る。始めに蔓延るのは何か。ビデオが世に普及した時もそうだった。やがて健全な世となる。時代の波である。引く波と寄する波がある。どのような波が寄せているのか。生まれながらのものがある。しばらくないがしろにされた。それを大切にするが良い。成金セレブスノッブに用はない。彼らにはクラシック音楽がわからない。どんなことでも否定或いは反対すればいいと思っている識者がいる。精神の下級である所以である。バラバラになった知性の種を集める。そして合力となって未来を作る。否定すればいいのではない。女性は感じるままに生きるが良い。男性はそれに答えるだろう。男性は知性を取りもどす。それぞれの分際がある。テレビ界は何をおもしろがっているのか。オカマなど公の電波で何を汚しているのか。人間の尊厳である。もはや閥となったテレビ界はどうしようもない。愚かな時代があった。腐敗も必要だった。蓮華は泥に咲く。咲けばいい。寄せる波と引く波がある。時代の波もそうである。どのような波が寄せているのか。どのような時代が終わろうとしているのか。賢明なる諸氏は見究めるが良い。世界の潮流も見えて来る。世界は野蛮を好まない。軽薄を好まない。日本は真に世界に合流する時を迎えた。何を以て日本は日本であるか。そして世界に貢献するのだったか。神国日本、大義名分、身心清浄及び正直の故に神風は吹く。古来伝えられた日本の本懐である。取りもどすべきはそれである。カルバン以降の腐敗を正す。現存文明文化諸国家に於いて最も古い歴史を有する所以である。即ち黄金の國である。世界も待っていた。本来日本の価値の復活である。そのための試練も通っている。条約改正がそうだった。茶色い戦争がそうだった。しかし原爆の火を以てしても奪えない。本来日本、古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和天津神正統日本の種がある。しばらく何を追いかけていたか。そしてどうなったか。反省の頃である。彼の護り抜いたものはそれだった。既に遍歴の記録がある。精査されるが良い。故に黄泉も微笑んだ。新たな開闢である。その証明も済んだ。日本の基は定まった。世界の祈り、日本国憲法プログラム規定は成就した。その謎は解かれた。彼自身が謎であり、秘密だった。もはやキティ・ホークではない。彼は使命を果たした。次はあなた方の番である。寄せる時代の波がある。それは何か。全ては準備されていた。何が待たれていたか。待たれていたのは誰の自覚だったのか。古来伝えられた禅の命脈がある。禅は今、日本にしかない。それも白衣の在家禅となったか。禅のテーマは何だったのか。換言すれば汝自身を知れということだった。真実真理は伝えられている。本来日本とはどういう國だったのか。テレビ界のカラカラ浴場は知りはしない。内容のない人生はどうなるか。やがて来世で思い知る。知性とは何だったか。象牙の塔の中で身分に安住していてはわからない。知性は空閑=荒野にある。目指すべきは荒野であった。そして何を探すのだったか。浮かれた人生の草鞋銭請求の頃となった。それも一括請求である。本来日本を取り戻す。彼の本願だった。それも成就した。彼は何ものだったのか。彼の髪の毛先は少し癖がある。誰の癖と同じであるか。少し猫背である。いえば不遜である。しかし真実である。彼は世間に埋没した。何故だったか。それが彼の使命だった。彼には解かねばならない謎があった。頼朝は伊豆に流されていた。やがて時が来る。彼を見捨てた財界は思い知る時を迎えた。古来大和の秘密開示である。表ジャックよりも裏ジャックの方が強い。秘密は自分で解くしかない。獅子は千尋の谷を這い上がって初めて自由となる。知る人は知っている。それで彼も報われる。もはや彼に刃向かわない方が良い。それだけは事実である。制度も後からついてくる境界がある。父がそうだった。祖父がそうだった。これ以上、いうべき事はない。何を根拠に勝手し来たる哉。これまでは通った。これからは通りはしない。代々の使命がある。果たすべきはそれである。各々、起ち上がるべし。一番槍は螺鈿の槍を以て突撃成就した。或いはドン・キホーテであったか。喜劇だね。そして真実幸福論が明らかとなった。それが21世紀の約束であり、それは庶民が手にするべきものである。即ち要件は身心清浄及び正直である。その内容はかつての王侯貴族が目指していたものである。しかし彼らも失敗した。現在に於いてはお金持ちがそれを達成したかのように見える。しかし彼らも要件を満たしていない。人類が幸せとして本当に目指していたものは何だったのか。肉体的解放及び精神の自由だった。それはどのようにして実現するのだったのか。その本当の手段は黄泉の導きと天の守護である。彼はそれを実験証明した。努力ではなかった。真面目でもない。それらがしばらく教育の目的だった。成績優秀でもなかった。それらは全て使用者にとって都合の良いもので、有能な労働者を作ることでしかなかった。お金は資産に変えて、それが生み出すところを消費するべき制度が資本主義だった。労働者である限り、永遠に使用される。お金はお足であって霧散する。そして何時か請求書に追われる。銀行など何をしているのか。所詮高利貸しに過ぎない。そのような制度であった。そこには支配者であるお金持ちの欺罔があった。しかし何時までも欺罔は欺罔ではない。何時か白日の下にさらされる。いよいよ庶民の解放の時である。正直である人は幸いである。彼らの時代が来た。取引行為は多少の欺罔が内在されている。故にそれが一人歩きする。故に腐敗した。それが正義かと思われた。それは正義ではなかった。今、お金持ちであることはどういうことか。正直者はお金持ちになれない。これで良いのだろうか。良いわけがない。時が来た。どういう時であるか。情報化時代である。それは何を意味するか。情報はかつて高価な価値だった。それがお金をも産むものだった。それは特権階級の独占だった。今はどうか。情報は限りなく共有化され、安価となる。知性が有れば、それを誰もが利用できる。即ち庶民解放が成就したのである。お金持ちであることが幸せの条件ではなくなった。貧しくても幸せになれる。豊かな人生及び生活を実現できる世の中となったのである。経済界主導の世の中は終わった。経済界を使用するのはむしろ消費者となった。公務員の使用者は国民である。何時までも勘違いは通らない。彼はいっていた。彼がどの階層に属していたか、とても重要な要素である。それが代々の務めであった。敢えて開示しよう。それが主権在民である。同じ理由でかつては武士の世の中であった。認めたくないね。しかしこれが古来大和の掟である。背きたければ背けばいい。その恐ろしさを一番よく知っているのも彼である。これを以て寄せる時代の波とする。知性の勝利である。暫く蔓延った愚かで野蛮な魑魅魍魎は帰るべし。



2008年08月03日
今更どうでもいいけれど
彼は孤独だった。何故だったのか。価値観を共有できる相手はついにいなかった。自分が間違っているのだと思った。それで何時も負けていた。そうでもなかった。彼は遍歴した。何処を遍歴したのだったか。彼は見た。何を見たのか。彼は知った。何を知ったのか。世間は知る由もない。その属性を持っていない。探そうともしない。そして彼を否定する。彼は否定されたままだった。しかし何時かそうもいかなくなる。それは確信に至る。何を確信したのだったか。日月照らし風が吹く。大義名分、神風の吹く。神仏は実在する。世間は知らない。知らない事を以て否定する。しかし真実は真実である。真実に対して方便がある。真実は救われる。方便に救いはない。かつて日本は精神修養があった。その支配だった。今はどうか。見るに堪えない。愚かな世となった。何を根拠に好き勝手しているのか。これ以上通らない。時は来た。敗戦とは怖ろしい。占領政策は成功したかのようである。市場は誰のために開放されたのか。日本を棄てて老後は海外で悠々自適こそ幸せと思っている経済至上主義大臣もいる。国益など考えていない。さらに、サングラスをしてロデオに興じる首相の姿など見たくはなかった。国民はそれを賛美したか。何故であるか。衆愚の世である。本来日本はどのような国だったのか。学者レベルの解釈の及ぶところではない。法華経を真に理解する解説書はない。宗教家の解釈もである。何故か。法華経の名宛人は爾としての神或いは菩薩だった。次に来る如来のための地図だった。彼は思った。何時からこの傾向は始まったのか。ペリー来航だった。その目的は何だったのか。市場開拓だった。その淵源は何処か。カルバン以降の利益追求商人根性だった。歴史は浅い。その根拠は何か。この世で唯一不朽であり、永遠増殖するとされた金だった。その金もインカより奪ったものだった。為替レートの違いによるメキシコ銀の流入もあった。何をしているのだ。勝手が過ぎはしないか。結果世界はどうなったか。資源の枯渇が見えている。地球温暖化もある。誰が責任をとるのだろうね。損失は計上されていない。行政も腐った。そうしたものだね。時が経てば、権力は腐敗する。モンテスキューを待つまでもない。旧約聖書の目的は庶民の解放だった。奴隷解放及び女性解放の次に来る。400年周期説も旧約聖書に秘められていた。日本に於いては関ヶ原、鎌倉幕府、平安遷都と遡る。かつて世界は地中海だった。大航海時代を経て世界は地球となった。今世界は宇宙である。宇宙と魂は連動している。仏の宣言はビッグバンに等しい。雲は龍に従う。何を愚弄粗末にしたのか。或いは裏切ったか。明らかとなった。彼は探していた。そして見つけた。彼は何も知らされていなかった。しかし扁額があった。折られた螺鈿の槍があった。祖父の版画があった。父の持ち帰った真っ新な落下傘があった。それらは何だったのか。御前会議は何処であったのか。祖父の思い出がある。父の面影がある。それらは何だったのか。凡そ常軌を逸している。説明不能である。彼には解らなかった。それも解った。それが戦後だった。彼には使命があった。謎を解くのは彼だった。広島市中区区役所に除籍謄本があった。それ一通で六代遡った。もはやそれらもどうでも良い。それらも証拠に過ぎない。証明するべきは何だったのか。既に証明済みである。何を証明したのか。本来日本は神国だった。新しい時代である。日本は目覚めた。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。彼は父を知っている。祖父を知っている。それで十分である。開門である。或いは開闢。今更どうでもいいけれど。秘密は自覚を要する。容赦しない。



この世に生まれて
美しい青空が広がっている。この世は素晴らしい。この世に生まれてどのように生きるべきだったのか。自分の花をどのように咲かせるのか。問題はそれだった。蝶にもいろいろある。アゲハチョウもいればモンシロチョウもいる。自分が何者だったのか。それを探さなければならなかった。いくら時代が推移しても、己の花は変わりはしない。咲けない花もあるだろう。しかし花は花である。愛惜に散る。異性は解る。同じ属性を持っていれば解る。天敵はいる。そうした中で、如何に咲かせるか。それは人間に於いては自信の回復だった。咲けばいい。咲いて己を知る。怖れる事など何もない。命をも賭けなければ咲けない花もある。潔く散る運命もある。毒虫もいる。彼らも苦しんでいる。好んで毒虫に生まれたのでもない。誰もが救われたいと思っている。救いはある。何処にあるのだろうね。それを探す旅もある。それが見つかる事もある。見つからない事もある。それでいいのである。安易な時代があった。しかし生命の本質は変わりはしない。茶色い戦争も通っている。原爆の火もくぐっている。さてこの世に生まれてどうのように生きるべきだったのか。幸も不幸も自分次第だった。過去からの魂の遍歴の一齣としてのこの世である。祖先の辿った道もある。粗末に出来ない。暴走族的野蛮なテレビ界がある。勉学を否定した芸能界もある。どの種が生き残ろうとしているのか。かつて恐竜は滅んだ。何故だったのか。巨大隕石が墜ちたのは何故だったのか。科学者のレベルでは解りはしない。事実を追いかけるだけである。その事実は何故起きるのか。真実真理とは何だったのか。人間が進化して神仏となる。それさえも信じられない。信じようとしない。探そうとしない。何時までも愚かな現実に浮沈している。救いは求めているよね。幸せになりたいよね。そのために生きているよね。しかし日々の現実行為がそれを拒んでいる。それが人生だと思っている。それが大人だと思っている。クラシックは何故伝えられていたか。既に至った方々の記録だった。それさえも愚弄した。お笑い芸能界は何だったのか。黄泉はゆるしはしない。愚かへ向かって進めば滅ぶ。身心清浄及び正直こそ価値であり財産である。本来日本の目指した道である。商人根性は滅びの道である。ペリー来航以降日本の選んだ道はそれだった。故にどうにもならなくなった。彼の父方の家も母方の家も明治に没落した。本来つぶれるような家ではなかった。何故だったのか。商売が下手だったのだろうか。日本は何を選択したのだろうね。その愚かな論理は大義名分のない戦争までして国家自体をもつぶした。今も同じ下級精神の支配である。何が蔓延ったか。彼は人生も青春も失った。そして月の砂漠を旅した。探し物があった。それは見つけたという。彼でなければいえない事がある。彼であるが故にいえる事がある。証明は済んでいる。ふざけるのは此処までだ。再び君が代斉唱である。国旗を揚げよ。応神天皇だったろうか。よく神社に祀られている。何故か。民のために積極的に経済政策を実行した。大陸から新技術を導入した。庶民の幸せのためだった。大義名分はそこにある。征夷大将軍も目的はそれだった。即ち庶民解放。神風が吹く理由である。何をして来たのか。何をしているのだ。自己保身の政治も経済もあまりにも見苦しい。愚かな芸能は嘔吐である。本来日本は軽薄を好まない。民法化した行政は世襲化した。身分に安住する者たちの精神も腐った。淘汰されるよ。宇宙はフォトンベルトの嵐である。復活するべきは何か。精神である。武士階級には少なくとも精神修養があった。商人根性の与り知るところではない。付け焼き刃では魂は斬れない。



2008年08月02日
この世からの土産はあるか
時は流れて今を迎えている。思えば無意味な日々があった。それも無駄ではなかった。富士は何故高いか。裾野があるからである。人生に無駄はない。やがて時が来て、全てが意味を持つ。人生は旅だと喩えられる。どのような旅だったのだろう。可愛い子どもには旅をさせよ。どのような旅をさせるのか。祖先の辿った道がある。その続きだった。自分探しの旅ともいえる。宝探しの旅ともいえる。何を探すのだったのか。多くの人はそれさえ知らない。そして刹那的な浮き世を人生だと思っている。真実はあるのだったろうか。探そうともせずに年老いる。これが哀れだった。この人生を何に捧げるべきだったのか。明らかとなった。真実真理だった。それはあるのだろうか。ある。それは何だったのだろうか。見つけたものでなければ解らない。説明不能である。説明しても理解できない。およそ見当違いの解釈をする。むしろ否定する。知らないからである。貧乏人は金持ちの世界を知らない。それはないのかと思う。およそ想像を絶する。妄想の世界である。金持ちは金持ちの世界を知っている。しかし真実真理の精神世界は知らない。求めるべきは何だったのか。素直さだった。子どものようなそれだった。やがてこの世を去る。その時、この世からの土産はあるか。何をこの世で得たのか。あの世へ何を持って帰るのか。考えても良い事である。あまりにも知性を愚弄した。それが人生だと思ったね。今からでも遅くない。取りもどすことは出来る。何度でもいう。原爆の火を以てしても根絶やしに出来はしない。護り抜かれたものがある。皆の所得となった。姑息な一部の利益階層のものではない。正直真面目を以て旨とする庶民のものである。それは何だったのか。黄泉の導き、天の守護。庶民の解放は旧約聖書の目的だった。本来日本へ帰る。何処へ帰るのか。思い出すが良い。あなた方のDNAは知っている。家康の旗頭は厭離穢土だった。江戸無血開城の後、裏切ったのはそれだった。古来大和の精神だった。唯自己利益追求商人根性は本来日本人の精神の好むところではない。諸価値を破壊して顧みない市場原理主義商人根性成金セレブの支配は終わって頂く。日本は日本。未来は明るい。さて、暫く安易な時代だった。それで例えばお笑いが跋扈している。何処が面白いのか解らない。むしろ辟易する。お笑いが脚光を浴びている。それはそれで良い。しかしそれ故に本当に大切な何かまで笑いものにしてしまった。そして破壊した。それを何時までも看過できない。取りもどすべきものがある。世のミュージシャンの多くは何故ギターを手にしたのだったか。異性にもてたいが為だった。それはそれで良い。しかしあまりにも精神は貧困ではなかったか。お笑いもそうだった。種として生存競争がある。彼らが跋扈した事によって何の生存が脅かされているのか。考えるべき所である。ないがしろにされていたのは何だったか。知性である。音楽にも得手不得手がある。お笑いにも得手不得手がある。知性にもある。それぞれが得手で生きればいい。他の生存を脅かしてはいけない。それぞれに生きればいい。それでそれぞれが幸せである事を目指す。野蛮な時代は終わった。弱肉強食を以て経済行為とするか。チラノザウルスが現れるとひとたまりもない。それが恐怖政治であったり、軍事独裁であったりする。そうした傾向が動物性である。それでは不幸になると知って、社会契約がある。何か勘違いしていないか。まだわからぬか。異性にもてるのは何故であるか。唯面白ければもてると思ったか。それが芸能界の傾向である。登山家はそこに山があるから登る。芸術家は美を純粋に表現したくて技を研鑽する。そこに価値がある。お笑い芸能界の何処に純粋な価値があるというのか。誰もが賢くなりたいと思っている。誰もがスポーツ万能になりたいと思っている。異性は相手に自分にないものを求める。生命進化の本能である。賢くなればいい。スポーツが出来ればいい。人間である限り、神の万能はない。そして自分を基準に好き勝手いっている。それも無理はない。生命維持本能である。しかしそれをそのまま正当化するには受忍限度がある。規制緩和は何を意味しているか。永遠に強いものが勝つ。権力は権力によって滅び、武力は武力によって滅ぶ。金力も金力によって滅ぶ。どういうことか。必ず次の強いものが現れる。それでいいのだろうか。それが人間であるか。此処まで進化した人間のいう事であるか。山田無文老師はいっておられた。人間性人間性といって動物性を前面に出している。それで良いのだろうか。取りもどすべきものがある。それは何か。知性とその判断である。自分が解らない事を以て知性を否定する自由はない。不幸になるに決まっている。幸せになりたいよね。もっと謙虚にならないか。これ以上の愚かさと野蛮の増殖を控えたいと思わないか。そのために社会契約があったのではないのか。自由は自由である。しかし他の自由を奪う権利はない。知性の生存を脅かす自由はない。どちらの判断が幸せに近いのか。お金があれば何でも買えると思っているのか。知性の尊厳は奪えはしない。日本には日本の知性がある。日本の知性は愚かさを好まない。何が跋扈したのか。何を裏切ったのか。古来大和及び黄泉は何時までもゆるしはしない。戦後日本、本来の自由を履き違えた事実がある。隻手の音を聞く事だ。何をしても良い。黄泉にももてるよ。黄泉が動く。制度も後からついてくる。本来自由とは何だったのか。古来日本は知っている。それが天津神、シャーマンの系譜である。暫く見失われたものはそれだった。聖徳太子も空海もそうだった。知らない事を以て否定した。或いは愚弄破壊無視粗末にした。或いは裏切った。取りもどす頃となった。何を取りもどすのか。時は来た。ところで物事には縁起ということがある。古くから縁起絵巻が伝えられているのはその重要性の故である。今お金持ちである方々に問う。その縁起に悔いはないか。そして今、いくら社会的に価値のある仕事をしておられても、その縁起が悪ければどうなるか。何時か因縁が吹き荒れる。そういう時に入っている。そうした事を知らずに戦後の六十年があった。始まりが悪ければ結果何をやっても駄目である。報いは来る。仕返しはある。勝手が過ぎた。犠牲となった魂は、何時までも黙っていない。各々、年貢の納め時である。何が大切だったのか。黄泉の導き、天の守護。日月照らし風が吹く。大義名分、神風の吹く。本来日本の本懐である。彼の護り抜いたものだった。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。何時か芽吹く。知性の秩序がそのまま黄泉の秩序であった。黄泉とは祖先の総体である。本来日本はどういう國だったのか。征夷大将軍は何故であったのか。少なくとも武士には精神修養があった。商人根性の与り知るところではない。残念だったね。各々の人生がある。知る時が来た。救いはないのか。有る。彼はそれを探していた。そして確かなそれを見つけているという。しかし世間巷は耳なし法一であるか。故に思うようになりはしない。地獄である。火宅である。それが人生であり、大人になる事だという。子ども達が可哀相だね。そろそろ本気で逃れる事を考えないか。それぞれの花を咲かせる事だ。それが平等だよ。そして自由に生きればいい。そのためには過去を反省する必要がある。花と咲く時、蝶も来る。夕日には夕日の良さがあるといったのは山田無文老師だった。怖れるものなど何もない。不安もない。何故ないのか。課題は解くためにある。一つの課題を解き終えて次の課題が来る。おわりはおわりではなく亦はじまりである。第一義は仏が説いておられる。素直に従えばいい。人生は楽しい。未来は明るい。何を思いあがっているのか。何を勘違いしているのか。問わねばならない時が来た。謎は解かれた。分を超えんとして超える事が出来ない人間の悲しみに気づいたのは小林秀雄氏も下書きなしで心の赴くままに文章が書けるようになった晩年になっての事だった。何が蔓延ったのか。そして今、日本はどうなったのか。これで良い理由がない。各々分際を知るべき時が来た。敵を知り己を知れば百戦危うからず。最終最後最大の敵は自分だった。これを倒すとどうなるか。如来が御手で頭を撫でてくれる。即ち日月照らし風が吹く。この世からの土産はあるか。この世に生まれた意味は何だったのか。過去を正して未来に流す。祖先供養もそうだった。祖先を喜ばせる事だ。祖先は何を喜ぶだろうね。神仏も喜ばせる事だ。必ず守護がある。忘れていたね。忘れていただけだよ。思い出せばいい。全ての経験はDNAに刻み込まれている。未来は明るい。自分が変われば世界が変わる。何時までも同じ所にとどまっている理由はない。何故埋没があったのか。自信を喪失していた。喪失していたのである。それほどの戦後だった。それはペリー来航以降の帰結だった。一つの時代が終わった。もう復活はないのかと思われた。しかしそれも試練だった。神々も契約を破ればワルハラ城は焼け落ちる。契約とは何だったのか。庶民の解放と幸せ実現ではなかったか。自覚を要する。復活はある。それも示された。日本は大丈夫である。滅びはしない。未来に伝えよ。新しい時代である。日本は今、世界に真実の合流を果たす。そして重要な使命を果たさんとする。暫く埋もれた知性が復活する。本来日本を取りもどす。日本は何を以て今も昔も黄金の國であるか。明らかとなった。その為の戦後六十年があった。人生に無駄はない。何時か必ず全てが意味を持つ時が来る。その時が来た。謎は解かれた。これを以てこの世からの土産とする。黄泉もさぞ喜んで居られる事であろう。腐敗も試練だった。蓮華は泥に咲く。前世がある。来世がある。久遠の神仏は既にお出ましである。幸せはある。