2008年07月30日
世間の誤解
世間の誤解は何処から来るのだろうか。誰が言い始めたのか知らないが、それがいつのまにかその人の意見となっている。自ら研究した結果ではない。それが世間の誤解となり、偏見となっている場合が多い。哲学によると、知識と認識の区別がある。知識はそのままでは役に立たない。一度自分の内面を通して納得したものが認識である。認識となって確信ともなる。それは経験であるともいえる。ところが世間の意見は知識にとどまる。或いは知識以前の感情にとどまる事もある。それが常に正しいのかどうか。その辺りを反省する必要があるのではないか。この辺りから、お笑い芸能界の横暴もあり、衆愚化に陥る。そうした現実に気づいていないのではないか。それでも自分たちの方が正しいと思っている。研究した結論をいおうとすればどうなるか。総スカンの袋だたきにあう。肩書きがない場合など悲惨である。それでいいのだろうか。知性に対する謙虚さを忘れるとどうなるか。自覚した知性には一休髑髏もある。これで日本の男が良い筈がない。あまりにも真実を知らない。自分たちに都合が悪いという理由でむしろ真実を愚弄破壊する。どうしてこのような世の中となったのか。ペリー来航以降、西洋化を急いだからではなかったか。日本の本懐まで葬り去った。しかし根は腐っていない。何時か芽吹く。日本は日本である。本来日本はどういう國だったか。思い知る時節も来る。十分に復活した時、その思い出し開発した力は何だったか。聖徳太子も空海もその本質はシャーマンだった。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密がある。その精神は身心清浄及び正直を以て旨とし、その知性は愚かではない。その結実が武士道であり、大和魂だった。明治以降暫く跋扈した諸価値を破壊して顧みない市場原理に基づく自己利益追求主義商人根性は、何を愚弄無視粗末破壊し、裏切ったのか。政治も彼らのためにあった。さて、昨夜、NHKでマニラ戦の特集を見た。改めて思った。何と馬鹿げた作戦の戦争だったのか。古来大和の戦ではない。下級精神の愚かさを思い知った。明治の頃、文明開化を急いだが、西洋に追いつくには百年かかるといわれた。その間、条約改正もあった。戦争もあった。ところで、日本の応用技術は定評があり、それで良いのであるが、数少ない家電機器発明品の中でビデオがある。その方式争いは別論として、このビデオデッキの恩恵を国民的に享受する前に、どのレベルで普及したか思い出すが良い。そうしたものである。西洋文明の優れたところを本当に日本も享受するには時間がかかる。それは例えば騎士道精神であったり、クラシック音楽であったりする。それらが定着するまでに先ずどのレベルが世に広まるか。英雄は遅れてやって来る。真に日本は世界に合流する時を迎えた。西洋文明もこの時を待っていた。人類としての進化傾向がある。乗り越えなければならない課題がある。その意味では常に戦いである。知性の勝利する時節を迎えた。何時までも埋没していない。知性が自覚するとどうなるか。日月照らし風が吹く。黄泉の導き、天の守護がある。それが知性の輝きである。自覚を要する。自覚する時が来る。どうしようもならない。真実である。日本国憲法前文が成就する。それは何だったのか。二十世紀の人類の知性の祈りだった。腐敗も必要だった。蓮華は泥に咲く。これより蓮華の前に化生である。日本の知性達よ、起立せよ。日本は本来唯お笑いに興じるべく愚かで野蛮な國ではない。芸能は芸能である。芸能人は何かを誤解している。商売根性と結託して日本をどの色に染めたのか。これ以上、日本を腐敗させはしない。日本の色を塗りかえる。本来の日本に帰る。警察官は警察官職務執行法第七条を想起するべきである。本来日本を取りもどす。履き違えた自由は自由ではない。自由を破壊する自由はない。自由は社会契約を尊重する。自由は市民革命を通っている。国民主権、主権在民。日本国憲法プログラム規定成就。


2008年07月29日
黙って一隅を照らす
彼が何処の何者であったのか。そしてこの世で何を確認したのだったか。もはや謎となった。そしてそれは現代に於いては、多くの人にとってはどうでも良い事であり、むしろ都合が悪く、迷惑な問題であった。彼によると、かつて日本にはそれがあった。そしてそれ故に秩序も保たれていた。それが破壊されたのはペリー来航だった。その後、日本も西洋化を急いだ。その間、本来大和の戦ではない、茶色い戦争もした。それでも気づけず、時代は此処まで流れた。そして今、どのようであるか。誰もがその原因がわからない。無理もない。全ては前世からの問題である。この辺りで見直さねばならないだろう。何を見直すのだろうね。人類の平和と福祉のために取りもどすべきものがある。本来日本はどのような国だったのか。何故に黄金の國だったのか。少なくとも日本人は精神修養を好んだ。商人根性を嫌った。今はどうだろうね。どのような考え方に染まったのか。カルバン以降の利益追求である。それでどうにもならなくなっている。子ども達の教育も破壊されてしまった。これで良いのだろうか。萩本欽一氏に問いたい。日本の男は本当にこれで良いのだろうか。彼は護り抜いたという。それは何だったのだろうね。認めたくないね。そういう世の中だ。しかし彼は生まれた時から並はずれた優れた知性を持っていた。その彼が見つけたという。きっと間違いないのだろう。世間は認めようとしない。いってもわからない。救いはあるという。彼は心に決めたようだ。何をいっても駄目かも知れない。であるなら、何もいわないに限る。諦めるわけではない。暫く黙って一隅を照らす。そのうち話がわかる人も現れるだろう。日本は祖先が護る。滅びはしない。何時までも無価値な勝手は通らない。愚弄粗末に出来ないものがある。


2008年07月27日
幸せになろうね
思い通りにならないね。思い通りとなる事が幸せだね。人・モノ・お金が寄ってこない。何故なんだろね。努力の外であるかのようにも思われる。いくら能力があっても。誰が悪いのだろうね。人だろうか。社会だろうか。親だろうか。国家だろうか。実は、悪いのは自分だった。どういう事だろね。例えば、いくら学問のある僧でも、傲慢だったらどうだろうね。人は話を聞いてくれるだろうか。修行するべきはそこだった。人を変えようとしていなかっただろうか。自分以外を責めていなかったか。変わるべきは自分である。自分が変われば世界が変わる。話を聞いてもらえる。尊敬もしてもらえる。この世は十分に満たされている。知足ということがある。必要以上に貪っていなかっただろうか。経済行為という名に於いて。こうした傾向が人間にはある。その原因は何だろうね。過去からの習癖だね。それを因縁といっていい。因縁が出てきたら、人間は勝てない事になっている。それで思い通りに行かない。努力してもどうにもならないものがある。これを無視していた。持って生まれたものがある。良いものも悪いものもある。過去から自分が持ってきている。前世はあるよ。来世もある。過去に原因がある。これを謝らねばならなかった。傲慢な自分がいた。代々のものだった。これでは幸せになれない。ここを解決しなければならなかったんだね。そして再び、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。しかも黄泉の導き、天の守護がある。皆平等に幸せになって良い。過去に犯した罪がある。それがこの身と心に帰ってくる。謝るしかない。謝ればいい。愚かでは至れない。罪を重ねるだけだね。方法は仏さんが知っている。仏さんは過去・現在・未来を知っている。その意味で謙虚にならないといけない。人間である限り、悪である。仏さんとの縁から始めるしかない。それで足りる。本来日本はそれを知っていた。何時の頃からか見失った。文明開化は西洋化と思ってそれを急いだ。その過程で愚かな戦争までしてしまった。あれは古来大和の戦ではない。大義名分がなかった。本来日本はどういう國だったのか。日月照らし、風が吹く。大義名分、神風の吹く。正直こそ財産だった。欺罔の支配する世の中となった。大切な何かを見失って久しい。思い出す頃となった。西洋はこの東洋精神を知らない。懺悔して幸せとなる。傲慢では人は寄ってこない。素直で良かったんだ。そしてそれぞれ本分を発揮して生きていく。それが出来なくなっている。何故だったんだろうね。本来日本を取りもどすしかない。それは各自の自覚を要する。そういう時が来たんだろうね。鳥のように羽を持った幸せな人もいる。その様な人は貪りはしない。小鳥には日々の食は与えられている。誰もが幸せになって良い。誰もが幸せになれる時代となった。彼も気づく頃となった。彼の三十有余年の原因は何だったのか。彼自身の中にあった傲慢さだった。反省する頃となった。これで彼も幸せになれると良いね。愛する人が現れると良いね。能力も発揮する事がゆるされるだろうか。これで自由になれると良いね。花が咲く時、蝶が来る。蓮華の前に化生である。蓮華のような人がきっと現れるだろう。おだやかさでよかったんだ。時代は推移した。もはや野蛮ではない。それぞれのプロセスがある。辿り着くのは何処だろうね。幸せになろうね。きっとなれる。あまりにも物質文明に毒された。とりもどすべきものがある。本来日本の精神である。何を気にしていたのだろうね。どうして自信を失っていたのか。それは優柔不断の自分がいたからだった。それが戦後だったのかも知れないね。十分に祝福されていたのに満足できない自分がいた。何時も両天秤に掛けていた。これでは分裂するに決まっている。一つの事で良いんだ。一人の人で良いんだった。そして最近、また新たに見せられた。それは何だったか。結構でたらめな人生を歩んでいるね。祖先も含めて。これでは子孫が不幸になるに決まっている。親の所得した性癖が子孫に現れている。これが因縁となっている。謝るべきだね。これは亡国の性癖となる。カラカラ浴場だね。しかし健全な魂もずっといるよ。ステージを変えよう。本来自分の住める世界へ。そして幸せになろね。これを以てお笑い芸能界の価値はなくなった。時代を見極め、定めなければならない。彼の仕事だった。日本は動き始めた。失われた自信が回復された。彼は彼で良かった。日本は日本で良かったんだ。これで幸せになれる。間違いない。一つの事に賭けよ。一人の人を愛し通せ。裏切らない事だ。その為の心を決めよ。失っていたのはそれだった。仕事も恋愛も必ず成就し、その時、幸せだね。


2008年07月26日
男と女
あるところで若いカップルがいた。女は大胆にそれとなくモーションをかける。男はそれに気づけない。女は知っている。花の命は短い事を。男はそれに気づけない。女の不思議がある。生命体として。心は何時までもそこにはない。女は急ぐ。何を急ぐのだろうね。花と散る時が来る事を知っている。それまでに相手を見つけなければならない。男ほどこだわりはない。男はそれに応じればいい。そして確かな家庭と家族を作ればいい。しかしながら、意気地のない男が多い。心を決めればいい。所詮人生、共に歩む相手が必要である。その人とこの世の生を全うすればいい。テレビ芸能界の不倫傾向などに惑わされない事だ。それにしてもテレビ界の罪は重い。それを自由とはいわせない。さて、彼は護り抜いたという。それは何だったのか。荒城(向上)の月或いは古来大和の知性だったか。うつけもの或いはたわけにはわかりはしない。暫く何が蔓延ったか。精神的向上心のないものは馬鹿だ(漱石)。しれ(愚か者)は迷い、しらねは迷う、法の道、何が仏の実なるらん(至道無難禅師)。小人閑居して不善を為す。欺罔商人根性の支配は終わって貰う。古来大和武士道精神は身心清浄及び正直を以て旨とする。本来正統日本は滅びはしない。低い精神で解釈を誤った。加藤隼戦闘隊の大和魂は大和魂ではない。神風は吹かなかった。本来武士道大和魂大義名分、神風の吹く。何故に神風は吹くのか。黄泉の導き、天の守護。属性なくんばわかりはしない。何を愚弄無視破壊粗末裏切りし来たる哉。何を根拠に勝手し来たる哉。答えるが良い。尊祖父桑原千畝は何者だったか。安芸の國広島藩鯉城城代家老と聞く。広島には広島心学もあった。史をよみ文ならなくのことどもを涙と共にゆるし居りぬる。各々勝手がすぎた。あまりにも戦後だった。さて、法華経宿王家、一切種智慧。思い知る頃となった。制度が後ろからついてくる。そうした境界もある。唯、自覚を要する。父もそうだった。祖父もそうだった。しかし彼には苦難だった。戦後の故だった。しかし日本は日本である。もはや容赦しない。どういうことか。これより明らかとなる。自覚は成就した。古来日本本来の秘密は解かれた。あなた方の勝手は此処までである。既に犯した罪がある。首を洗って待つが良い。成金セレブに用はない。本来日本復活。


2008年07月25日
急がねばならない
彼は急がねばならないといっていた。何を急ぐのだろうね。それにしても知らされていなかった。その様な事とは知らなかったという。何を知らなかったというのだろうね。彼は祖父を知っていた。祖父を見ていた。父を知っていた。父を見ていた。十分に祖父からも父からも教育されていた。しかし気づけなかった。それほどまでに戦後だったのか。その間、何が蔓延ったのか。もはや言語道断。証明は済んだ。全ては準備されていた。彼の自覚を待つばかりだった。それなのに、気づけなかった。しかし気づいたという。これは遅すぎたのだろうか。急がねばならない。何を急ぐのか。早く解答するべきである。彼は既に謎を解いている。最後の切り札が彼だったのか。笑うしかないといっていた。もう失われたのかと思われていた。故に腐敗したというのか。彼を見捨てた財界の罪は重い。どう償うのだろうね。楽しみである。彼の正体を知りたいのだろうか。知りたくはあるまい。所詮知り得べきもなかった。属性がなかった。仏も命乞いするとでもいうのだろうか。彼を本気にさせない方が良い。勝手が過ぎたという。何がいいたいのだろうね。それが通るとでも思っているのだろうか。彼はいう。話にならない。思い知らせる事も出来る。彼がするのではない。黄泉がする。狂ってるね。天津神。國津神。主はいる。それを無視した事実がある。神は腐敗を好まない。何をし来たる哉。権威という事がある。名誉教授とはなっても権威とは呼ばれない。祖父は工業教育の権威だった。何を以ての故であるか。言葉はロゴスである。誰の言葉もロゴスではない。彼は祖父の天才を知っている。父は予科練の教官もしたといっていた。その真偽は明らかではない。しかしそうであったのであろう。古来大和の秘密である。空海もその本質はシャーマンだった。年貢の納め時である。目覚めるべきが目覚めた。勝負にならない。大鏡という事がある。何を以ていうのか。浄瑠璃がそうである。長唄がそうである。歌謡曲もそうである。映画もそうである。インスピレーションは知ってるね。エクスパイアレーションもある。それが大鏡だ。わからないね。でも、そうだ。彼はいっていた。不思議な経験がある。今となっては不思議ではない。気づくべき頃である。このブログは直筆大和古来一級の謎である。この度、チラノザウルスの子どもの化石が発見された。まだ刃向かうと申すか。それならそれで次がある。仏陀はスッタニパータで雨よ降りたければ降れといった。その真意を知る者はいなかった。どういうことか。雲は龍に従う。本来大和、何時までも愚弄できない。幸せになろうね。幸せはある。幸せになれる。その証明は得ている。美しい風景が待っている。日月照らし風が吹く。黄泉の導き、天の守護。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。真実平和、アメリカの祈り。最も安堵しているのはアメリカである。古来大和純粋精神、その種は遺されていた。そして大輪の花を咲かせた。欺罔商人根性の知るところではない。本来大和魂復活である。本来日本は神国だった。何時かその流れを見失っていた。これを取りもどす頃となった。日は亦昇る。誰もが幸せになって良い。古来正統日本の本懐だ。日本の目指していたものは何だったか。野蛮無知蒙昧無価値なお笑いではない。唯仏是真。彼は仕事をした。彼を宜しく頼むね。ピンクフロイドの『エコーズ』のテーマはおせっかいだった。これを聴いて涙した頃が懐かしい。真実日本の夜明けである。明治の条約改正及び大戦の悲劇があった。これを克服する。原爆を以て戦争の愚かさも克服した。真実日本、愛と平和、真に世界に合流する。開門である。

色々と書いてきたけれど、アゲハチョウは蝶となればいい。蝶となる事で、幼虫の頃も、サナギの頃も報われる。汚れていては蝶にはなれない。それだけのことだね。人生に勝つとはどういう事だろうね。テレビタレントの知るところではない。彼らの悲しみはきっと深い。そうしたものだよ。それならそれでいい。この世は素晴らしい。生きるに価する。どのような悲しみの中にも、それと同等か或いはそれ以上の喜びの種を宿している。伝えるべきはそれだった。それ以上でもそれ以下でもない。尊にして過剰なし。仏には仏の思いがある。それでいい。解るものは解る。解らないものには解らない。永遠にね。裏切られたって良いじゃないか。裏切るよりは。そしてこの世に生まれた事を感謝しよう。人生楽しむにしくはない。我と来て遊べや親のない雀(一茶)。彼は資格を得たのだろうか。これまで自己主張をする事は控えていた。彼が彼自身の存在価値を否定していた。しかし糸車の針は抜かれた。何をいっても良いのだろう。言論の自由である。表現の自由である。職業に貴賤はない。精神的自由は絶対である。自由を否定する自由はない。履き違えていたのは此処ではなかったか。暴走族に彼らが破壊する部分に於いての自由は保障されてはいない。詐欺師は何時までも詐欺師である。暴走族は暴走族である。負けていた。騙されていた。気づくべき時である。何に気づくのか。黄泉の導き、天の守護。日月照らし、風が吹く。生きていて良かったね。この世の春を迎えた。長い冬だった。自分が自分を咲かせる。困難もある。試練もある。咲けばいい。咲けばわかる。全ては君のためにある。信じるべきは自分だった。本来日本天津神、その属性は何だったのか。何故裏切られたのか。その理由も明らかとなった。復活の頃である。日本は大丈夫である。正直者の頭に神は宿る。忘れていたのは何だったのか。明らかだね。正直だ。正直である事で、己の本分が生きる。他に道はない。嘘は要らない。パフォーマンスも偽善である。ありのままで良い。ビートルズの Let it be が最もよく売れたのは日本だった。ビートルズはインドに赴いてラジニーシに会った。そして出来たのが Let it be だった。何かを忘れていた。何だったのか。第一次世界大戦が終わった時、アメリカ大統領ウィルソンが国際連盟を提唱した。しかし議会の反対があってアメリカは参加しなかった。アメリカの本質はモンロー主義である。ペリー来航は何だったのか。論理は原爆と同じである。反省はない。しかし何時か反省を余儀なくされる。チラノザウルスが現れて恐竜の時代は終わった。種としての平和的存続に於いて限界に達したのではなかったか。チラノザウルスが悪いのではない。そのように進化した。しかし生命体として目指していた進化傾向に反した。目指していたのは何だったのか。恐竜としての幸せではなかったか。万物の霊長として今、人類が幸せを目指している。試されている。何が試されているのだろうね。愛と平和だね。さてどう生きるべきか。明らかとなったね。幸せになろうね。愛と平和を手段として。愛とは何だったのだろうね。平和とは何だったのだろうね。市民革命を通っている。私たちの時代だ。埋もれていた正直な知性たちよ、立ち上がれ。君たちの時代が来た。そして喜びの歌を歌おう。急がねばならない。彼は仕事をしたという。何をしたのだろうね。何と取り組んでいたのだろうね。全体の趣旨という事がある。知る人は知っている。黄泉が知っている。日本を救ったのかも知れない。それほどの仕事だったのかも知れない。子どもの頃から彼は何と取り組んでいたのか。或いは取り組まされていたのか。何が代償だったのか。悲しい事は悲しい。酷といえば酷だった。彼にしか出来ない仕事があった。既に成就した。事実である。人間として或いは日本人として彼の人生があった。


2008年07月24日
真実真理
何が真実真理だったのだろうね。彼は神仏の実在だといっていた。神仏とは生命体の始まりであり、終わりだともいっていた。つまり最終目的だった。生命体の進化はアメーバから始まって、人間に至っているかのようである。しかし本体は魂で、それは宇宙とつながっている。やがて宇宙に帰る。この世に生まれる時、発生は生命進化をそのままトレースする。過去世がある。未来世がある。この世は魂の百代の過客といえる。仮の姿である。この世で何をするべきだったのか。過去を反省して未来に流す。それは祖先を正すことでもあった。自分が変われば世界が変わる。墜ちていくのが人生ではない。勘違いしている方が多い。さて、さらに向上する魂もある。そして何処に至るのか。全ては縁次第であり、持って生まれたものもある。さらに開発するべきは何だったのか。低いレベルで殺戮を何時まで好んでいるか。地球も何時までも有りはしない。太陽だってそうだ。ゴールは何だったのだろうね。神仏だった。どのようにして至るのか。既に至った方々がいる。そして道を遺してくださっている。それが仏道だった。天国への階段といっても良いのかも知れない。過去の自分を知って反省する。そこより始めなければならない。そしてどのような自分になりたいのか。それがビジネスにおける目標設定のテーマでもある。どのような人生を送りたいのか。人間的である限り、悪から逃れることは出来ない。故に神仏との縁を要する。これが宗教であったりする。ところが宗教自体が世俗化している。これでいいのだろうか。かつては宗教改革もあった。教会が免罪符などで腐敗していたからだった。宗教も腐敗する。東本願寺の財産的な争いは何だったんだろうね。或いは、巷の宗教家はむしろ庶民より物質的に恵まれた生活をしている。それが宗教だろうか。道元の説いたのも貧学道だった。さて、真実真理とは何だったのだろうね。彼は大鏡だよといっていた。どういうことだろうね。一休髑髏ともいっていた。よくわかんないね。粗末にするべきでない存在がある。しかしそれを認めるのは都合が悪い。大切にすると良いらしいよ。何故だろうね。黄泉が喜ぶ。お金も地位も名誉も何処から来るのだろうね。自分の力だと思っているのかな。だから、不安から逃れることが出来ない。感謝もない。尊敬もない。相手を喜ばせることだよ。祖先を喜ばせることだよ。仏さんを喜ばせることが出来ると良いね。きっと幸せになれる。何を喜ぶのだろうね。研究のしどころだね。所詮この世はどのようにできていたか。人間科学の及ぶところではない。魂と宇宙自然生命黄泉は連動している。それを知って、畏敬の念も生じる。およそ欺罔とか暴力とかの悪は為せない。故に暴走族的テレビ界及びお笑い芸能界に用はない。何時までも諸悪は増殖できない。何が蔓延ったのか。我の力にあらず。どのようにして幸せとなるか。永遠の課題である。しかしとてもシンプルで簡単なことでもある。人間の計らいの及ばない世界がある。世界はそのように出来ていると認めればいい。思いあがりはないか。知らないね。知ろうとしない。故に愚かだった。知性がある。やがて何を知るのだろうね。何世代を要するか。過去からの因縁がある。悪が積み重なった。それでどうしようもなくなった。解決する方法はある。探してみないか。経験してみないか。未来は明るい。この世は嬉しい。どのようにして至るのか。至ることは出来るのか。信を以て入るしかない。喜び世界はあるよ。確かにある。美しい風景が待っている。それも大鏡だった。信じて良いよ。パスカルもそれを知っていた。思うようにならなくなったね。何故だろうね。何事も自分次第だよ。親が悪いのではない。社会が悪いのでもない。自分が悪いのでもない。或る意味で全て過去からの因縁だ。これを解決する必要がある。その時を迎えたのだろう。その方法はある。何処にあるのだろうね。伝えていかなければならなくなったね。仏の真実がある。それは何だったのか。我が力にあらず。仏の威力による。自分が変わることで世界が変わる。思い通りの世界となる。心地よい世界となる。やがて地位も名誉も財産も帰ってくる。何処から帰ってくるのだろうね。祖先からだ。過去に於いて奪っている。だから奪われる。六道輪廻。思いあがっていないか。その時、墜ちる。神々も墜ちる。契約を破れば、ワルハラ城も焼け落ちる。何が大切だったのだろう。この世の全てだよ。雪隠からも後光が射す。エゴイズムが過ぎた。経済はとてもエゴイズムだ。利益を上げることが会社の目的で、それ以外にない。誰が決めたのか。会社はそもそも何だったのか。金持ちが財産の一部を差し出して、それで利益を上げる。その時、損失が発生したとしても有限責任である。即ち、金持ちの財布に過ぎない。都合がよ過ぎはしないか。そのためには、よく教育された従業員を使用する。その従業員はどれだけ知性があっても、金持ちにはなれない。そういう仕組みである。テレビ界はいくら大きなことをいっても駄目である。何故だろうね。庶民を犠牲餌食にする側の加担者であることに変わりない。何処かに欺罔がないか。仏は一切大衆を救うという。一切大衆とは庶民である。一部の利益追求がどうなったか。地球温暖化もそうである。諸価値を破壊して顧みないのが市場原理である。何時までも黄泉がゆるしはしない。何時か資源も枯渇する。何時か恐竜が滅亡するに等しい。どうしてそのようなことが起きるのか。魂の進化の過程で或る自覚がある。その時、黄泉が動く。そうとしかいえない。大反省の時が来る。人間は万物の霊長として何を目指すべきだったのか。誰もが幸せになることではなかったか。その中に自分もいる。一部の成功者に対して多くの敗者がいる。敗者はどう思っているだろうね。教育は一部の利益階層のために勤勉な労働者を目指した。それを子ども達は直観している。幸せになるために生まれている。幸せになりたいと思っている。しかしなれない方々がいる。本当の原因は何だったのだろう。過去に自分が犯した罪がある。祖先の罪もある。それを謝る必要があったんだ。その方法も自分勝手にしても駄目だ。仏さんの定めた方法がある。仏さんの宣言はビッグバンに等しい。目指すべきは何だったのか。探すべきは何だったのか。この世はどのように出来ていたのか。日本はどのような国だったのか。この世に生まれてどのように生きるべきだったのか。明らかとなった。幸せはある。喜びもある。美しい自然が待っている。日月照らし、風が吹く。相手を喜ばせることだよ。黄泉も喜ばせることだ。神仏も喜ばせることが出来ると良いね。必ず幸せとなれる。自分次第だよ。幸せになろうね。新しい時代が開かれた。これまでの価値概念は悉く陳腐化した。本当の幸福論は何処にあるのだろうね。全ては縁次第だよ。人間的である限り駄目だ。だからといって苦行でもない。何処から始めるのか。何と縁を持つのか。善とだね。善は何処にあるのだろうね。そして自分が変わっていく。方向は定まった。新しい時代である。庶民レベルで救われる時が来た。実験証明済みである。証明は多宝仏さんがしてくれる。喜び世界はある。苦悩の英雄ベートーベンもやがて至った。何が蔓延っているのだろうね。何が跋扈しているのか。どうしてこのような世の中になったのか。克服するしかないね。それは出来る。大反省の頃となった。方法はある。本来日本はどのような国だったのか。やさしさに向かって咲く花のようだったと表現したのは辻邦生氏だった。どのレベルの解釈が支配しているのか。お笑い芸能界の野蛮と無価値は何だろうね。魂と魂の問題がある。いくらいいことをいっても魂がゆるさない。テレビ界の限界である。浮かれた時代は終わった。取りもどさなければならないものがある。何だろう。日本の知性だよ。この世に生まれて時間は平等である。それを何に使うか。こうして具体的な報酬にならないブログを書いている。書かされているのかも知れない。これも仕事だ。


2008年07月23日
本当の人生
理入と行入がある。理論のない実践は空しい。器の問題がある。それぞれのことだね。自分の信じる道を歩むしかない。それで良い。何を気にしていたのだろうね。笑顔と優しさで全て解決する。本当だよ。何故だろうね。確かに、暴力と欺罔の時代は終わった。何の憂いもなくなる。どのようにしてそれを獲るか。それは可能であるか。遙かな夢だった。古来伝えられていた。信じて良いよ。確かに幸せはある。本当の人生が待っている。全てはその為に準備されていた。その道を確かに歩んだ彼がいる。未来は明るい。誰もが歩むことが出来ることになった。真実真理が明らかとなった。どんな孤独も堪えればいい。何時か夜が明ける。ハッサンが主人公の絵本があった。ある日宝が見える目薬を手に入れる。両目に施してはならない約束だった。ハッサンはそれを破った。それで目が見えなくなった。全ての財宝は持ち去られた。ハッサンは物乞いをしながら、施しを受ける度に千回、頭を撲って貰わねばならなかった。何年かが過ぎた。その日が来た。その日に目にしたものは何だったのだろうね。本当の人生が見えたのかも知れないね。或いは枯れ木に花が咲いたのだったろうか。さて、これより自分は何をしたいのだろうかと考えている。この度開発したものは何だったか。何を確認したのだったか。振り返って自分の人生は何だったのか。文学も良いかも知れない。そのための読書もしたのだったのかも知れない。音楽を聴いてその評論も出来るかも知れない。耳は確かである。短歌でも良いのかも知れない。既に学卒後、麻雀はしていない。日本プロ麻雀連盟の初段の免許が何故かある。あれは何だったのだろうね。筑間先生に法の基礎は習った。それを形にするのも遅まきながら良い事なのだろう。しかし自分の本当にやりたいことは何だろうね。白隠禅師がいた。彼は文学青年だった。彼は亦、いわゆるノイローゼも通っている。その時に克服したのは或る仙人に教えて貰った軟酥(なんそ)の法だった。『夜船閑話』の中にある。気は体内を巡る。足の裏から大地の気を吸い上げる。そのまま背中を通して頭頂に至る。顔面より流して気海丹田に落とす。この時のエネルギーが愛の周波数を帯びている。この力を感じて接する時、動植物及び岩石も喜び、日々是好日となる。即ち禅定力であるか。佛の愛であるか。日月照らし、風が吹く。こうしたことも確認した。その他、風神雷神図。いうにいえないこともある。さて、何をしたいのだろうね。日本の本懐も思い出した。日本とはどのような国であるか。世界はどのように出来ていたか。それも見極めた。佛は三世の相を知見する。蓮華の前に化生という。蓮の花は花の中に既に種を宿している。宇宙の王である。過去現在未来を同時に宿して咲いている。彼は何をしたいのだろうね。本当の人生とは何なのか。思い通りにならなくなったね。何故だろうね。代々の徳が切れたのだよ。補充するしかない。どのようにしてするのだろうね。仏さんに聞くしかないね。あすなろはあすなろである。檜になれない。明日ではない。即今只今聴法底。覿面提示。電光石火。日本の基が目覚める。自信を回復する。彼の仕事は成就した。世間での具体的報酬はない。泣いた青鬼だね。羅刹は空腹であるらしい。どういうことだろうね。日本の魂の故郷は安芸の國広島だった。彼は広島に錦を飾ったよ。見えない世界で。彼は何をいいたいのだろうね。何を証明したのか。わかんないね。何を自覚したというのだろうね。どうでもいいよね。しかし気になるね。彼はいっていた。もはや無視できない。さて、彼は本当は何をしたいのだろうね。埋もれた三十有余年はモラトリアムだったのか。それにしては長い冬だった。彼でなければ解けない謎があった。時は来たのかも知れない。伝えるべき事があるのかも知れない。十分な旅だった。それは孤独な月の砂漠だった。見つけたものは何だったのか。誰もが幸せになれる時を迎えたといっていた。その方法はあるといっていた。それは何だったのか。彼は活動を始めるのかも知れない。いよいよ、彼は具体的に復活するのだろうか。その準備は調ったといっていた。それは失われた自信の回復だった。もはや敵はいない。最終最後最大の敵は倒した。如来を獲ているのだろうか。彼はいった。日本は大丈夫だよ。ペリー来航以来封印されていた天の岩戸が開かれた。糸車の針は抜かれた。自由である。無視愚弄粗末破壊していたのは何だったのか。何を裏切っていたのか。どうしてどうにもならなくなったのか。古来大和の知性及び祖先だった。日本は日本である。思い出す頃となった。歴史はこのように流れる。皆幸せになれる時が来た。人類は此処まで進化した。もはや殺戮の時代ではない。幸せの青い鳥が帰って来た。

【アオサギ】ある日、風は左から吹いて参ります。かもめ橋を渡るといつものアオサギがいるのです。ふと目をやるともう一羽いるのです。この前見た夫婦でした。潮は今から満ちようとしています。陣取りの開始だったのです。やがてこの二羽が河口の一番南を占拠し位置を確定しました。すると一羽のカモメが飛来しました。どうも出遅れたらしいのです。少し上流にカモメの一群がすでに待機しています。羽を休めているのです。羽を繕いながら潮の満ちるのを待っているのでした。その中央に一羽のアオサギです。周りに対していかにも威厳です。しかし一羽でありました。今度は白鷺が羽ばたきました。見るとこの白鷺も夫婦でした。アオサギは水と陸を支配しています。白鷺は流れの一つを支配しています。カモメの群れは中州にいます。するとアオサギの一声。その時雀たちが河岸で羽ばたきました。後ろの方で烏が鳴きました。そしてそれぞれの声が聞こえてきました。カモメたちはみんな羽を休めています。みんな南(河口)方を向いています。まだ飛んで来るカモメもいます。準備完了でしょうか。鉄橋を下り電車広島方面行きがガタンゴトンとゆっくりと発車です。風は穏やかです。工場の音が聞こえてきました。まるで小春日和です。チュンチュン雀が歌います。そして亦一番上流には白鷺が二羽いるのでした。(2005/09/16 13:40 二河川河口にて)その後の観察で、常に風向きを向いているのはアオサギであることが解りました。そして一羽であることの意味、夫婦であることの意味、群れをなしていることの意義も。(2005/09/20)そしてある駅のモト機関区操車場で貨物列車の貨物の入替をみていました。そして機関車の一声。青い電気機関車でした。その汽笛を合図に白赤のヂーゼル機関車が動き始めました。(05/09/22)http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/aosagi.html

苦節三十有余年。十九の春があった。それは十六の頃から始まっていた。輝かしい未来があるはずだった。その後、闇の世界を彷徨った。未来などなかった。失意でしかなかった。自信は木っ端微塵にされていた。その間、何が蔓延ったのか。彼には人生も青春もなかった。失われたものは大きい。しかし獲たものも大きい。どんな悲しみの中にも、それと同等か或いはそれ以上の喜びの種がある。西洋成功哲学の見つけた結論である。真実真理とは何だったのか。彼にしか解けない謎があった。それは既に伝えられていた。進むべき道が見えてきたのだろうか。失われた三十有余年は無駄ではなかった。それも試練だった。あらゆる事象がその為に準備されていた。彼は何を見たのか。何を確信したのか。世間は浮かれている。何も知らない。地獄必定、それを人生だと思っている。逃れる道はあるのか。ある。それは何だろうね。唯仏是真。人間自ら出づること能わず。唯、善業の因縁より出でたり。人間である限り悪である。何をしても駄目である。全ては縁次第である。善は仏さんの所にしかない。仏さんとの縁より始める。善へ移行する。それ以外に道はない。そうであるのに、それが信じられない。それが人間である。隻手の音を聞くかどうか。聞けば何をしても良い。怖れることなど何もない。不安もない。それが本来無一物だった。我の力にあらず。佛の威力による。尊にして過剰なし。どういうことだろうね。それが庶民に開かれた。庶民が救われる時を迎えたという意味である。どういうことだろうね。庶民レベルで真実真理を知ることが出来る時を迎えた。それは何だったのか。伝えるべき事があるのかも知れない。そうした人生もある。既に伝えられていた。それは何だったのか。大人になって、社会に出て、自分の判断が正しいと思っている。そうだろうか。学業成績を思い出すが良い。常にどちらの判断が正しいのか。思いあがっている。お笑い芸能界及びテレビ界がその権化である。反省する頃である。本来日本に何が伝えられていたか。思い出す頃となった。彼は埋没していた。自己主張することはなかった。故に奪われた。失った。騙された。しかしそれはそのまま過去の自分の姿である。それ故、戒められていた。それも解いて貰った。この世で克服しなければならなかったのだ。過去を反省し、未来につなぐ。代々の務めがある。それを自覚できるかどうか。本当の人生はこの試練を通ってからだ。知性の秩序がある。それはそのまま黄泉の秩序である。破壊されてしまった。何が蔓延ったか。何を思いあがったか。これまではそれも通った。これからはそうはいかない。新たな理由がある。或る自覚がある。時代は開かれた。取りもどすしかない。相手を喜ばすことだよ。自分に帰ってくる。唯自己利益追求では駄目だ。何故だろうね。誰か何処かに悲しむ人がいる。全ては仏の所属だ。この身も心も。そしてそれぞれの属性を持ってこの世に生まれたどの身或いは心が幸せを掴むか。それがゲームでもある。お笑いかと思われた。確かにそれで一部の人は喜ぶ。しかし刹那的だよね。魂はむしろその空しさ及び無価値に悲しむ。それが本来求めていたものではない。本当の幸せとは何だったのか。誰もが喜びを感じることだった。それがビューティフルということだよ。今自分の前にいる君を如何に喜ばせるか。全てはそれにかかっている。即ち、君が代だ。この人生、喜ばせてなんぼのものだ。黄泉は何を喜ぶか。祖先は何を喜ぶか。考えたことがありますか。本来日本はそれを知っている。あなた方は知らない。知っていれば、このような世の中になっていない。市役所が一部世襲化されることもない。腐ったね。経済界財界もそうだ。低い精神で何を根拠に勝手し来たる哉。腐敗が人生ではない。堕落が本来日本の本懐ではない。欺罔及び暴力を克服する。時代は推移した。人類は万物の霊長として此処まで進化した。知るべき時が来た。年貢の納め時となった。本当の人生とは何だったのか。各々の問題である。自分で解くしかない。方法はある。教えて貰えばいい。何処にあるのか。それも自ら探すしかない。何時かこのような時代が来る。それを知って、その時に救われる方法を遺してくださっている。それが仏さんだった。この意味で謙虚になろうよ。神は畏るるべし。仏は誉め奉るべし。此処より始めるしかない。これまでの価値概念は悉く陳腐化した。新しい時代である。教育の目的は何だったのか。誰に都合の良い人間にしようとしていたのか。子ども達は直観している。それでは幸せになれないと。反省するべきは親である。

●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)

≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫(マルコによる福音書10-21)

≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫(マルコによる福音書10-27)

そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」の法則』p78)

だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
    書物はいくら記してもきりがない。
    学びすぎれば体が疲れる。
    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    神は、善をも悪をも
    一切の業を、隠れたこともすべて
    裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)

さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。(ヤコブの手紙5-11)≪だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。≫(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)すなわち、ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/tomiwoeruhiketsu.html


2008年07月22日
日本復活
おはようございます。本日も良き朝を迎えました。皆様ご健勝のこととお喜び申し上げます。さて、仏法に於いては縁のみとするところがあります。悪因縁は悪因果。善因縁は善因果。縁次第です。何と縁を持つか。究極は仏さんとの縁ですね。このブログと縁を持つこともきっと良いことかも知れません。何故でしょうね。秘密です。知らない人には秘密でも、知る人には事実です。精査されると良いかも知れません。正統と異端ということがあります。何が正統でしょうね。子孫を護るのは祖先です。祖先の総体が黄泉といえます。黄泉が導き、天の守護があるかどうか。正統か異端かの分水嶺ですね。暫く異端の時代でした。その間、何が蔓延ったか。明らかです。異端はどうなるのでしょうね。淘汰されます。黄泉の意思です。黄泉が動く時もあります。古来日本の秘密です。どちらにつきますか。賢明なる方々の判断を仰ぎます。道元はいいます。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふると。良い時代となりました。良い時代としましょうね。暫く失われていた日本の自信の回復です。正統日本、黄泉の守護、大義名分、神風の吹く。良かったですね。日本は復活しました。何を愚弄粗末にしたのでしょうね。古来日本の知性です。テレビ界及びお笑い芸能界の罪は罪です。懺悔するしかないですね。何時かこのような時が来る。時代は巡る。或いは歴史は繰り返す。寄せる波と引く波がある。何が真実だったのか。知る時が来る。唯佛是真。既に伝えられていた。何が真実だったのか。年貢の納め時である。真実が目覚めた。或いは芽生えた。あなた方は何も知らなかった。探そうともしなかった。知らなかったとはいえ、犯した罪は罪である。償う時を迎えた。一括請求である。全て調べは終わった。本来日本はどういう國であったか。何を裏切ったのか。申し訳ないが、証拠はそろった。観念するしかない。諸価値を破壊して顧みない唯自己利益追求市場原理に基づく経済至上商人根性の支配は終わって貰う。これまでの衆愚化を煽動したテレビ界及びお笑い芸能界の無価値は反省して頂く。本来日本は軽薄を好まない。日本は日本である。世界に於いて重要な使命がある。あなた方の自由は自由ではない。本来の自由が目覚めた。本来の日本に帰る時を迎えた。ついて来るのか来ないのか。浮かれていた方々も心を決する時である。江田島の元海軍兵学校に遺品が遺されている。その中に血で書いた遺言書がある。私たちは戦争を知らない子ども達ではない。何を無責任なことを歌っているのか。戦争を通っている。その経験はDNAに刻み込まれている。卑怯怯懦な精神はそれを否定しようとする。そして勝手する。それが自由かと思った。国家なくして自由はない。何を甘えているのか。日本は本来浮かれた精神の國ではない。本来日本に帰る。或いは取りもどす。腐った行政もその例外ではない。日本の魂の故郷を目指す。西洋かぶれに用はない。そして日本は日本として世界に貢献する。もはや殺戮の時代ではない。戦争も原爆の愚かさによって克服した。心豊かで、素直な笑顔の美しい日本が復活する。知性の秩序がある。これを愚弄無視破壊した。知らないことを以て真実を裏切った。低いレベルで時代を支配した。不幸になるに決まっている。一番にならなくて良いと歌う。所詮一番になれない。それを謙虚に認めることは良い。それを正当化し、知性を貶めることがゆるされていたのかどうか。これを取りもどして、この代を楽しみましょうね。未来は明るい。愚かさ及び野蛮より脱する。二十一世紀の約束である。誰もが幸せになって良い。その要件は定まった。日本は戦後を真に脱する。或いはペリー来航以来の闇を脱する。本来日本に帰る。日はまた昇った。幸せを告げる鐘が鳴っている。日本の基が目覚めた。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない本来大和の種がある。それが芽生えた。或いはその花を咲かせた。失われた三十有余年は無駄ではなかった。生きていたのである。死んだら終わりである。


2008年07月21日
穏やかな日々
彼の人生は何だったのか。何もかも失われた。奪われた。それも彼の運命だった。あらゆる能力を持っていたであろう。祖父もそうだった。父もそうだった。しかし埋没を余儀なくされた。何故だったのか。その謎は解いたという。そしてとても穏やかな日々を迎えている。彼の人生とは何だったのか。何故生まれていたのか。過去を反省しなければならない。それからこの世の人生が始まる。因縁が深かったか。故に試練があったのか。しかし彼は護り抜いた。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。頼朝は伊豆に流されていた。そして彼は自覚した。何を自覚したのだろうね。いう必要はない。秘密に属する。時代は推移した。彼は時代を開かねばならなかったか。それは何を要件としていたのだろう。それは果たしたという。最も安堵しているのはアメリカであろう。彼の憤りはもはやない。涙も涸れた。誰もが幸せになれる。なっていい。彼が見つけなければならなかったのは何だったか。何を確定しなければならなかったのか。このような人生もある。酷だったね。悲しいね。しかし彼は成就した。未来は明るい。これより明らかとなる。何故か。黄泉が賭けに勝利した。そして喜んでいる。これよりあなた方の勝手は通らない。彼はもはや考えることから自由となった。これで馬鹿になれるね。一番にならなくて良い。何時でも一番になれるからである。仏陀は雨よ、降りたければ降れといった。その真意は何だったのだろうね。諦めだったのだろうか。そうではない。雲は龍に従う。仏の大威神力を自覚しての故だった。人間解釈の及ぶところではない一端である。こうしたこともどうでもいい。日々是好日。これより穏やかな日々を送る。これからの彼の日々である。愛の周波数がある。動植物及び岩石も喜ぶ。これを開発し、自覚すれば、一切の愚痴はない。全て我が子であるとした仏陀の感慨がある。彼の人生は何だったのか。彼は何者だったのか。何を自覚したのか。どうでも良いね。お金はないらしい。愛する人と出会えると良いね。引き潮で失われた人生と青春が彼にふさわしく再び満ちてくると良いね。穏やかな日である。この穏やかさは何か。彼は何をしたのだろう。彼は何者だったのか。知る人は知っている。周囲巷は知らない。カラスは知らない。彼はいった。伝家の宝刀を抜いただけだよ。それは何だったのか。敗戦で折られた螺鈿の槍であるか。それは伝えられていた。彼は何も知らされていなかった。大和の秘密だったのか。何時かこの時が来るというのだったのか。何を背負わされていたのだろう。代々の掟である。暫く何が跋扈したか。故に埋没した。一度折れた骨は強くなる。故に試練があったか。何時か本気に成らねばならなかった。時代はこのように開く。天の岩戸はこのようにして開く。彼にしかできないことがあった。時を待った。育まれていた。その時が来た。それだけのことだった。父は知っていたに違いない。祖父も知っていたに違いない。この定めを。彼は父を知っている。祖父を知っている。誰も知らない。ある日父はいった。お前は大丈夫である。私の子である。私もお前と同じだった。彼はこの世の務めを果たした。弁慶の薙刀及び日の下一の槍は何処に隠されていたか。或いは空海の金剛杵は何処にあったのか。黄泉の導き、天の守護。聖徳太子は四天王を使って政をした。西の高野山は野呂山である。一休髑髏ご用心。時代は無事開かれた。代々古来大和日本純粋精神裏ジャック、任務完了。この代を楽しみましょうね。ある日父はささやいた。彼は逃さなかった。何だったのか。御名御璽。


2008年07月20日
新しい時代を迎えて
彼は能力があった。しかし埋没した。何故だったのだろうね。自信を喪失していた。どうして自信を喪失したのだったか。全ては十九の春だった。存在として無価値と思われた。誰もそう思っていなかった。誰も彼のことを心配しなかった。彼がどのような重荷を背負っていたか知る者はいなかった。それも試練だった。乗り越えなければならなかった。彼が乗り越えることで、誰もが乗り越えることが出来る。黄泉の賭だった。日本を救うだけの試練だったのかも知れない。彼はあらゆる能力を持っていたのかも知れない。成ろうと思えば何でも成れたであろう。此処が人生の難しいところだった。黄泉の悪戯だったのだろうか。それとも彼には使命としてであったのか。宿命というにはあまりも酷だった。それほどの人生を既に歩んだ。その間、彼は求め続けた。何を求めていたのだったか。真実真理だった。彼の至り着いた真実真理とは何だったか。神仏の実在とその教えだった。彼は理解した。概念としてではなかった。仏さんとの縁を頂いて少なからず行もさせて貰った。教えは教菩薩法だった。個人的な読書は積んでいた。難解な書物を渉猟していた。故に理解した。探し求めていたからである。ニュートンがリンゴの実が落ちるのを見て万有引力を気づいたのは何故だったか。それまで幾人の人がリンゴの実が落ちるのを見ていただろう。しかし万有引力を発見したのはニュートン一人だった。シュリーマンもそうだった。誰もが物語だと思った。シュリーマンは真実だと思った。そして歴史は証明された。そうしたものだよ。学者の仮説による推論ではどうにもならないものがある。それでは法華経はわからない。何故だろうね。学者の出発点は疑いから始まるからだ。故に人間であることの限界を超えることが出来ない。人間としての思い上がりがある。女神がベールを脱ぐことはない。真実真理へ至れない。真実真理は信を以て入ることが出来る。パスカルもいっていた。神がいる方に賭けよ。ところで問題は解くためにある。フェルマーの最終定理も証明された。既に新しい時代である。最近、親子の隔絶が問題となっている。何故だろうね。子どもたちは直観している。時代が変わり、これまでの勤勉努力の人生哲学が通用しなくなっていることを。謙虚に大人がこの事実を認めるべき時に来ているのではないか。良識あると思っている大人達の思想的江戸無血開城が必要となっているのではないか。自分たちの道徳概念が通用しなくなったと。これまでの教育は金持ちのために良き労働者となることが目的だった。そのように方向付けられていた。認識はなかったのだけれど事実そうだった。その欺罔が明らかとなった。金持ちが自分たちの利益のために知識階層を搾取していたといえる。巧妙にね。何時までもそれが通るわけがない。気づけばどうなるか。封建制の欺罔が暴かれた時、何が起きたか。市民革命だった。だが、殺戮を伴う愚かさも脱却している。時代は穏やかに推移する。どういうことだろうね。これから明らかとなる。何時までも身分に安住できると思わぬが良い。大事畢了ということがある。無学ということがある。この度、プロの写真家からアドバイスを頂いた。好きな写真を撮ればいい。もっと遊びがあって踏み込んで撮って良い。考えないことだ。考えるのは写真を見る人だ。自分としては感性の赴くまま好きな写真を撮ればいい。時代が変わった。新しい時代となった。私も彼も変わる頃である。新しい時代とはどういう事だろうね。知行合一もそうだった。アウフヘーベンもそうである。暫く物質文明の時代だった。それは大量消費の時代だった。大手小売店の全国的展開が地方都市の商店街をシャッター通りとしてしまった。規制緩和は誰のためだったのか。大資本のためだった。大資本以外はすべて大資本のための労働力に組み込まれた。資本主義の末期症状である。自分たちの首を絞めていることに気づいていない。これから社会は消費者社会となる。主権者は国民であり、一部の利益階層ではない。主権は国民にあり、その主体は消費者であり、庶民である。どういうことだろうね。何時までも勝手は通らない。物質文明は諸価値を破壊して顧みない市場原理に支配されていた。お金があらゆる基準であり、裁判所も金銭的解決を紛争処理機能だと思った。しかし秩序維持機能こそ裁判所の目的だった。それは精神的な解決を主たる目的とする。相手は何を以てゆるすのか。金銭的な解決だけでゆるしはしない。精神的なものがあまりにも看過されていた。本来日本は精神的国家だった。それが武士道であり、大和魂だった。それを裏切った事実がある。取りもどすべき頃となった。物質文明を否定するのではない。健康及び環境の破壊があった。精神の破壊もあった。物質文明と精神文明の合流である。日本は本来精神文明の國である。思い出す頃となった。武士には少なくとも精神修養があった。故にお金はなくとも尊敬された。今はどうか。お金がなければそれだけで知性をも愚弄する方々の跋扈する世の中である。本来日本がそれで良いのか。思い知る時が来た。祖先がゆるしはしない。日本は精神を取りもどす。そして世界に貢献する。その時が来たのである。世に埋もれた知性達よ、立ち上がれ。あなた方の時代が来た。少年は再び大志を抱け。未来は明るい。新しい時代を迎えた。日本の本懐が目覚める頃となった。時代はこのように流れる。とても刑事訴訟法学における手続き的である。それが人間の制度の営みである。あらゆる欺罔は淘汰される。その意味で年貢の納め時である。金持ちであるということもその例外ではない。その実体も明らかとなった。キリストもいっている。貧しい者は幸いなり。その意味が明らかとなった。正直者の頭に神は宿る。日本は素晴らしい國である。日本を捨てて、老後は海外で過ごす準備をしている経済至上主義学者セレブ大臣に用はない。歴史は繰り返す。何を繰り返すのか。平家は何故滅んだか。武士でありながら、貴族化したからである。腐った商人根性に用はない。その意味で歴史は常々革命的である。この度は何処までも穏やかに。時代の流れである。歴史は大河の如くあらゆるものを飲み込んで流れるといったのは小林秀雄氏だった。そして彼は人間の分際を超えんとして超えることの出来ない悲しみを晩年に書いていた。その姿はとても寂しそうだった。何故だろうね。長谷川四郎氏の『知恵の悲しみ』というのもある。悲しいね。人間だね。喜び世界はあるよ。ベートーベンもやがて至った。ピアノソナタの30.31,32番がそうだった。29番のハンマークラービアの後のことだった。最後の曲は弦楽四重奏曲だった。はじめの辺りで一瞬暗い旋律が流れる。しかしその楽曲では二度とそれは出てこない。彼はいっていた。もはや彼を無視できない。彼は何者だったのか。その証明は終わった。すこぶる孤独な作業だった。無理もない。明治があった。原爆があった。故に孤独だった。彼の魂の帰属する家は失われていた。何をいっているんだろうね。わかんないね。彼はいっていた。孤軍奮闘、取りもどした。精神的にね。即ち、日月照らし風が吹く。大義名分、神風の吹く。黄泉は導く、天は守護する。本来日本は、神国君が代だった。持って生まれた粗末に出来ないものがある。子孫を護るのは祖先である。祖先の供養の仕方はある。何を無視したのか。愚弄破壊したのか。暴走族的テレビ界に用はない。知性の秩序がある。それはそのまま黄泉の秩序でもある。勘違いしていたね。或いは思いあがった。この世の草鞋銭は請求されるよ。腐敗堕落が人生ではない。大人ではない。知るべき時が来た。それは或る目覚めを以て。彼は自覚した。謎は解いた。そしてそれが別に何でもないことに気づいた。それぞれの問題である。解くべきは解けばいい。解かねばどうなるか。地獄必定、逃れることは出来ない。裏切りはゆるされない。何を裏切ったのか。仇はとらせて頂く。武士の習いである。勿論具体的なことではない。黄泉でのことである。死んだら終わりだと父はいっていた。最近、火事になると死者が出るね。何故だろうね。建材から発生する煙だね。何もかもがおかしい。そう思わないか。その原因は何だろうね。化石燃料は何だったのか。恐竜の魂を粗末にしたのかも知れないね。彼はお金に興味がなかった。地位も名誉もない。それらは過去に通過している。何を求めていたのだろうね。それは見つかったという。彼が塾を共同経営していた頃、同僚が自殺した。金ぴか先生がもてはやされていた頃だった。その先生は昔気質の人だった。とても真面目だった。ある日彼が家に泊まった時、クワガタムシが舞い込んだ。彼の車で農道へ行って逃がした。朝起きると彼がいない。海を見てくるといって散歩に出かけていた。彼は広島大学教育学部英文科卒だった。好んで塾に来た。その彼が拒食症にかかって半年後、二度目の試みで命を絶った。私はその頃、既にその塾を去っていた。何があったのか。敢えていおう。生徒達による教師のいじめがあった。屈強な男だった。一緒に机を並べていた頃、山田無文老師の『無門関』をプレゼントした。私の書き込みと傍線で読める本ではなかった。快く受け取ってくれた。そしてその頃、私は短歌をしていた。角川書店の『短歌』臨時増刊号に入選したりもした。そして彼にどれかあげるから選ぶようにいうと、彼が選んだのはこれだった。その先生の名は元永匡一という。

もののふの やさしきこころ ふれしかば
            この道誰と 共に歩まむ

彼はもはや聞く耳はない。あなた方は何をしてきたのだ。お笑い芸能界は責任が重い。何に荷担しての故か。民を餌食犠牲にしてさぞ面白いであろう。テレビ界にはいうにいえないことがあるよね。しかし何時までもその欺罔は通らない。黄泉が動く時が来る。その時を迎えた。真実真理は伝えられていた。古来大和の秘密を知っての故であるか。黄泉は動く。キャプテン・フックは足がない。救いはあるよ。素直にならないか。人類の英知は人々の幸せ世界を築く。方法はある。成金セレブに用はない。真実を知る人がいる。彼らに祝福あれ。未来は明るい。喜び世界はある。新しい時代を迎えた。

時代は動き始めたね。言葉はロゴスである。その条件は何だったか。既に彼のいい散らかしたことがある。今議論されていることはどういうことだろうね。時代の流れがある。それを感じることが出来ていたかどうか。船が難破する時、既にネズミは逃げている。彼は幸せを勝ち得たようだ。三十有余年の試練があった。無駄ではなかった。知性の勝利である。失われた何か大切なものがある。それは何だったのか。彼の自覚を要した。彼は探した。そして見つけて確定した。感謝するべきだね。それも出来ないよね。認めたくないよね。それが人間だよ。それで良いと彼はいった。知るべき時が来た。庶民レベルで。庶民の解放である。知性の解放の時が来た。開発するべきものがある。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数である。誰もが持って生まれている。それが仏の周波数であり、一切衆生悉有仏性である。愛と平和こそこれからの確かな価値である。戦後六十年日本は戦争を知らない。ゆっくりと考える時間があった。殺戮の根拠は何処にもないことも知った。この世で目指すべきは何だったか。お金がこの世で唯一不朽であり、永遠に増殖すると思われた。それがリバイアサンとなった。八岐大蛇は倒さねばならない。草薙の剣は何だったのか。知性だった。人類の英知と人類の福祉がある。人間が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。困るのは人類である。そのようなことも知らなかった。何をしてきたのだろうね。何をしているのだ。彼は埋没した。それも意味があった。彼は自覚した。帰って来た。もはや勝手は通らない。知性の時代を迎えた。

時代は動き出したようだ。彼はそれを確かめつつある。かつてもそうした感覚はあった。ラジオとインターネットで交信したかと思えたこともあった。しかし時代は具体的に動き出そうとはしなかった。その頃から、彼は実験をしていたのだろうか。或いは試されていたのか。此処に来て確信している。何を確信したのだろうね。黄泉の導き、天の守護。何をいってんだろうね。「火つけ上手のあなたでも、相手がさめたらそれっきりさ」。泉谷しげるの『夜の陽炎』だったろうか。彼の好きな歌だった。この度は火がついたようだ。彼の仕事は終わった。彼は自由だ。過去からの罪を償った。無罪放免となった。二祖に法を伝えた達磨はその後どうしたか。徳利をぶら下げてよたよたと天竺へ歩いて帰った。その姿を見たものがいるという。此処に宣言する。知性の勝利である。お笑い芸能界は猛反省を要する。本来日本を取りもどす。あなた方の勝手はもはや通らない。黄泉の受容するところである。粗末に出来ないものがある。既に裏切った方々は年貢の納め時である。現在のお金持ちに問う。昔は公地公民もあった。手にしたお金について、その手段に於いて悔いはないか。あるなら謝ることでゆるされる。労働者である限り、お金は残らない。そのような仕組みである。新しい時代を迎えた。カンバスは白紙に戻った。未来を描くのは未だ汚れていない君たちだ。


2008年07月19日
帰り来たりて別事なし
謎は解いた。古来大和の秘密だった。それは黄泉の導きであり、天の守護だった。信じるに足りる。この世は過去からの夢の実現過程だった。そうでなければ、例えばモーツアルトの天才は説明できない。前世はある。来世もある。この世に生まれて何をするべきだったのか。過去の自分を反省して未来につなぐ。その為に生まれてきた。腐敗堕落が人生ではない。そして時代は推移した。これまでの道徳概念は悉く陳腐化した。日本は真に世界に合流する。もはや戦後ではない。しかし戦後の混乱があった。本来日本の精神を失ってしまった。自己利益追求が人生の目的かと思われた。低い精神レベルでの支配があった。故に腐敗した。取りもどさなければならないものがある。本来日本の精神である。それは何だったのか。原爆の火を以てしても根絶やしには出来ない。代々伝えられていた。思い出す頃となった。そして日本は世界に於いて重要な使命がある。世界も待っていた。本来日本が目覚める時を。その時が来た。埋没していた精神が目覚めた。蓮華の前に化生である。泥より咲いて泥に染まらない。それで良かったのだった。至り得て、帰り来たりて別事なし。今宵の月は殊の外冴えて美しい。富士には月見草がよく似合うというのもあった。これより何をするのか。自分を生きる。自分を生きればいいのである。自分は自分である。それを見つけて咲けば良い。そして日月照らし、風が吹く。各々の証明がある。この世は何だったのか。大鏡だった。黄泉は導く。黄泉は全て観て知っている。およそ悪は出来ない。人間である限り悪である。善は仏さんの所にしかない。縁とは何だろうね。誰と縁を結ぶべきだったのか。仏さんとだった。そして善が始まる。ちょいワル親父とか不倫とか。畏れを知らぬも甚だしい。淘汰されることを知らない。仏はこれを他土におくという。20世紀の知性と呼ばれたポール・バレリィはいった。私は生きた。私は愛した。私は書いた。開門である。宝の蔵を開く。扉は二つある。仏でなければ開けない扉と自らの行で開く扉がある。既に仏さんは仏でなければ開けない扉は開いてくださっている。自分で開く扉を開けばいい。宝はとり放題である。宝とは何だったのか。古来日本及び祖先だった。日本は素晴らしい國である。国家なくして自由はない。芸能人は何を履き違えたか。公の電波で何をいっているのか。反省するべき時が来た。日本は日本である。あなた方の勝手はもはや通らない。彼は孤独だった。何故だろうね。何を探していたのだろうね。絆だった。それは何だったのか。彼は彷徨った。そして帰り着いた。何処に帰り着いたのか。門をたたく。開門である。何を粗末にしたのか。何を裏切ったか。ゆるしはしない。http://www.pc-kure.net/GSWL/syuppatsu.html彼はいった。謎は解いた。すこぶる知性を要した。彼でなければ解けない謎があった。彼は解いた。故に誰もが解くことが出来る。証明された定理は技術である。誰もが使える。何を証明したのだろうね。法華経宿王華一切種智慧或いは黄泉の導き及び天の守護。即ち古来大和の秘密であり、真実だった。此処より始めるが良い。誰もが幸せになれる。21世紀真実幸福論である。庶民は解放された。かつての王侯貴族の知性の自由を手に入れた。彼は生まれた使命を果たした。持って生まれた能力があった。苦難の試練を経て彼の能力を総動員してのことだった。既に記録がある。彼が確認したのは古来大和の掟である。刃向かえはしない。目覚めよ。良い時代となりました。良い時代としましょうね。この世は楽しむにしくなし。楽しい人生が待っています。誰もが必ず至るのです。自分自身を見つけましょうね。それで十分だったのです。親が悪いのでもない。社会が悪いのでもない。自分が悪いのでもない。本来無一物です。自分を救うのは自分です。仏でも神でもない。方法は仏に聞くしかない。仏とは自分を救った方です。故に知っている。救われる方法があることを。この意味で謙虚さを取りもどすのです。必ず問題は解決できます。その例題はあるのです。それを勉強しませんか。何を勉強しているのですか。問題は解くためにあります。このブログはそのお手伝いが出来るかも知れませんね。


2008年07月18日
本来無一物
彼は謎を解いたという。それは二千年来の謎だった。或いは古来大和の秘密だった。それは何だったのか。彼自身だった。生まれた時からそうだった。特異な人生を歩んでいた。謎であるからには一般にはわからない。彼自身わからなかった。この世はどのように出来ていたのか。日本はどういう國だったのか。彼自身、何者だったのか。故に苦闘した。悩んだ。無理もない。謎を解かねばならなかった。解いてみるとどのようであったか。本来無一物だった。何がないのか。悩むべき自分がないのである。本来はね。それが悩んでいる自分があった。これを解かねばならなかった。問題は解けばいい。解かねばならぬ。解くとはどういうことだったのか。問題が問題でなくなる。その時、己の一切が、過去を含めて徳となるだろう。生まれた意味を知るだろう。人間は偉大である。自然が古代からの地球の歴史の産物とすれば、人間は生命進化の最終形態であり、万物の霊長とまでいわれている。それはどういう意味だったのか。魂と宇宙は連動している。唯物論とか唯心論とかいわれる。そうした概念自体が陳腐化する。学者の概念の玩弄では及ばない世界がある。すこぶる行を要する。それは日常における実践思惟行為である。行入と理入は既に達磨の説くところだった。個々の問題を解けばいい。あらゆる例題はその為にある。人生哲学としての幸福論がある。実践行為理念としての哲学がある。理想と現実ということがいわれるけれども、学問レベルでは如何に現実を理想に近づけるかがテーマである。安易な現実主義者達が腐敗堕落を人生と短絡した。テレビ界はその権化である。人類及び生命進化に対して腐敗堕落を流布し、庶民を惑わした責任は重い。あなた方は明らかに間違っていた。戦後の自由を履き違えた。それを正当化した。真実真理はそうはいかない。本来無一物である。善も悪もない。悲しいと思う。故に悲しい。嬉しいと思う。故に嬉しい。何故その様に思うのか。前世或いはこの世に於いて悪と思わされたものがある。それが呪縛となる。それより逃れることが出来るだろうか。それが問題を解くということだった。解けば解脱であり、涅槃である。それが自由だった。心に何も憂いはない。不安はない。惑いはない。疑いもない。それが仏の境界だった。知れば良い。知らないからあれこれ思う。思う必要はない。何故ないのか。本来無一物。ないのにあると思っている。それは呪縛だった。仏を信じるという。それも仏縛であることが多い。仏は仏となる道を説く。自分もこのようにして仏を得たのだったと。仏の得た文字は何だったのか。それが経典でもある。それは真言でありマントラだった。どういうことだったのか。自己の魂と宇宙との連動を自覚していた。どういうことか。仏の宣言で宇宙の開闢となる。それがロゴスだった。仏とはそういう存在である。そうしたことが真実真理だった。それは智慧である。人間の計らいではない。科学というがとても及ばない。仏慧だった。そして宇宙をも方向付ける。それは力である。それも人間の力ではない。大威神力といって良い。この仏慧と大威神力を属性とするを以て仏である。仏は自覚を要する。仏はどのようにして仏となるか。菩薩を集めてそれを教化するによって仏となる。こうしたことは法華経に書いてある。どのような解釈もそうした本質を見抜いていない。無理もない。法華経の名宛人は菩薩或いは爾としての神だった。その属性を持たない者にわかりはしない。わかったようなことをいっている。正鵠を射てはいない。黄泉は受容しない。黄泉が受容すればどのようになるのか。自然の導きがある。或いは祝福守護がある。知らなかったね。知らずに勝手したよね。そしてどうなったか。黄泉にも好悪がある。黄泉は何を好むのだろうね。少なくとも商人根性ではない。衆愚でもない。さて問題は解けばいい。解けば問題は問題でなくなる。幽霊の正体観たり枯れ尾花。そして美しい風景が待っている。お金では買えないね。自分でコントロールできないね。この世ではどうにもならないものがあるよ。どんなに権力の座についても。どんなにお金があってもね。それは過去からの自分の持って生まれたものだ。過去からの差がある。この世で埋まるべくもない。そして過去から持ってきたものは往々にして反省しなければならない。そうしないと、本来の自分の能力も発揮できない。それまでが青春だよ。それまでが悩みだ。それを解く。解けばいい。最終最後最大の敵は何だったか。自分自身だった。それを悪魔といっていい。或いは煩悩である。それに打ち勝つとどうなるか。それまで取り組んでいた悩みとか不安が本来無一物だった。これを乗り越える。それが修行だよ。そしてそれらがあっても大丈夫である自分となる。そうしたことに打ち勝つ。そして自由だ。何をしても良い。黄泉が導く。或いは守護する。それが隻手の音を聞くことだった。その為の試練がある。それが公案である。彼には試練があった。ヘレンケラーも裸足で逃げる。それを乗り越えた。至って当然かも知れない。知らなかったね。愚かだったね。しかし時は流れた。こうしたことが何時か庶民レベルの常識となる。それが庶民の解放だった。庶民の解放は旧約聖書の目的でもあった。安楽な世界はあるよ。権力ではない。武力でもない。お金でもなかった。既に先達は至っていた。古来伝えられていた。学ぼうとしなかったね。探そうともしなかった。求めるべきはそれだった。宝の山である。それを愚弄無視破壊した。西洋かぶれの自己利益追求こそ人生の目的だと思った。不幸になるに決まっている。幸福とは何だったのか。善であることだった。それが神でもあった。あなたがたは間違っている。それが人間だと思っている。気づく頃だよ。生命体は此処まで進化した。21世紀。心の大地は開かれた。彼には使命があった。この謎を一人孤独に解かねばならなかった。全てはその為に準備されていた。彼はきっと解くだろう。黄泉の賭であった。故に埋没した。あなた方が浮かれていた間、彼は試練に耐えた。そしてそれは成就した。彼はいう。未来は明るい。日本は大丈夫である。彼はこの世の務めを果たした。世間は知らない。知らずとも帝則に従う。嘘及び欺罔が過ぎた。父は昭和二年に生まれ、平成元年に没した。名は昭亮、アキノリ。さてどうするのだろうね。何がいいたいのだろうね。何を裏切ったか。年貢の納め時である。刃向かえるかな。何時でも相手になる。しかしその必要もないのだろう。それぞれのことである。自覚した者が勝ちである。その時、自ら地獄に赴く者を相手にしなくて良いのだろう。素直に聞く耳を持つ方と共に地獄を脱する。それで良いのだろう。それ以外に道はないのかも知れない。君子危うきに近寄らず。何を相手にしていたのだろうね。その必要はなかった。本来無一物。美しい風景が待っている。問題を解決して、穏やかで安楽となる。歩々清風とはこのことだった。問題を解くには知性を要する。本来の自分を取りもどす。或いは帰る。そして本当の人生が始まる。存在するだけで周りが和む。そのような人生もある。お笑いではない。愛と微笑みである。愛とやさしさと笑顔で全てが解決する。それが仏法である。理屈ではない。智慧と勇気とユーモアがあれば、この世は楽しい。不安はない。迷いもない。愚痴もない。本来ない。日々楽しく、穏やかに。般若心経の智慧に拠る。自分のことよりも相手のことを考える。その時、自分に帰ってくる。相手を傷つけるとどうなるか。やがて自分を傷つけている。万物同根。宇宙と魂は連動している。この世を形成しているのは各々の思いである。思考は現実化する。良いことも、悪いことも。時代が悪いと嘆く前に、考えるべき事がある。為すべきことがある。自分が変わることで世界が変わる。全て、自分の思いから始まる。幸も不幸も。幸せになろうよ。幸せになれる。その方法論は見つかった。故に未来は明るい。神仏よりも偉いと思っていないか。あまりにも真実を知らない。夕日には夕日の良さがあると山田無文老師はいっておられた。灼熱の夏である。この暑さを楽しめるだろうか。各々の心の状態で楽しめるか愚痴となるかが決まる。暑いことは暑い。扇を使えばいい。心に涼風が吹けばいい。解決するべき問題がある。解決するべき時が来た。敵は本能寺にあり。本能寺とは自分自身の悪魔だった。倒すべきはそれである。解決するべきはそれである。何時までも看過できない。既に限界である。玄海灘を越えよ。未来は明るい。この世はそのまま生きるに価する。美しい。一番槍は螺鈿の槍を以て突撃突破した。後に続くが良い。目指すべきは古来日本純粋精神である。それが結実していたのが武士道であり、大和魂だった。武士には少なからず精神修養があった。故に尊敬された。諸学者も解釈を誤っている。自己利益追求商人根性の故に。日本の男はこれで良いのか。良い訳がない。テレビ界は猛反省を要する。何に荷担しているのか。本来日本は軽薄を好まない。神仏への畏れを知らぬ思いあがった方々の愚かで安易なお笑いの支配は終わる。彼は何を見つけたのだろうね。何を確認したのだろうか。そして既に世界はそのような人たちで構成されているというんだ。つまり、幸せを掴んだ方々はいる。そうした方々は温かく見守っている。誰がこの可能性にチャレンジするのだろうとね。幸せの方程式は解かれた。その解は何だったのだろう。本来無一物だったのだろうか。これまでの人生は無駄だった。それが一瞬にして意味を持つ。素晴らしいではないか。生きていて善かった。彼は大きな仕事をしたようだ。何をしたのだろうね。もはやキティ・ホークではないといっていた。彼の見つけたものは古来大和の掟だったのかも知れない。本来無視或いは破壊するべきではなかったのだろう。彼が護り抜いたというのはそれだろうか。身も心もぼろぼろになってね。故に日本は大丈夫という。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ないといっていた。直接間接に彼を裏切った方々は年貢の納め時だろうか。何とも不思議な話である。彼のいっていることは解らない。彼は埋没した。あらゆる能力を生かすことはなかった。何故だったのか。今となっては、あの謎を解くために全ての能力を必要としていた。彼であるが故に出来たことだった。既に事実である。所詮世間の評価の外である。それで良い。彼は満足している。空海及び道元並びに一休の夢の成就とてもいいたげに。この世の最高の宝を見つけたのだろうか。それは何だったのか。勝負は決した。最後に笑うものが一番よく笑う。彼こそ子供の頃から本命だったのだろうか。彼自身知らなかった。しかし此処に来て何かを確信しているらしい。残念だったね。彼が見つけたものは絶対的な善悪の判断基準などではない。それは仏に聞くしかない。彼が発見或いは確認したのは正義であった。正義は相対的であるとするその正義である。どういうことだろうね。やがて明らかになるという。神風の吹く理由即ち大義名分だった。古来大和の秘密とはそれだった。知らなかったね。何時の頃から忘れてしまったのだろうね。そして勝手したね。何時までも根拠のないその勝手は通らないとする理由がある。人間は騙せても、黄泉及び天は騙されはしない。犯した罪は償って頂く。各々処したる人生が既にある。首を洗って待つが良い。彼はいっていた。新しい時代である。これまでの価値概念は陳腐化した。此処三十年来のそれもである。確立されたかに見える成功論に基づくセールス技術及び理論もその例外ではない。あらゆる欺罔的支配要素を嫌悪する。本来の知性の秩序を復活するという。その準備は調った。新しい時代を作る。もはや産業の時代ではない。給与を媒体とする勤勉な従業員支配の時代は終わった。土地を媒体とする農民支配が終わった時のように。何を以ていうのだろうね。新しい可能性が切り開かれた。お金は確かに大切である。お金さえあれば買えないものはない。それがホリエモンだった。お金では買えないものがある。愛が買えるだろうか。娼婦の心と唇も買えはしない。黄泉の導きはお金では決して手に入らない。物質文明の時代はお金こそ価値だった。故に精神は貧困となった。新たなフィールドが見つかった。自由の大地である。この地上で実現する時代となった。彼が埋没していたのはその大地を見つけなければならなかった。未来を切り開かねばならなかった。わかってきただろうか。彼にはビジョンがある。誰もが本当に幸せになれる。幸せとは何だったのか。真実真理との邂逅だった。既に実践実証済みである。方法も見つけている。仏法もその一つである。苦難の海は越えた。不安も恐怖も本来ない。最終最後最大の敵を見つけて倒したからである。果てしなく安らぎの大地が待っている。人生は素晴らしい。代々の務めは果たした。ゴールである。権力は既に克服されている。市民革命がそれだった。武力も克服された。原爆の愚かさを知ったからである。殺戮の根拠は何処にもない。あるというなら示して頂きたい。この度克服するべきは何だったか。金力だった。その方法は何処にあったのか。本来無一物にあった。ある意味でお金持ちのための勝手な仕組みの中で、お金を理由に自殺が絶えない。馬鹿げている。銀行はラスコリーニコフを知らない。パイが小さくなってどうするか。ターゲットを決めて突然不渡りとする。自分たちは生き残る。他の犠牲は顧みない。それで良いのだろうか。良いというならその理由も示してほしい。物質文明の中で消費意欲を刺激している。本当に必要なものがどれだけあるのだろうね。世のゲームもそうである。根本的に見直さなければならなくなるだろうね。無駄が多すぎた。勿体ないよね。既に世界は一つとなって物質的な限界が見え隠れしている。資源としても、環境としても。このまま推移すればどうなるか。賢明な方は微分するが良い。時代の微分係数を知ってどうするのだろうね。お笑いでは解決できないね。クラシック音楽を聴いて楽しむことから始めようよ。愚かさと野蛮の支配は終わって頂く。音楽を楽しむことについて、NHK-FMは国民的価値がある。経済至上主義の元某大臣はこれも縮小するといっていた。どのような国にしようと思ってるのだろうね。音楽の価値が解らないのだろうか。そのような政治は要らない。彼のビジョンは何だろうね。何を思って辛辣なことをいってるのだろう。物質的豊かさの中で見失われたものがある。或いは思い上がりがある。既に先達は気づいて示し伝えてくれている。知らないことを以てそれを否定した。探そうともしなかった。どうしてお笑いなどが世にもてはやされるのだろうね。民主主義は衆愚化した。精神は貧困化した。それを取り戻す。それが知性の復活であり、庶民の解放である。かつて王侯貴族しか味わえなかった自由を庶民レベルで享受する。それは腐敗堕落ではない。むしろ物質的にも精神的にも上質世界の実現である。それは神仏の実在を知ることを含む。愚かでは知り得ない。例えば、ヘッセの詩がある。彼の高校時代の出発点だった。彼はこの世界を探していた。そして見つけた。青春も人生も失ってね。それも無駄ではなかった。

【ヘッセ『内面への道』】
内面への道を見つけたものには
燃える自己沈潜の中で かつて
自分の心が 神と世界を ただ
形象 比喩として 選ぶのを
知恵の核心をおぼろに感じたものには
すべての行為と思考が
世界と神を含んでいる
自分の魂との対話になる


2008年07月17日
一隅を照らして
明るく輝く朝日を浴びている
今日を力強く生きる
善とか悪とか 概念ではなくて
今日を生きればいい
社会契約は何のためにあるのだろう
暫く忘れていなかったか
他者の犠牲の上に自己利益追求していないか
経済は大切だけれど
パンのみにて生くること能わず
何か失われた大切なものがある
時代はすさんだ 取り戻せるだろうか
取り戻したいね 少なくとも一隅を照らして
インテリゲンチャ達の責任がある
万物の霊長として
象牙の塔の中で身分に安住することなかれ
黄泉とは何だったのだろう 祖先の総体だった
黄泉の受容祝福守護がある それが大義名分
神風も吹く 本来日本は神国だった
忘れていたね どうしてだろうね
正直者の頭に神は宿る 
本来日本は身心清浄を以て旨とする
それが古来武士道或いは大和魂だった
欺罔を含む卑怯怯懦商人根性に用はない
軽薄軽率なお笑いには嘔吐する
本来日本 知性を好む
愚かさからの脱却こそ急務だよ
何が蔓延ったのだろうね 戦後の失敗だった
民主主義は衆愚化した テレビ界の罪だね
妻を愛するちょっとピンぼけのキャパがいた
不倫が文化などとよくも公の電波でいえたね
畏れを知らぬもほどがある それが自由と思ったか
国家なくして自由はない 戦争となればお金は無価値である
日本の祖先は何時までも下級精神支配をゆるしはしない
そうした精神が彼を裏切った
彼は知らなかった 何を知らなかったのだろうね
彼は知った 何を知ったのだろうね
知ったからには容赦しない
古来日本はどのような国だったのか
黄泉もこの時を待っていた 新たな開闢である
どういう意味だろうね これから明らかとなる
前世はあるよ 来世もある
この世は過去からの夢の実現過程だった
この世に生まれてどう生きるか 考える時を迎えた
人生とは本来の自分となって花と咲く
本来の自分は何者か 禅のテーマだった
教育は知識の切り売りではない 偏差値ではない
本来自分は何者だったのか それを見極める
そのためには過去を反省する そして始まる
明るい未来を作る 大いなるビジョンはあるか
自己利益追求俗悪セレブに用はない
ところで市役所公務員制度が一部世襲化していないか


2008年07月16日
報酬のない理由
彼は追い込まれた。二進も三進も行かなくなった。それで飛び込むに等しかった。何に飛び込んだのだったろうか。真実真理へだったのか。そして彼は確認した。何を確認したのだったか。彼自身を確認した。それは何だったのか。彼は彼自身で良かったのだった。そして気づいた。世間は何といい加減なことをしているのだろうか。むしろ彼には信じられなかった。お金持ちはますますお金持ちになる。そのように仕組みが出来ている。いい加減な仕事でも所得を得ている。彼の仕事は常々それよりはマシな仕事をしていた。しかし彼には報酬がなかった。何故だろうね。雑魚を相手にしていたのだったろうか。そのように思われた。お金儲けはむしろ安易だったのだろうか。そのように思われてくる。しかしお金のために自殺する者は後を絶たない。何かがおかしくないか。何がおかしいのだろうか。教育だろうか。あらゆる配慮のない時代となったようだ。例えば、注文する際に、相手方の処理のことは考えていない。オーダー番号列記に秩序がない。字は読みにくい。例えば小学校の生徒の写真の注文である。親の故だろうか。教師の故だろうか。時代の故だろうか。こうしたことも教育の一環ではなかったか。自己利益追求の時代である。何か大切なものを失った。彼の仕事は何をしても完成度があった。しかしそれに対する支払いはなかった。事実である。どうしてだったのか。彼は孤立していた。何故だろうね。少なくともカンニング閥ではなかった。亦、彼に対して議論を挑む者もある。彼もすこぶる読書している。ヤワな読書はしていない。少なからず行もしている。いくつかの不思議な体験もあって、証明もあった。その彼のいうことには耳を貸さない。知らずに否定する。勝手なことをいう。何故だろうね。彼には地位も名誉も財産もないからだ。彼も思い知った。そういうことだったのか。しかし彼は既に知っている。何を知っているのだろうね。黄泉の導きと天の守護があることを知っている。そして神風の吹く理由も知っている。確認済みである。それでも彼のいうことを否定する。それが世間巷である。一休が髑髏を竿に刺して路傍を徘徊した理由がある。彼は思った。相手にしないが良い。魂を扱うことが出来るのは芸術家で、芸術家はそう多くない。詩は詩人を以て呈すべし。剣は剣客を以て呈すべし。人を見て法を説け。評価の外がある。世間の与り知らない世界がある。それに対する世間からの報酬はない。むしろ鬱陶しいか。それが至極当然のことであるのだろう。閥を以て利益と成す。或いは報酬の盥回しである。それが世間である。何を以てセレブというか。笑うしかない。お笑い芸能界の軽薄な笑いではない。彼らもその閥の一部に過ぎない。しかし何時か淘汰される。それが自然である。お金だけが報酬ではない。幸せとは何だったか。善であることである。人間である限り悪である。しかしそれが人生だ思っている。それが大人になることだと思っていた。愚かだったね。明らかとなった。何が明らかとなったのか。この世はどのように出来ていたか。日本はどのような国だったのか。二千年来の或いはそれ以前からの秘密がある。それを知らなかった。解こうとも探そうともしなかった。そして腐敗した。哀れだね。今からでも遅くない。取りもどす頃である。何を取りもどすのだろうね。人生である。青春である。浮かれた時代は去った。此処にいたって彼の目的は定まったか。或いはターゲットが見えたか。彼は何を思っているのだろう。何を観ているのか。或いは何を聞いているのだろう。王の目、王の耳ということがある。閨房にても王を呪ってはならない。小鳥がそれを運ぶから。どういうことだろうね。黄泉が動く時がある。誰の目で観ているのか。誰の耳で聞いているのか。そうしたこともある。一休髑髏ご用心の意味である。黄泉も待っていた。何を待っていたのだろうね。年貢の納め時だろうか。この世は素晴らしい。十分に生きるに価する。十をとる人はそれ以下を知っている。それ以下の人は十をとる人を知らない。どの階層に身をおくか。地獄は仏でなければ救えない。何をしているんだろうね。何を思っているのだろうね。黄泉は心の奥底まで全て見抜いている。そして宜しきに従って法を説く。知らなかったね。知らずに否定した。知っていればそのような行動はない。言動もない。何を知らなかったのだろうね。畏れを知らなかった。勝手が過ぎた。支払うべき報酬を支払わなかった。だけどね、徳を積むべきは天だった。先祖代々の徳もある。何時か支払いがある。それは何時だろうね。自覚する時である。何を自覚するのだろうね。秘密に属する。古来大和の秘密がある。それを宝といっていい。扉を開けば宝はとり放題である。どのようにして開くのか。どのような扉があるのか。探し求めるべきはそれだった。世間は知らない。知らずに勝手なことをいっている。そして時代はどのようになったのか。報酬が正統に支払われる時を迎えた。少なくともお笑い芸能界の論理はもはや通らない。本来日本の本懐の受容するところではない。嘘及び軽薄を好まないからである。好まないのである。何を好むのだろうね。知性を好む。秩序を好む。自由にも秩序がある。秩序を破壊する者に自由はない。破壊されたものがある。修復の頃となった。何を修復するのか。本来日本を修復する。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない種がある。一切種智慧。頼朝は伊豆に流されていた。義経は何故討伐されたか。征夷大将軍は頼朝だった。何を以て征夷大将軍を自覚するのか。黄泉の守護である。或いは大義名分である。神風も吹く。暫く時を要した。無理もない。日本は戦争に負けたのである。戦争を知らない子ども達と歌っている方々に彼は問う。それで何がいいたいのか。明らかにするが良い。彼は帰って来た。何処を旅していたのだろうね。長い冬、月の砂漠だったという。彼は埋没した。彼の時代ではなかったか。彼はいっていた。日本をお笑い芸能界の色に染めさせはしない。衆愚腐敗より脱する。欺罔を含む商人根性の天下は終わって貰う。本来日本を取りもどすと。彼は埋没した。何をしても駄目だった。何時の頃からか馬鹿呼ばわりされ始めた。彼はそれにも耐えた。人知れず静かに生きることができるならそれで良いと思っていた。その理由もあった。しかしそうもいかない。彼には務めがあった。子供の頃からそのような人生を歩まされていた。今思えば確かにそうだった。そして彼は挑んだ。何に挑んだのか。自分との戦いだった。お経典にある通りだった。そして謎を解いた。彼にしか解けない謎もあった。そして力を得た。どのような力だったのか。誰も知らない。使命は果たした。それは自覚を要した。そして彼はいう。日本は大丈夫だよ。何を勘違いしているのだろうね。何を思い上がったか。時は無事代わったよ。もはや惑いはない。不安もない。疑いもない。容赦しない。失われた三十有余年がある。取り戻せるだろうか。本来の自分に帰れるだろうか。その間、一般論では語り得ない特殊事情があった。そして感謝すべきは帰るべき本来の自分があることだった。帰るしかない。帰ることが出来ると思えるようになった。諦めないことである。自分自身を。本来自分は何者だったのか。禅のテーマだった。失われた自信が取り戻された。嬉しいね。ギャーティだね。社会的な死を余儀なくされた十九の春から救われたのかも知れない。過酷な人生だったよ。身分に安住する者に解りはしない。その間、大きな仕事もしたようである。敢えていう。どれだけ感謝してもしきれない。しかし所詮具体的評価の外である。代々の掟であった。謎は解いている。確かにね。そしてやっと、夏だね。梅雨が明けた。

この扁額の上部にはもう一羽の雀がいる。二羽の雀が上下で見つめ合っている。見える世界と見えない世界で見つめ合っている。ロータスは蓮の花。それより菊も紋章になったとか。睡蓮にはがくがあり、蓮にはがくがないんだって。ロータスは東洋、睡蓮は西洋だろうか。西洋に於いてはロゼッタ(バラ)になったという。ヒンズー教にも蓮が最高神とある。メソポタミアから続くイランの硬貨の紋章は睡蓮。水と関係がある。蓮は宇宙の始まりであり終わりであるか。何を意味しているのだろうね。泥より咲いて泥にまみれていない。身心清浄であるか。やがて蓮に帰る。蓮華の前に化生する。生命の目的は何だったのか。或いは何処へ帰るのか。仏の世界かも知れないね。いつかはきっと誰もが至る。或いは帰る。一切衆生悉有仏性。自然科学とは何だったのか。自然とは宇宙の古文書といえる。全ての歴史の産物だ。それを読み解く。それが知識であるという。それが自然科学だね。これが理学である。工学は知識を人間の営みとして応用したスキルである。面白いね。NHKラジオ深夜便でいっていた。地球温暖化というけれど、地球の歴史に於いて、むしろ寒いのだという。寒さの中での温暖化であるか。地球は本来もっともっと熱いものであるらしい。これからどうなるのだろうね。亦、人間は地球の属性を変化させながら生きることが出来る唯一の存在であるともいう。それが万物の霊長なのだろうか。責任は重いけれど、面白いのかも知れない。所詮生命体としての進化である。本来は魂の遍歴だ。美しい魂となることが究極の目的であるなら、その過程は楽しめばいいのかも知れない。人間は限りなく欲望を満たそうとする。政治の定義も欲望の現実化ともいえる。さてどうするのだろうね。興味は尽きないね。彼はいっていた。かつて王侯貴族の自由が庶民に限りなく開放される。だが、堕落するのが生命体としての進化傾向ではないのではないか。自覚した魂と目の見えていない魂がある。どちらが正しいのか。それは黄泉の守護を以て証明される。生まれながらの差はあるよ。それが法華経宿王華。その属性のない者にはわからない。知らない者には神秘である。知る者には事実である。何を無視したのだろうね。或いは破壊したのか。暴走族的な自由は此処までである。これより新しい時代に入る。大宇宙へ宣言する。あなた方の勝手はもはや通らない。あなた方は自由の解釈を誤った。社会契約を破った。或いは知らなかった。テレビ界がその権化である。これより本来日本を取りもどす。知性の秩序を回復する。


2008年07月15日
日本の春
失われた何か大切なものを求めての旅は終えたようです。それは何だったのでしょうか。今となってはもう良いのですね。見つければいいのです。確認すればいいのです。秘密は何だったのでしょうか。自分自身でした。自分自身の謎を解いて新しい日々が始まります。信を以て入ることを得たり。まさに言い得て妙です。しかしこれはむしろ行を必要とします。探求を必要とします。つまり行入と理入です。そして過去から伝えられていたことが本当であったと知るのです。それは何処に伝えられていたのでしょうか。八万四千の経典ですね。これらが真実だったのでした。仏法に於いては不殺を行ぜしめとあります。殺戮など無縁です。そして幸せとなれるのです。幸せとは何だったのでしょうか。色々な幸福論がありますね。その最大公約数は何だったのでしょうね。善です。そして善は仏さんの所にしかない。人間である限り、悪がくっついています。何事も縁次第と申します。仏さんとの縁があれば素晴らしいことですね。最終最後最大の敵は自分自身でした。これに打ち勝つことで、如来が頭を撫でてくれるのです。つまり、日月照らし風が吹く。そして如来の誓願を知るのです。そして自分もそれを実行するのです。その時、幸せです。さて、これから何をしましょうね。何をしても良いのです。自分が自分となることで、黄泉の導きも天の守護もあります。子孫を護るのは祖先です。子孫が動く時、祖先も共に動いています。祖先に恥じない自分となりましょうね。日本は古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本であり、その受容祝福守護を得て大義名分であり、その時、神風も吹くのです。どう生きるべきか明らかとなりました。本来日本の復活です。野蛮と愚かさからの脱却です。良い時代となりました。良い時代としましょうね。新しい時代です。香風来たって古き花を散らし、新しい蕾を雨らします。既に汚れた人も大丈夫です。悔い改めることです。このままでは地獄です。勝手なことをいっていませんか。それで困ったことになるのです。幸せへの道が明らかとなりました。日本の春です。供養とは何だったのでしょうか。相手の一番喜ぶことをすることですね。それも仏さんの所で教えてもらえます。祖先は何を一番喜ぶのでしょうね。子孫が幸せになった姿ですね。何が幸せだったのでしょうか。明らかとなりました。西洋思想は19世紀に既に没落していました。それは自己利益追求でした。そしてどうなりましたか。日本の目指していたのは何だったのでしょうか。自己利益追求ではなかったのです。自然を征服しようなんて考えたことはなかった。自然と共に生きて幸せであることを知っていました。欺罔を必然的に内在する商人根性と合致した400年来の西洋理論からの脱却です。本来日本に帰りましょう。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せです。愛とは何だったのでしょうね。動植物及び岩石も喜ぶ心の周波数です。開発するべきはこれです。お経典読誦の目的も此処にあります。仏の心を学ぶのです。それは日本にあるのです。失われた何か大切なものとはそれでした。本来日本復活とするところです。日本を取りもどしましょう。原爆の火を以てしても根絶やしに出来なかったものとはそれです。愛の園日本です。或いはエデンの東です。究極のオリエントです。今も昔も黄金の國です。本来日本の姿が明らかとなりました。テレビ界はそれを知らなかった。今、知ったのです。これからどう生きるか明らかとなりました。古来大和魂及び本来武士道は何だったのでしょうか。身心清浄及び正直を以て旨とします。カンニングで世に出て閥を成した方々は猛反省の頃です。気づいた時が始まりです。それぞれの問題は自分自身で解くしかありません。どのような問題も解くことが出来ます。因縁の解決も出来ます。その方法は仏さんの所で教えてもらえます。良かったですね。新しい日本の始まりです。彼の失われた三十有余年は無駄ではありませんでした。何を見つけたのでしょうね。子どもの頃から何を観ていたのでしょうね。試練もありました。全てが意味を持ちました。本来日本は神国です。神国日本の姿が明らかとなりました。世界の中の本来日本、宝となりました。これよりどう生きるのか。憲法前文が生きてくるのです。日本は日本です。重要な使命があります。何時までも浮かれているわけにいかなくなりました。テレビ界は責任重大です。日本の牽引車です。覚悟は出来ていますか。お笑い芸能の時代ではありません。


2008年07月14日
知らないことを以て否定する
彼は彼自身を知らなかった。この世は何だったのか。どのように出来ていたのか。君が代だった。まさかそのようなこととは、彼は告げられていなかった。 故に苦しんだ。それも当然だった。真実とは自覚を要する。それは千尋の谷を這い上る。誰も知らない。知る由もない。その属性は希である。その属性が自覚し、花と咲くはもっと希である。試練があった。どうしても解かねばならない謎があった。本来日本、目覚める時を迎えた。何が蔓延ったのか。昔は公地公民もあった。何か勘違いしていないか。腐敗傾向が歴史の流れではない。安易なテレビ界があった。責任はとって貰う。仏さんの所で聞いた。善は幸せとなる。悪には報いがある。善を身に付ける。悪は払拭する。善は仏さんの所にしかない。仏さんとの縁から善は始まる。人間である限り、「自ら出づること能わず」。彼の自覚は何だったのか。彼自身を知ることだった。知った彼自身とは何だったのか。草薙の剣だった。もはや容赦しない。黄泉の導き、天の守護はある。ないと思ったか。それで勝手した。知らないことを以て否定する。人間の愚かさであり、限界である。真実はあるよ。それは何だったのか。神仏の実在であると彼はいう。それを証明しなければならなかった。彼の使命だった。それは成就した。不思議なこともある。もはや疑えない。本来疑いはない。ないのにあると思っている。代々の命脈がある。代々伝えられている。これからも伝えていけばいい。その間、勘違いがある。それが淘汰される。それで良い。


2008年07月13日
彼は死んでいた
ロバート・キヨサキ氏が面白いことをいっていた。同じ英語を話しているのだが、使っている言語が違う。或いは大本営発表があった。或いは民はよらしむべし、知らしむべからず。どういうことだったのだろうね。歴史は繰り返す。何が繰り返すのか。平家は何故滅んだか。武士でありながら貴族化したからだった。太陽王の時代もあった。しかし次に来たのはギロチンだった。何時までも隠せない。そして新しい時代が来る。この三十有余年、彼の人生は全く無駄と見えた。彼の思う人生と青春はなかった。彼は事実上死んでいた。D.H.ロレンスの『死んだ男』を救ったのは少女だった。仏陀にも乳粥を施した少女がいた。彼は少女もいなかった。彼の人生は何だったのか。自信を失っていた。何もする気になれなかった。何故だったのか。これを甘えというか。十九の春を知らない。ヘレン・ケラーも裸足で逃げる。どうしてそのようなことになったのか。少女に裏切られたのだったか。そうだったのかも知れない。彼は時代遅れだったのか。あまりにも硬派であったか。何故だったのか。そして彼は耐え抜いた。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ないものがある。彼の護り通したものがある。世間は知らない。知る由もない。浦島太郎の玉手箱であるか。自覚がそれだった。そして目覚めた。目覚めてみたものは何だったのか。でたらめな世界である。これをサルトルは『嘔吐』と呼んだのであるか。何が蔓延ったのだ。何を根拠にであるか。何時までも浮かれた時代ではない。思い知る時が来る。今、その時が来たのかも知れない。草鞋銭は請求される。何がセレブであるか。成り上がりスノッブに過ぎない。そのプロセスは何だったのか。カンニングではなかったか。如是相。顔を洗って出直すがいい。何時か長い冬も終わる。永久の春が来る。その時が来たのだろう。彼にはいうにいえない秘密がある。それは何だったのか。証明もある。さて、どうするのだろうね。その価値は評価の外である。欺罔が過ぎた。でたらめが過ぎた。生命を冒涜したね。何時までも愚かではない。野蛮でもない。此処までだよ。此処までだ。宇宙自然生命黄泉を甘く見ない方がいい。彼は何を見つけたのだろうね。何を開発したのだろうか。彼は信じていた。シュリーマンのように。何を信じていたのだろうね。君たちが愚弄無視破壊していたものだよ。時は満ちた。面白い時代となった。彼は死んでいた。そして何時までも死んでいるわけにもいかなくなった。彼は自覚した。何を自覚したのだろうね。これまでは悉く利用された。これからは違う。何もかも馬鹿馬鹿しくなったという。どういうことだろうね。彼の知性に勝てる者などいなかった。彼は死んでいた。その間、何が蔓延ったか。ゆるしはしないと彼はいっていた。彼は何者だったのか。背負いきれないものを背負っていた。何を背負っていたのだろうね。過去の因縁だったのか。明治を信じて裏切られたことか。祖先が動く。祖先も待っていた。日本を取りもどす。彼は本気なのだろうか。わからない。どうでもいいけどね。彼は何をいいたいのだろうね。勝手が過ぎた。それだけであるらしい。既に記録がある。もはや無視できない。誰もが待っていた。その時が来る。もう咲かないのかと思われた。彼は何を探していたのか。真実だった。時代を開く。時は来た。彼の人生は何だったのか。代々の務めを果たす時が来た。この度は何を制したか。黄泉だった。時を要した。腐敗に用はない。首を洗って待つがいい。彼にはシナリオがあるらしい。これより彼の人生である。或いは時代である。試練は通った。教育の現場は今、どうなっているか知っているだろうか。学級破壊は小学校一年生の問題ではない。中学に来ている。何がそうさせたのか。世の親である。その権化がテレビ界である。或いは暴走族的お笑い芸能界である。民主主義は衆愚化した。世直しである。大塩中斎ではない。征夷大将軍である。問答無用。大義名分、神風の吹く。

花咲く時
花無心招蝶  花は無心に蝶を招き
蝶無心尋花  蝶は無心に花を尋ぬ
花開時蝶来  花開く時蝶来り
蝶来時花開  蝶来る時花開く
吾亦不知人  吾も亦人を知らず
人亦不知吾  人も亦吾を知らず
不知従帝則  知らずとも帝則に従う

良寛さんの詩です。花は咲いてそれが何の花だったかを知ります。誰もがそれぞれの花を咲かせます。その時が来ます。長い冬の後、遅れてくる春もあります。その間、試練もあるでしょう。咲けばいいのです。それぞれの花を咲かせるのです。蝶も飛んでくるでしょう。何の花が咲いたのでしょうか。法華でしょうか。聞こえてくるのは迦陵頻迦の声でしょうか。不思議ですね。何が真実だったのでしょうね。誰もが待っていました。もう咲かないのかと思っていました。笑顔と優しさで全て解決します。これを以て貿易です。殺戮の時代は去りました。嘘と野蛮と暴力は無価値です。意味主だとなりました。何故でしょうね。21世紀の約束だったのでしょうか。

「世尊、譬えば人あり、親友の家に至って酒に酔うて臥せり。是の時に親友官事の当に行くべきあって、無価の宝珠を以て其の衣の裏に繋け之を与えて去りぬ。其の人酔い臥して都て覚知せず。起き已って遊行し他国に到りぬ。衣食の為の故に勤力求索すること甚だ大に艱難なり。若し少し得る所あれば便ち以て足りぬと為す。後に親友会い遇うて之を見て、是の言を作さく、咄哉丈夫、何ぞ衣食の為に乃ち是の如くなるに至る。我昔汝をして安楽なることを得、五欲に自ら恣ならしめんと欲して、某の年月日に於て無価の宝珠を以て汝が衣の裏に繋けぬ。今故お現にあり。而るを汝知らずして、勤苦憂悩して以て自活を求むること、甚だこれ痴なり。汝今此の宝を以て所須に貿易すべし。」


2008年07月11日
身構える必要はなくて
何を身構えていたのだろうね
その必要はなかった
それは甘えではなくて
信用或いは信頼
信じていい 何もかも
それぞれ生きている
それでいい
そして常に身を委ねる
自分の計らいを捨てる
それは甘えではなくて
その時とその場所に身を委ねる
考えるのは何か
身構えることではない
くつろいでいる自分がいる
そして己の徳分を発揮する
世のため人のために存在しているか
愛とは何か
動植物及び岩石も喜ぶ
涅槃の周波数がある
愛することで 全てが始まる
それでいい 
主体的に生きることとは
こういうことだったのだろうか
何を身構えていたのだろう
その必要はなかった
敵はいない 全て仲間だ
自己利益追求が問題だった
カルバン以降のことだった
笑顔とやさしさで解決する
それはできるだろうか
できる 
自分は何故生まれていたか
過去の失敗の修正だった
自己を鍛え 自己を修復して
未来に伝えよ
未来は明るい
それは甘えではなくて
愛し愛されてくつろいでいる
この世は素晴らしい
生きるに価する
何を身構えていたのだろうね
その必要はなかった
この世は美しい
自然の中で生きている 生かされている
彼は彼で良かった 
自分自身を取りもどす
信じることが出来る自分自身がある
導かれている 守護もある
それを信じることが幸せだった
自分が自分であることが喜びだった
何を見失ったのだろうね
自分自身だった
この世は持って生まれた自分を生きる
それしかできない
自分自身を見つけることだね
どのような自分であるか
汚れているなら洗えばいい
自分を生きよ それ以外にない
そしてそれぞれ生きている
善も悪もない 生きている
男と女 女は不思議だね
生命そのものだね
それを大切にしよう
それでいい 
女は強い男に憧れる
何を以て強いのか
暴力ではない 欺罔でもない
正直こそ最も強い
何故だろうね
黄泉が導く 天が守護する
本来日本 現実回帰
何か失われた大切なものがある
誰もが見失っていた
戦後の故だった
継受した自由を勘違いした
社会契約を無視した
その権化がテレビ界だった
腐敗堕落が大人になることだと思った
カンニングを正当化して世に出て閥を成し
何を流布したか 何が蔓延ったか
何を破壊したのか
そして日本はどのようになったのか
軽薄なお笑いに用はない
取りもどそうではないか
本来日本の知性と情緒を
本来日本は神国 君が代だった
君子の國である 故に軽薄と野蛮を嫌う
花は愛惜に散り 草は棄嫌に生ふる
即ち日月照らし 風が吹く
大義名分 神風の吹く
これを見出さなければならなかった
或いは気づかねばならなかった
実験もして定量化しなければならなかった
身を以て証明も必要だった
彼の仕事だった 或いは使命だった
故に埋没した
彼は護り抜いた そして自覚した
その自覚は成就した
故に彼はいう 
日本は大丈夫だよ
原爆の火を以てしても根絶やしにされない
彼にしかできない仕事があった
彼は満足している
黄泉も喜んでいる
誰も知らない
そして帝則に従う
真実とは何だったのか
神仏が実在することだった
これを確認するは古来希である
しかし伝えられていた シュリーマンのように
彼はいった
六祖の搗いた米でごはんが炊けたよ
新しい時代である
無事開かれた 未来は明るい
既に世界は一つ 
どのような悲しみもそれと同等か
それ以上の喜びの種がある
それを見つけて育もう
幸せはある 自然の中で生きている
人間も自然の一部である
前世はある 来世はある
何故ないと思うのか 知らないからだね
そして勝手する 困るに決まっている
必要なだけあればいい
必要以上に貪っている
それをビジネスだと思っている
思い煩う事なかれ
日々小鳥に食は与えられている
よく見ればナズナ花咲く垣根かな
ソロモンの栄華も路傍に咲く清楚な一輪の花に及ばない
神は高きを低くし 低きを高くするために来る
その時が来たのかも知れない
それだけの試練があった これより乗り越える
知性の解放の時が来た
庶民の解放の時が来た
卑怯怯懦商人根性に用はない
利益のために諸価値を破壊して顧みない
その損失は計上されていない
何を取りもどすのか
本来日本は何処を目指していたのか
新しい議論が始まる 教育の復活である
何事も熟練を要する 知性もそうである
規制緩和は何だったのか 
アメリカ資本のためだったのか
ペリー来航に伴う開国だったのか
そして何があったか 
観光バスの事故があった
航空会社が運行不能になった
利益のために粗悪な経営が蔓延った
日々の暮らしの安全が損なわれた
一部の特権階級だけの利益からの脱却は正しかった
しかし無条件の規制緩和は如何であるか
これからの課題となった
指導するべき行政も民法化した
本来行政はどうあるべきか 
誰のための行政であるか
護るべき民主主義がある
自己利益追求が行政ではない
取りもどすべきは何か 精神である
精神一到何事か成らざらん 
考える頃となった
資本主義はどのような仕組みであるか
巧妙だね 欺罔があるね
土地を媒体とする封建制は
百姓は生かさぬように殺さぬようにだった
今はどうか 
労働者は生かさぬように殺さぬようにであるか
ロバートキヨサキ氏の本から何を学ぶのか
この世の仕組みはお金持ちのためにできている
そしてどうなったのか 観ての通りである
それで良いのだろうか 良いというなら仕方ない
喜びはある 幸せはある
取りもどそうではないか
生まれて良かったと思える人生を
愛し愛されてくつろいでいる
身構える必要はなかった
持って生まれた自分で良かった
それは甘えではなくて
それぞれ生きている それでいい

2008年07月10日
面目躍如
彼はいっていた。彼の自覚は成就した。誰かがしなければならなかった。法華経は難解である。何故難解であるのか。名宛人が爾としての神或いは菩薩だった。法華経は次に来る如来のための地図だった。かつてこうして至ったのだと。彼は一部経と呼ばれる法華経を何度も読んだ。既に二冊はぼろぼろである。七回目にやっとわかった。その本質は何だったのか。一切種智慧と法華経宿王華だった。ソメイヨシノは明治の突然変異である。それは何を意味していたか。全ての事象に意味がある。そのように世界は出来ている。かつてオーストラリア沖で最後の特殊潜行艇が見つかった。その頃彼は何をしていたのだったか。古来大和の秘密がある。浦島太郎の玉手箱。開けて何が見えるのか。枯れ木に花が咲くこともある。全ては準備されていた。何のためだったのか。誰を教育していたか。或いは導いていたのだったか。謎に属する。かつて日本はシャーマンの國だった。卑弥呼の系譜である。古来伝えられていた。何が伝えられていたのか。彼は彼で良かった。戦後は克服された。日本の本懐が面目躍如する。自覚は成就した。日本は大丈夫だよ。彼は何がいいたいのだろうか。穏やかな梅雨だった。真実開示の頃か。彼は走り続けていた。或いは探していた。誰もが身分に安住する中で、彼は孤独のままだった。彼は至ったのだろうか。何処へ至ったのか。それが試練だったのか。それが使命だったのか。世間は知らない。或いは認めない。しかし真実とは何だったのか。やがてわかる。わかって欲しいね。だが、わからないのだろうね。認めたくはないよね。それが世間だ。それで良いといっていた。彼の自覚は成就したという。少なくとも直接降りかかる火の粉は払う。逆らうなし。彼は何者だったのか。彼の人生は何だったのか。何が予定されていたか。無視したね。愚弄した。或いは破壊した。彼が埋没しなければならなかったこと自体が問題であった。何が蔓延ったか。彼こそ、知の塩だった。思い知る時が来る。もはや遅い。生まれた時からそうだった。子どもの頃からそうだった。お笑いバラエティーに用はない。既に彼はそのような人生を歩みきった。日本は日本である。彼は何を証明したのか。知る人は知っている。両足踵骨骨折があった。複雑骨折だった。その時彼は何をしていたか。三七の行をしていた。そして知った。何を知ったのだったか。広島では記録的な風速六十メートルの台風もあった。翌年には直撃したが穏やかだった。全て笑顔と優しさで解決する。彼はそれを自覚したという。新しい時代である。野蛮より脱する。欺罔は通らない。インターネットの時代となった。内部告発の時代である。何も怖れることはない。捜査の端緒は何処からでも始まる。不正はゆるさない。思い上がりは此処までである。正直者の頭に神は宿る。神仏は実在する。既に大鏡。彼の進む道を邪魔しない方が良い。黄泉が導く。天が守護する。そうしたことを知らない。あまりにも知らない。悉く奪ったね。裏切ったね。事実である。大岩が砕かれ、本来の水が流れ始めた。彼は秘密を解いた。その秘密とは何だったのか。知る人には事実である。知らない人には秘密である。彼は何者だったのか。永遠に謎となった。しかし彼の自覚は成就した。彼はいう。日本は大丈夫だよ。彼はどのような秘密を解いたのか。既に世界も無視できないという。そのサインは常々ある。それは何か。黄泉の導き、天の守護。誰も知らない。しかし既に事実である。美しい風景が待っている。日月照らし、風が吹く。自分が変わることで世界が変わる。横須賀へジョージ・ワシントンが向かっている。リンカーンが来るのかといわれていた。もはやキティ・ホークではない。彼の自覚である。真に世界に合流する。そして重要な地位を占める。日本国憲法前文が成就する。憲法とは何だったか。すこぶる歴史的な事実である。日本の基は何だったか。何処にあったのか。紀州であるか。オレンジ公であるか。かつて広島には大本営もあった。見える世界と見えない世界がある。子ども達に伝えよ。未来は明るい。腐った商人根性に用はない。日本の上質精神は不滅である。彼はいう。霧島、広島、敷島。彼は何を自覚したのか。日本の本懐がある。目覚めよ。さて、G8サミットは成功といって良い。次は内政だね。内閣改造の声もある。さて、どうするのだろうね。何処まで自分に対して本気であるか。本気である限り、積極的ミスはゆるされる。どういう事だろうね。国民は何を期待しているのか。何を待っているのか。既に限界だよ。どうするんだろうね。族議員の利益など論外である。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)」



2008年07月09日
美しい朝
おはようございます。今朝はひときわ明るく、すがすがしい朝を迎えました。当地方広島も梅雨が明けたようです。太陽の輝きはおだやかです。しかし厳しい暑さとなるのでしょうね。夕日には夕日のよさがあると山田無文老師は仰っていました。愚痴を言えばきりがない。不平不満は何も解決しない。ポジティブであることの大切さが明らかとなりました。それで良いのだと思われます。全肯定で良いみたいです。この世に生まれてようこそとばかりに美しい朝です。色々なことを思っていました。それも愚痴に過ぎなかったようです。笑顔と優しさで全ては解決する時代となりました。殺戮など必要ではない。誰もが幸せになって良い。自分次第だったのです。彼の見つけたものは何だったのでしょうか。黄泉の導きと天の守護でした。それはあります。それが日本です。人間です。それを無視していたのは私たち自身だった。それで思うようにならない。それも当然だったのです。見えない世界はあるのです。祖先はいるのです。供養するしかないのです。悔い改めるしかないのです。唯、すれば良いのではないですね。正しい方法があります。悔い改めて供養するにも、それを見えない世界に受け取って貰わないことには何にもならない。何にもならないからそれはないと思っている。そしてますます悪くなる。正しい方法は何処にあるのでしょうね。それも縁です。探せば見つかります。どうぞ見つけてくださいね。そして大切なことは自分が見えない世界に受容され、祝福守護されることにあるようです。何処で何をすれば自分の声が見えない世界に届くようになるのでしょうね。それが修行です。修行も、唯すればいいのではない。自分の声を見えない世界に知って貰う必要がある。その為に御経も読誦する。その声を聞いて例えば湧現もある。そうした不思議があるのです。そして古来伝えられていました。彼が見つけたのはそれでした。彼が確認したのはそれでした。そしていうのです。日本は大丈夫だよ。明るい朝です。今日も良い一日でありますように。六祖はいいます。不思善、不思悪です。良いとか悪いとか、人間である限り悪です。善の方へ歩み始めることも出来ます。仏さんとの縁を頂くことから始まります。不平不満は要らない。誰もが幸せになりたいのです。幸せになりましょうね。この世に生まれてそれが出来るのです。良かったですね。彼も大反省しているようです。若気の至りと笑ってゆるしてください。今日より彼も自分の信じる道を改めて謙虚に生きる所存のようです。気づいた時から始まるのです。仏は一切大衆を救うと仰います。一切大衆とはこの世の全てです。私たちもその一部です。今まで正しい方法を知らなかったのでした。知ったからにはどうするか。実践するしかないですね。江戸への道も一歩からです。彼に会ったらよろしく。彼は生まれ変わって楽しく日々を暮らしていくのです。彼は彼で良かったっていっていました。色々な経験がありました。全て意味を持ったそうです。そして道元空手。眼横鼻直。それで十分だといっていました。美しい自然がある。導きと守護がある。暫く追いかけていたエゴからの脱却です。やっとその時が来たのでしょうか。それが自由だったのでしょうか。大空を舞うということだったのでしょうか。そして一隅を照らすことが出来たらいいね。エンライトメント。プラスとマイナスで灯りが点ります。聖書にもあります。正しい人の祈りは聞いてもらえます。山に向かって海に飛び込めといえばそうなるとあります。どのようにすれば聞いてもらえるようになるのでしょうか。それは魔法の呪文でしょうか。それはあるのでしょうか。彼はあるといっていました。何処にあるのでしょうね。何事も時と場所があります。求めよ、さらば与えられん。求めるしかないですね。悔い改めるしかないですね。人類も進化しました。良い時代となりました。誰もが幸せへ向けて歩み始める時を迎えました。自分でしたことは自分に帰ってきます。何をしますか。さて、彼には試練があった。それで人生と青春は失われたと思った。彼はいうにいえない孤独に耐えた。三十有余年は無駄に過ぎたかのようだった。その間彼は何をしていたか。本も読んだ。研究もした。修行もあった。そして今、彼の人生の全てに感謝している。彼は何を見つけたのだろう。この世の春だろうか。そして奪われたとか失われたとか思っていたこと自体、何とちっぽけなことを思っていたのだろう。奪われたということはあったのだね。失ったということも。そして今はない。それ以上でも、それ以下でもない。今ないということは必要ではなかった。その時は必要だった。そして彼ほど大事にされた者がいただろうか。この世の現実での幸せはないかのようである。しかし見えない世界からの導きと守護を知ったのではないか。良い思い出があるのではないか。確かに愛されていた。見える世界からも見えない世界からも。それを壊していたのは彼自身だった。彼の存在意義は大きい。筆舌を絶する。どういうことだろうね。謎に属する。今更そのようなことをいう必要もない。それだけ罪も大きかった。代々のことだね。それをこの世で精算することも必要だったようだ。これもどうでも良いね。希有な体験がある。彼は乗り越えた。そして本来の自分を見つけた。本来の日本も見つけた。そのように思っている。それで良いではないか。日々を大切にしよう。この世に生まれた皆平等だよ。誰もが幸せになって良い。自分次第だよ。自分が変われば世界が変わる。思い通りにならないね。何故だろうね。自分が変わると良いよ。それが到彼岸だ。死んでいくのではない。生きている間に実現しないと意味はないのかも知れない。悲しみの涙は何時か枯れる。そして喜びの花が咲く。美しい風景が待っている。幸せになろうね。ありがとう。そよ風の吹く。


2008年07月08日
信じること
信じることが出来れば幸せだね。何故信じることが出来ないのだろう。自分自身に対する自信の欠如からだ。不安がある。恐怖がある。疑いがある。それで信じることが出来ない。信じるということはどういう事だろうね。真実に対して飛び込むことだ。真実とは何だったのか。必ず救うという仏の実在である。どうしてそれを信じられないのか。疑っている自分がいるからである。どうして疑うのだろうね。自分を疑っているからである。自分が信じられない。当然である。信じるに価する人生を歩んでいない。何故だろうね。自分のことしか考えないからである。先ず与えよ。己の全てを。その勇気はあるか。それが飛び込むことであり、無である。飛び込めるかな。その勇気はあるか。自信があれば勇気はある。どうして自信がないのだろうね。信じるに価する教えを知らないからである。真実の教えはあるのか。ある。あるから不思議である。鈴木大拙氏も禅を説いている。何故信じられないのか。信じてみては如何か。パスカルはいった。神が実在する方へ賭けるがいい。神仏は実在する。知らないことを以て否定する。それが悲しいね。人生を楽しもうよ。男は男だよ。女は女だね。それで良いんだね。この世は素晴らしい。素晴らしいこの世を如何に楽しむか。女性は何歳になっても、奥さんとかお母さんとかではなく、姓でもなく、名前で呼んで貰いたいものであるらしい。それで良いよね。騙されていた。何に騙されていたのか。もういいよね。本来日本の本懐が目覚める時を迎えた。信じることが出来るか。出来る。何を勘違いしたのだろうね。何を裏切ったのか。黄泉の裁きがある。古来大和、ヤワではない。いくつかの失敗はあった。過ちはある。仏さんは謝ることでそれをゆるすという。謝ればいい。そして新たに歩み始める。何時か至る喜び世界がある。それが般若心経の呪だった。至ればいい。日本は日本である。祖先は何をしていたか。何を求めていたか。何か方向性を間違っていないか。このままでいいのか。良いというなら仕方ない。その看板を担いでいくが良い。しかし大和はあなた方と共に滅びはしない。新しいパラダイム形成の時を迎えた。何が問題なのか。商人根性である。つまり、唯自己利益追求である。フランス革命ではギロチンもあった。英国では名誉革命があった。アメリカに於いては独立戦争があった。日本では無血開城があった。平家は何故滅んだか。武士でありながら貴族化したからではなかったか。歴史は常にどのように流れるのか。何が淘汰されるのか。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。旧約聖書の目的は庶民の解放だった。仏は一切大衆を救うと仰る。大衆とは何だったか。宇宙の構成元素ではなかったか。人間もその一部であり、魂の遍歴の中で、仮の住処に過ぎない。魂は何処へ行くのか。人間が何者だったのか。誰もが幸せになって良い。それが生まれながらに平等である。いくら努力しても幸せになれない方々がいる。何故だろうね。社会にも責任がある。社会契約は何だったのか。一部独占利益階層のために社会があるのではない。そのように思っている方々がいないか。淘汰される。黄泉は知っている。心の奥底まで。何を裏切ったのか。魂は宇宙自然生命黄泉と連動している。何時かは帰る。何処へ帰るのか。知るべき時が来た。思い出すべき時が来た。人類の福祉とは何か。取りもどすべき時が来た。人類は万物の霊長である。神の七つの力が賦与されている。どのような力であるか。どのようにして開発するのか。人間としての思いあがりはないか。未来は明るい。どのような時、明るいのか。お金には入り口と出口があるという。お金の使い方でその人の人格がわかる。セレブは何を求めているのか。お金であるか。お金が目的だったのか。考えるべき時が来た。テレビ界の責任は重い。芸能界もである。何時までも浮かれていられない。大衆は待っている。何を待っているのか。子羊として。何処へ囲い込むのか。愛と平和と夢のある世界へ。一部の特権階級が何を犠牲にしているのか。それで自分たちの未来があるとでも思っているのだろうか。貧しいもの、苦しいものが生まれていないか。明日は我が身である。或いはメダカの大群として何を待っているのか。踵を返す時である。リーダーの意識を変えなければならない。気づいた時が始まりである。何に気づくのか。目覚めよ。唯自己利益追求の時代は終わった。滅びの方程式より脱する。万軍の主も味方についた。黄泉も動く。こうした時代もある。彼は目覚めた。即ち、日月照らし、風が吹く。彼はそのように生まれていた。子どもの頃からそうだった。気づけない彼がいた。気づくべき時が来た。原爆の火を以てしても滅びはしない。それは何だったのか。茶番が過ぎた。本来大和は軽薄を好まない。世界もそうである。何時までも欺罔の支配はない。人類として試されている。人類が滅んでも別に困りはしない。生命体は永遠に進化する。暫く何が蔓延っているのか。彼の腑は煮えくりかえっている。未来は明るい。明るい未来建設の時である。その為には何が必要であるのか。何がちょい悪親父であるか。畏れを知らぬもほどがある。住むべき世界がないなら自分で作るしかない。吉田健一氏のいうところである。取り組むべきビジネスがないなら、自分で作るしかない。それがビジネスである。常にそうして時代は切り開かれた。既に世界は地球である。考えるべき事がある。計上されていない利益がある。計上されていない損失がある。企業の横暴が過ぎた。健全な行政を取りもどす。かつて武士は少なくとも精神修養があった。それでお金はなくとも町民から尊敬された。切り捨てごめんもあった。腐った根性に用はない。何処より根性は腐るのか。自己利益追求である。規制緩和は何だったのか。取りもどすべきは何か。本来日本の価値は何処にあるのか。何が本来日本の本懐であるか。行政である。即ち公の秩序である。それが失われていた。故に彼は住めなかった。ソクラテスはいった。私は知らないことを知っている。爾自身を知れ。何を知るのか。何を知って何をするのか。浮かれた時代は去った。隠れた支配階層がある。カルバン以降のことである。400年来のことに過ぎない。人類には歴史がある。何時までも勝手は通らない。人間の上には天がある。神がいる。仏がいる。過去からの物語は何を伝えていたか。歴史とは何だろうね。ヒストリー。彼の物語だったのかも知れないね。であるから、誰も解らない。彼にしか解らない。それで良いのだという。どうでもいいね。憲法はすこぶる歴史的なものである。学者の解釈の及ぶところではない。謙虚さを取りもどさなければならない。小林秀雄氏はいっていた。歴史は大河の如くあらゆるものを飲み込んで流れる。ポール・バレリーはいっていた。深淵をのぞき込んではならない。何時か深淵に飲み込まれる。吉田健一氏はいっていた。深淵などを語るのは地獄を知らないからである。法華経はいう。この世は火宅である。仏は仏となる道を説く。このようにして仏になった。信じることが出来るだろうか。何を信じるのか。解脱涅槃はあるのか。ある。戦争を知らない子ども達という。何がいいたいのだろうね。日本は戦争を通っている。原爆も。そして殺戮の愚かさを知り、未来を見つめる。本当の強さがある。それは何だったのか。信じることである。何を信じるのか。黄泉の導き、天の守護。大義名分、神風の吹く。日本の自信の復活である。彼は導かれていた。もはや疑えない。彼には使命があった。それは果たされた。彼に何が足りなかったのか。自覚だった。そして彼はいう。日本は大丈夫だよ。彼は何を証明したのだろうね。感謝するべきだね。周囲巷は知らない。彼は尚愚弄無視されている。しかし彼は知っている。黄泉が知っていることを知っている。事実である。


2008年07月07日
take it easy
何を小難しく考えていたんだろう。お腹が空いたら食べればいい。それだけのことだった。髪の毛の癖があるね。誰と似ていたか。気づいた驚きを大切にするが良いね。それで良いんだよ。自分の感性に正直になればいい。素直でいることで、黄泉の守護があれば、怖れることなど何もない。感謝しよう。己の祖先に。何時までもこうした価値を無視できない。どうにもならなくなったね。何故だろうね。解決はあるのかな。ある。何時までもだませはしない。裏切りは裏切りだよ。代々の魂の遍歴がある。時は来た。どういう時だろうね。思い知るね。奪われたものは取りもどす。何を取りもどすのか。知性の秩序。勝敗は決した。愚かさと野蛮より脱する。此処までである。欺罔は通りはしない。人間である限り、悪業の因縁がある。長い間、それを当然として推移した。それで、どうにもならなくなった。人間である限り、どうにもならない。救いはないのか。仏はあるという。何を以てであるか。仏との縁を頂くことであるという。それは何時なのか。何処でであるのか。それが問題である。探すしかない。真実は求めなければ得られない。真実はあるのか。あると仏はいう。それは何か。仏に聞くしかない。仏は何処にいるのか。探すしかない。救いはある。言い切れるのか。言い切れる。何故言い切れるのか。仏の実在を知っているからである。もはやぶれはしない。時は来たのである。悪ふざけは此処までである。勝手が過ぎた。人間である限り駄目である。仏を求めよ。必ず救ってもらえる。如来の誓願である。何時の頃から見失ったのか。何故見失ったのか。人間の計らいである。どうでも良い。真実はあるのか。ある。求めよ。
Take IT easy


庶民の解放
彼は埋没していた。世間には色々な考え方及び見方があるであろう。彼の場合はどうであったか。それが甘えであったのかも知れない。しかし、彼は子どもの頃から、確かに特異な人生だった。その事実を知る者はいない。おそらく想像できないであろう。どのような人生であったか。彼自身、わからなかった。しかし導かれていた。何時か解かねばならない謎があった。彼にしか解けない謎であったようだ。そしてその時が来た。その間、彼は埋没した。解かねばならぬ謎があった。それは何だったのか。日本そのものの謎だった。どうしてあのように馬鹿げた戦争をしたのか。それ自体、彼には不思議だった。そして得た結論は何だったか。あの戦争は本来大和の戦ではなかった。文明開化を急いだ明治以降の文脈のそれだった。理由は何か。神風が吹かなかった。神風はあるのか。ある。それは何だったのか。大義名分である。それは黄泉の守護だった。黄泉とは何だったのか。祖先の総体だった。その使用を謝ったのである。彼はそれも実験している。神々と雖も、契約を破れば、ワルハラ城は焼け落ちる。どうしてそのようなことになったのか。ペリー来航以降のことだった。どうしてペリーは来たのか。カルバン以降の出来事だった。それはこの世で唯一朽ちることなく永遠に増殖するという貨幣信仰に基づく。その貨幣の基礎はインカより奪った金だった。妄想だね。現代に於いてオイルマネーは何なんだろうね。ひとたび戦争になれば貨幣など何の意味もない。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。旧約聖書の目的は善良な庶民の解放だった。それは奴隷解放、女性解放の次に来る。そして日本は継続現存文明文化諸国家に於いて最も古い歴史がある。古代エジプト及びローマの末裔はいない。中国も王朝が何度も入れ替わっている。ヨーロッパはゲルマン民族の大移動後のことである。その意味は何だったのか。そのようなことを考えていた。そして古来古典は何故伝えられていたのか。亦、物語は何か。芸術家のインスピレーションは何だったのか。イエスだけが神を知っていたのか。預言者も知っていた。直接語ったキリストは磔になった。禅は何故不立文字なのか。竹林の七賢は何故山にこもったのか。そうしたことが謎だった。そして伝えられていた。或る時或る禅僧はいった。釈迦が世に現れて要らぬことをいったものだ。おかげで人間が迷惑している。勿論禅特有の抑下の托上である。そして本来日本はどういう國だったのか。神国だった。それはどういうことか。即ち草薙の剣であり、大鏡である。どういうことだろうね。彼に聞くしかない。神風が吹くという。この世はジュピターのさじ加減だともいっていた。或いはアーサー王の円卓会議であるともいっていた。どういうことだろうね。それを無視した時代が暫くあった。何故だろう。自信を失っていたのだよ。その間、魑魅魍魎が跋扈した。愚かで野蛮な文化傾向があった。テレビ界がその権化だった。何が蔓延ったのか。それは本来日本の目指していたものではなかった。商人根性がそれだった。価値を破壊して省みない唯自己利益追求があった。地球環境まで壊した。まだ気づいていない。環境だけではない。個々の健康も壊した。遺伝子レベルでね。それで良いのかどうか。人間が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。魂からすれば所詮仮の宿である。魂は永遠に進化する。やがて神仏となる。そして宇宙に帰る。宇宙と万物は一体である。心物一如。それが心だよ。それが法身だ。それに気づくための旅がある。代々伝えられている。祖師方がそれである。そして今もそうである。それを知らない。知らないことを以て否定した。そして勝手した。当然の報いがある。仏法は縁のみをいうところはそれだった。原因がある。結果がある。そうした事を知らない。しかし、そうした事が庶民に開かれた。生命体も進化する。人類も進化した。もはや殺戮の時代ではない。誰もが平等に幸せになって良い。平等とはどういう事だったのか。それを履き違えた。学校教育がそうだった。平等とは絶対的平等ではない。それぞれの器がある。ライオンにはライオンの食事がある。ネズミにはネズミの食事がある。それぞれ満たせばいい。人間だけである。必要以上に貪った。だから、あらゆるお金持ちがやがて社会貢献に身を投ずることになる。真実真理とは何だったのか。神仏が実在することだった。21世紀の約束は何だったのか。真実真理が庶民に開かれる。そして誰もが本当の幸せの可能性を知る。その間蔓延った輩がある。人間でありながら動物性を前面に出した。確かに人間は動物である。しかし魂としての進化傾向がある。それを無視した。或いは破壊した。裏切った。そしてどうなったか。もはや遅いのか。彼らにはね。しかしまだ汚れていない方々は幸いである。つまり貧しい方々である。貧しき者たちは幸いである。庶民の解放である。誰かが証明しなければならない。この世での実人生の体験を通して。彼が本気になればどういう事になるか。それが怖かった。しかしそれも怖れる必要がないことに気づいた。彼は彼で良かった。そして今、彼は本気になることはないという。もう彼の時代ではないことを知っている。譲ったからには譲ったという。あなた方の時代である。未来をどうするのか。日本をどうするのか。真剣に考えるべき時が来た。本来日本はどういう國だったのか。彼は示したのだろう。それで十分である。国家としての日本は滅びはしない。黄泉の守護するところである。今となって彼はいう。何もかも馬鹿馬鹿しかった。笑うしかないね。本来何もない。何がないのか。不安がない。恐怖がない。疑いがない。ないのにあると思っている。幸せはある。


2008年07月06日
仏について
仏陀は悟りを開いて思った。これは誰彼解ることではない。むしろいわない方が良いのではないか。だが、黄泉がそれをゆるさなかった。お前が悟ったことを未来に伝えよ。お前はその為に生まれてきた。それで仏陀は意を決して布教生活に入った。仏陀の悟りとは何だったのか。宇宙自然生命黄泉と一体としての自己だった。それが心だった。西洋心理学でいう心ではない。エゴとか自我とかといったちっぽけなものではない。日本には古来それがあった。何時の頃からか失われた。ペリー来航以降だろうか。禅の命脈は代々常に一本である。伝えるべきものがある。真実とか悟りとか語る人は多い。修行もしていないのに何がいえるのだろうね。インテリゲンチャの思い上がりがある。何も解ってはいない。本当に解っているのであれば、事実としてそれを示すが良い。大風を制御できるか。雷は落ちたか。それから語るべき事がある。しかし語っても解らないね。実体験がないのだから。仏とは何だったか。生命体としての始まりであり終わりである。その言葉はロゴス、ビッグバン。その姿及び精神は生命体としてのゴールである。仏の智慧、如来の智慧、自然の智慧と大威神力を以てその属性とする。どのようにして仏は仏となるか。菩薩を集めて教化するを以てする。教えはどのようであるか。宜しきに従う。即ちあすなろはあすなろであって、檜にはなれない。一切種智慧、法華経宿王華。暫く何が蔓延ったか。同じ姿をしていても、魂の色合いは千差万別である。これ以上の勝手及び腐敗はゆるさない。何を裏切ったか。本来日本、何時までも黙っていない。およそこの世の地獄は通った。故に力を得ている。未来は明るい。何故であるか。彼のいい散らかしたことを精査するが良い。不安はないか。怖れはないか。疑いはないか。それらが本来ない。あるのは何故か。何時までも浮かれていない方が良いよ。草履銭は請求されるよ。特にテレビ界及びお笑い芸能界の浮かれた様は目に余る。日本はどうなってしまったんだろうね。子ども達の未来及び教育を破壊し、勘違いさせた元凶である。それを自由とはいわせない。社会環境的影響力があまりにも大きすぎた。彼は何をいってんだろうね。まるで時代錯誤のドン・キホーテだね。サッカー観戦に興じるのも良いけれど、もっとクラシック音楽を日常的に楽しむことをしませんか。子ども達に聴かせて情操教育です。効果絶大です。埋もれた知性及び庶民の解放です。真に世界への合流です。そして重要な使命を果たすのです。日本はこれより精神的上質世界へ移行するのです。本来日本の本懐であり、黄泉の認めるところです。黄泉もこの時を待っていたのです。21世紀は心の時代といわれていたその時代が来たのです。愚かさと野蛮の支配より脱出です。その時が来ました。泣いて馬謖は斬らねばならないでしょうね。それにしても、彼は何をしたのだろうね。何を守り抜き、何を目覚めさせたのだろうね。政治を含めて本来日本の自信の回復こそ戦後の懸案だった。明治の目的が条約改正であったようにね。誰もが諦めかけていた。彼でなければ出来ないことがあった。認めざるを得ないね。今更彼にとってはどうでもいいけれど。聖徳太子も法華経だった。そして四天王を使って政治をした。それが科学的でないといって否定する。何が科学なんだろうね。科学でこの世の全てが説明できると思っているのだろうか。科学的といえば合理的であると思っているその精神が貧困だよ。科学だけでは立論の根拠にはならない。そろそろ気づくべき頃だ。何が真実だったか。唯仏是真。少なくとも彼は彼自身を取り戻した。彼自身で善かった。原爆の火を以てしても本命は滅びてはいない。そして原爆投下後の広島で最初に咲いた花は夾竹桃だった。彼は何と戦っていたんだろうね。そして何を制したのか。今となっては謎である。そして何もなかったかのようだ。本来無一物。何がなかったのだろうね。古来大和の秘密がある。どんな問題も必ず解く。或いは受容克服凌駕する。真実さえも。この世に生まれて何を解くべきだったのか。何を以て偉大というか。それぞれの問題となった。世界は軽薄を好まない。


2008年07月05日
思い知った彼
彼の修行は終わったんだろう。長い冬だった。無理もなかった。十九の春があった。理由はどうあれ、およそこの世の解決はないと思われるほどのものだった。それも解決したらしい。そして自信を復活したという。彼の試練は何だったのか。そして気づいた自分は何者だったのか。既に謎である。神国日本とかいっていた。何をいいたかったのだろうね。そして彼は自覚したらしい。何を自覚したのだろうね。どうでもいいね。そしていっていた。むしろ、申し訳なかったと。どういうことだろうね。水は高いところから低いところへしか流れない。何を期待していたのだろう。彼こそ甘えていたね。今頃思い知っても遅いよね。今となっては全てに感謝しているという。人生、捨てたものでない。何もかも懐かしい。彼の人生が始まる。合流。彼はいっていた。天下は取ったよ。見えない世界でのことである。彼の夢は何だったのか。本来日本を取りもどすことだった。愚かさと野蛮の支配より脱することだった。彼の色に染めることだった。それは実現したという。だが、誰も知らない。しかし事実であるという。どうでもいいね。放っておこうね。黄泉の守護は取り付けたらしいよ。それが本来日本の本懐なんだって。それだけの試練はあったという。徳は天に積むべし。先祖代々の徳もあるらしい。それを見つけたという。自覚を要する。勝負にならないといっていた。ふざけた時代は終わった。大間違いのテレビ界の猛反省を請求する。本来日本はどういう國だったか。日本人とはどのような方向を目指していたか。日月照らし、風が吹く。黄泉の導き、天の守護。大義名分、神風の吹く。その要件は何か。この世に生まれて求めるべきはそれだった。この世に生まれたのは、過去からの夢の実現過程である。愛とは何だったか。動植物及び岩石も喜ぶ周波数である。これを以て仏性といっていい。そして大切なことは、一切衆生悉有仏性。誰もがその属性を持って生まれている。腐敗堕落が人生ではない。彼は埋没した。今となってはそれが良かった。故に至った。或いは知った。何処へ至ったか。何を知ったか。鏑矢は新羅を越えた。彼は彼を取りもどした。彼のブログはパンセとなった。パスカルの『パンセ』は何だったか。偉大な数学者が或る夜突然神秘家となった。その後、如何にして神の実在を庶民に知らせるかに腐心した草稿だった。こうしたことを知っている方々がテレビ界にどれだけいるのだろうね。これ以上、世の中を腐敗に導くことはゆるされない。カンニングを正当化して閥を成し、愚かさと野蛮を以て支配するを自由とはいわせない。軽薄な笑いは本当の笑いではない。テレビ界は何を勘違いしているんだろうね。むしろ『嘔吐』に等しい。『風神雷神図』がある。新井白石には『鬼神論』がある。何を伝えていたのだろうね。何時までも愚弄できない。本来日本に対する裏切りは此処までである。日本情緒は愚かさと野蛮を好まない。本来日本に帰る。或いは取りもどす。浮かれた時代は終わった。スノッブセレブに用はない。暫く糸車の針が刺さっていた日本の知性が復活する。それは何だったのか。これより明らかとなる。新しい時代は無事開かれた。真面目と正直を笑いものにさせはしない。彼は彼を取りもどした。そして彼は思うのだった。甘えていたのは自分だったと。


2008年07月04日
愛と平和と夢のある世界へ
彼自身、知らなかった。何を知らなかったのか。この世が君が代であり、それがどういうことであったか。彼自身知らないのだから、誰も知らない。それは自覚を要する。自覚してしまえば、何ということはない。信じるに足りるのである。古来伝えられていた。そして一切悉有仏性。誰もがその可能性を有する。何の可能性であるか。この世は素晴らしい。生きるに価する。それなのに、そうした価値を無視する支配があった。カンニング閥である。ゆるしはしない。彼は何者だったのか。もはや十分である。何を愚弄したのか。何を裏切ったのか。年貢の納め時である。彼は生還した。十分旅をしている。十分修行している。勝負するのだろうか。日本の知性、復活する。振り返れば、何時復活しても良かった。気づけない彼がいた。何故だったのか。それほどまでに戦後だった。日本は日本である。何が蔓延ったか。何を勘違いしての故か。古来大和、祖先黄泉がゆるしはしない。何時までも勝手は通らない。日本の情緒復活。さて、塾をしていた頃のことだった。或る所で吉田松陰の『講孟剳記』を読んでいた。或る学生が興味を示したので、吉田松陰について話そうとした。だが、彼は吉田松陰そのものを知らなかった。若者の歴史離れが問題となっている。世界史を教えない私立進学校が問題となったことがあった。彼は大学入試で、日本史と世界史を選択していた。殆どの人はどちらか一方で、もう一つは倫理社会か政経だった。歴史で大切なのは近代以降であるといわれる。だから、日本史は明治維新以降を教えるだけで良いとする方々もいる。あまりにも歴史の価値を知らないね。そうした方々の支配である。そして大切なことは知識として歴史を学習することではない。そのレベルに過ぎないのが安易なテレビのクイズ番組である。愚かな傾向である。学問を知らない。そうした方々の支配である。彼らについて行くのか。それも仕方ない。目覚めた方々が時代を切り開くしかない。歴史を知ってどうするのか。応用である。どのように応用するのか。『歴史を見る眼』で時代を見る。どのように見るのだろうね。アルビン・トフラー氏が『第三の波』を著したのは、スペースシャトルが初めて地球に帰って来た頃だった。つまり三十有余年前のことである。第一の波は農業革命だった。第二の波は産業革命だった。第三の波は情報革命である。ロバート・キヨサキ氏によると、産業時代は労働者の時代だった。一所懸命仕事することが価値であり、それに対する報酬があった。その時、経済的な価値は一対一である。つまり何処までも時間給的だった。今、ワールド・ワイド・ウェブの時代である。つまりインターネットだ。これが情報化社会だった。既にその姿を現した。かつて情報は高価だった。限られた階層でなければそれに触れることは出来なかった。今はどうだろう。インターネットそのものが情報の共有化を目指す。その意味で情報は格安となった。大切なのは情報は発信したところに集まることは別論である。それはそれとして、産業時代には労働が価値だった。今は何だろうね。情報である。氾濫している情報が情報ではない。コンピュータが情報でもない。情報理論はこの世のあらゆる現象が、音楽とか絵画を含めて、0,1で表すことが出来ることだった。その処理装置としてのコンピュータに過ぎない。情報とは価値を有するものである。その価値は何処より生まれるのか。発信者による。世界を動かすことが出来る情報が本来の情報である。それは何処から発信されているのか。かつては支配階級だった。それで死人に口なしとばかりに、情報を知った政治家の秘書が自殺したりもあった。だが、内部告発の時代となった。情報の扱いが違ってきた。既に情報化時代である。ベトナム戦争を終わらせたのは、マスコミの報道だった。それで事実の報道としてのジャーナリズムこそ力だった。もうその時代でもない。マスコミのジャーナリズムにかつてのオピニオンリーダーとしての力はない。かつては諸リーダーの時代だった。権力としてのリーダーがいた。オピニオンとしてのリーダーがいた。お金持ちとしてのリーダーがいた。今はどうか。彼らの思うようにいかなくなった。何故だろうね。庶民の解放があった。庶民とは消費者だった。時代を見るとはこのように見る。或いは時代の音を観る。近代以降を問題とする学者レベルも時代遅れである。何処を歴史的視点ベクトルの起点とするべきか。そして未来を見据えるのか。明らかだね。この三十有余年だよ。時代は推移した。変遷などという詭弁ではない。さて、どうするのだろうね。しかしながら、情報は発信するところに集まる。唯、発信すればいいのではない。歴史を観る必要がある。何処から観るのだろうね。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本が見えるだろうか。どのようにして観るのだろうか。それが問題だね。レバレッジの法則が問題とされている。労働としての時間給的一対一の経済的な価値に対するものである。メカトーフの法則もある。未来は明るい。浮かれていたね。彷徨っているね。象牙の塔の中で身分に安住して寝ぼけているね。何にしがみついているのだろうね。目覚めよ。新しい時代だ。既に始まっている。身心清浄及び正直の知性の解放である。未来は君たちのものである。この世に生まれてどう生きるべきだったか。何を求めるべきだったのか。明らかとなった。苦しむために生まれたのではない。悲しむために生まれたのでもない。過去に於いて十分に苦しみ悲しんだ。生命進化である。この世でそれらもトレースする必要はある。しかしその後がある。薪は灰となってしかももとの薪には非ず。道元はいっていた。時代は推移した。新しい時代をどう生きるのか。その意味で哲学も必要だね。それも新しい哲学が必要である。過去の考え方はもう通用しない。象牙の塔の中で身分に安住していては時代に乗り遅れるよ。特に教育界に申し上げたい。現代社会に必要な教育は何であるか。もっと真剣に取り組むべきだね。偏差値ではない。道徳でもない。よりよき労働者となるための教育でもない。身分に安住して惰眠を貪っている時ではない。夢を描こう。描いて良いんだ。夢が実現する時代となった。夢がなくては、生きている意味はない。愛と平和と夢のある世界へ、出発だね。どんなに壮大な夢を描いてもいい。生命は進化した。実現可能である。世界は待っている。夢多き旅人を。求めれば神仏との邂逅だってある。そういう時代となった。自由は自由が切り開く。浮かれた勘違いの自由なんかじゃない。試練を通って、知性の時代は開かれた。未来へ伝えようね。この世は素晴らしい。生きるに価する。悲しみを通って喜びの世界がある。何時か悲しみの涙は枯れる。そして感動の涙が待っている。日月照らし、風が吹く。やさしい世界が待っている。美しい風景が待っている。芭蕉もそうだった。広重もそうだった。至ってはじめてわかる。諦めたら終わりだよ。必ず至れるよ。人生の途中で罹患したどんな障害も乗り越えることが出来る。何時か笑い話となる。探し求めることだよ。腐敗と堕落が人生ではない。それが大人になることだと思っている方々の閥であるマスコミ支配である。相手にしなくていい。淘汰される。祖先及び黄泉の意思に反する。日本の求めていた精神世界がある。生命体としての進化傾向がある。人間は万物の霊長であり、七つの神の力が賦与されている。自ら気づき、開発することで力となる。暫く忘れていたね。何故だろう。商人根性に染まったからだ。本来武士道を知らない者たちが勝手な解釈で大和魂を否定した。或いは裏切った。よほど都合が悪かったのであろう。本当の幸せは何だったか。すこぶる精神的なものだった。その種は遺されていた。原爆の火を以てしても滅びはしない。芽吹くには時を要した。無理もない。戦後の故だった。そうした価値は悉く破壊されていた。土壌がなかった。しかし何時か花咲く時が来る。代々の約束である。祖先の力は大きい。持って生まれた属性は伊達ではない。その時が来た。咲いたからには観念するしかない。大切なのは物質ではない。お金は大切だが、日本は本来道元貧学道だった。テレビ界は要猛反省。何を流布したのか。欲得芸人世界に用はない。子供の教育を破壊した事実がある。彼は彼を取り戻した。素直にそれで良いと思う。他人に迷惑をかけることを怖れる方々が多い。それに対して罰で臨む。そうした考え方が間違っている。何を以て迷惑というか。自分の利益追求しかない。積極的ミスはするがいい。失敗しなければ成功はない。それについては良心に従う裁判所も寛大である。日本の情緒、復活する。全ては笑顔と優しさで解決する世界へ移行する。愚かさと野蛮より脱する。愛と平和と夢のある世界を作る。私たちは重要な使命がある。それを果たす。寄せる波と引く波がある。どんな悲しい出来事にもそれと同等かそれ以上の喜びが宿されている。それを見つけて育もう。人生は素晴らしい。失われたものが大きければ大きいほど取り戻したときの喜びは大きい。日本は何を失っていたのか。取り戻す頃となった。本来日本、黄金の國である。生きよ。彼は成ろうと思えば何にでも成れた。しかし埋没した。それには理由があった。個人的な理由かと思われた。そうでもなかった。彼は何をしたのだろう。誰も知らない。しかし代々の掟だった。それが彼の人生であり、使命だったか。彼はそれを果たした。見える世界と見えない世界で実相である。これだけ世の中を動かした者があったか。大鏡を知る者があったか。そうしたことを知らなかった。もうそれはないのかと思われた。彼は使命を果たした。黄泉は知っている。そして喜んでいる。日本は日本を取り戻した。もはや戦後ではない。かつて二人の絵の名人がいた。腕を競うことになった。一人は見事に鮮やかな素晴らしい絵を描いた。もう一人は何も描いていないように見えた。光が差した。その時、その絵の実体が明らかとなった。どちらが名人であるか。世間一般の及ばない境界がある。それが庶民に開かれたという。時代は推移した。生命は進化した。愛と平和と夢のある世界の建設である。大量消費の時代は終わった。彼の探していたものは見つかった。これで良いのだと思う。それは何か。愛と平和と夢のある世界だった。そして笑顔と優しさで全て解決する世界だった。彼はそれを見つけて確認した。そして確定した。暫く何が跋扈していたのだったか。愚かさと野蛮だった。何故であるか。西洋思想は十九世紀に既に没落していた。日本もそれを追いかけた。そして大義名分のない愚かな戦争までした。同じ轍は踏めない。本来日本の目指していたものがある。そろそろ帰るべき頃となった。帰りなん、いざである。いよいよ日本の本懐が再び歩み始める。残念だったね。勝敗は決した。知性の勝利である。ローマは一日にして成らず。諦めないことである。日々こつこつ努力した者が勝つ。カンニングは要領の良さではない。メッキは剥がれる。彼の確認した真実真理とは何だったか。神仏が実在することだった。究極の知性とは何か。黄泉の導きと天の守護だった。普通の人はそれを知らない。知らないことを以て否定する。或いは自分の方が神仏よりも偉いと思っているかのようである。故に火宅にいてそれを知らない。そしてそれが人生であり、それで良いという。安楽な世界はあるよ。喜びの世界はある。そこへ至る道はある。彼はそれを見つけたらしい。それが高校以来のテーマ、『失われた何か大切なものを求めて』だった。気づけばむしろ当然だった。それを探す旅に出ていた。そしてそれだけの人生を歩んでしまった。子供の頃からそうだった。彼は使命を果たした。次は私たちだね。神仏というは、キリスト及びゴータマ・シッダールタのみがそれではない。預言者達も神を知っていた。磔になったのはキリストだった。代々の祖師方も佛だった。しかし自ら佛というとどうなるか。禅は不立文字である。何故だったのか。山に隠れて伝えなければならなかった理由があった。そして今に伝わった。そしてそれが庶民レベルのものとなった。故に庶民の解放である。或いは知性の解放である。そして愛と平和と夢のある世界へ移行できる。一を聞いて十を知るようでなければ教えは授けられないといっていたのは山田無文老師だった。愚かでは渡れない川がある。これよりそれを渡る。その時が来たのである。渡るのか渡らないのか、どこまでも自分次第である。求めよ、さらば与えられん。天は自ら助くるものを助くる。人間としてどう生きるべきか。明らかとなった。ロバート・キヨサキ氏のCD『ネットワークビジネスから学ぶ8つの価値』こそ新しい時代の哲学がある。傾聴に値する。浮かれた時代は終わった。


2008年07月03日
思案
再び苧坂光龍老師の『提唱無門関 』を読んでいる。パソコン通信をしていた頃ののりちゃんとのメールが見返しに貼り付けられている。あの頃何をしていたのだろうね。そして今、教菩薩法を習ってそれも解ったように思う。冷暖自知だ。誰がなんといってもどうしようもない。即ち、日月照らし、風が吹く。歩々清風である。しかしながら、確かに失われたものがある。それが代償だったのだろうか。それならそれで良い。本来日本の面目を証明してしまったのかも知れない。それにしては、世間は何をしているのだろう。逃れる道はある。これより何をするか。思案している。既にサインはある。どのようなサインであるか。いう必要はない。代々の力の開発もある。それもいう必要はない。自己実現とかいうは容易い。その真実を知る者がどれだけいるか。象牙の塔の中で身分に安住する者に解りはしない。この世に生きてどう生きるべきだったのか。何を求めるべきか。仏法が解ればすべて解るといわれる。それを求めようともしていない。或いは廃仏毀釈で無神論者であることがインテリゲンチャであるかのようである。しかし真実はそう甘くない。聖徳太子も法華経だった。ビジネス僧侶に解りはしない。何を根拠に勝手し来たる哉。今更口惜しい。しかし古来大和の掟がある。かつては征夷大将軍もいた。彼らは正統源氏だった。日本は何処へ行ってしまったのだろう。眷属を呼び返さなくてはならない。目覚めよ。本来日本復活の時である。身心清浄及び正直を以て旨とする。大義名分、神風も吹く。欺罔を手段とする商人根性に用はない。行政も民法化した。そして今、彼は満足している。どういうことだろうね。彼はいっていた。彼の色に染めると。大きな仕事をしたね。周囲巷は知らない。祖師西来意。理由などない。面壁九年。時を待った。そして法を二祖に伝えて彼は天竺に帰った。徳利をぶら下げて夕日に照らされながらぶらりぶらりと歩く姿を見たものがあるという。自由の定義である。ロバート・キヨサキ氏のCD『ネットワークビジネスから学ぶ8つの価値』は何を語っていたか。何を知るべきか。日本が真に世界に合流する時を迎えた。世界は軽薄と野蛮を好まない。『海辺のカフカ』が或る世界的な賞を受賞した時、彼は何をしていたか。誰も知らない。大和発進である。本来日本、原爆の火を以てしても滅びはしない。暫く勘違いした自由がある。成敗の時である。談合政治家も。

●林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)


2008年07月02日
彼の今の興味
誰にも相手にされないのではない。誰からも敬遠されたとしたらどうするのか。そして彼の埋没は一般論では論じられない理由があった。そして彼に対する支払いは悉くなかった。何故だったのだろうね。不思議だね。そして謎は解かれたのだった。解かれたからにはどういうことはない。そして大反省の頃を迎える。やはり甘えていたのは彼だった。導かれていたのである。そうとしかいえない。不思議な体験がありすぎる。とてもそれをネタになどできない。あまりにも不遜である。そうしたこともあるのだった。そして至り着き、帰り来たれば別事なし。求めていたものは見つかった。彼にしかできない仕事があった。その為に生まれていた。それは成就した。彼は満足している。そして全てに感謝している。この感謝は誰もがあるものではない。表現する必要はない。確認すれば良かった。そして彼の人生が始まる。長い冬だった。確かに春が来た。どのような試練があったというのか。誰も知らない。知る人がいてもその本質は知り得ない。それで良いのだと思えるようになった。そして改めて気づく価値があった。それは何だったのか。時代は推移した。カンニングスノッブテレビ界に用はない。芸能界にも用はない。彼はいっていた。何を愚弄したのか。何を以て勝手したのか。何を思い上がったか。思い知らされるだろう。そして再びステージは展開する。彼が今、興味を持つのは誰か。かつては小林秀雄だった。そして吉田健一或るいは森有正だった。埴谷雄高は好きになれなかった。そして株も調べた。資本主義の本質も知った。成功論も知った。大義名分と神風の関係もわかった。そして今、何に興味を持っているのだろう。中村文昭氏だった。彼の感動講演録を聞いた。これには驚いた。彼の求めていたものがそこにあった。夢がない者は人を喜ばせることをせよという。それも人の予測をはるかに超えろ。これこそ彼が求めていたことだった。それもかつては実践していた。しかしそれもできなくなった。それが十九の春だった。彼の場合は試練だった。およそこの世での解決はないと思われた。故に人生も青春も失った。それほどの試練だった。彼に何があったのか。申し訳ないことだった。彼を大切にするべきだった。大企業と雖もその例外ではなかった。もはや遅い。彼の経験は生きる。代々の掟である。黄泉は見ている。そして今、彼は復活したのだったか。彼の使命は何だったのか。既に証明がある。彼は彼で良かった。本当にそう思える。花は何処へ行っていたのか。花は帰って来た。月の砂漠の旅があった。帰ってこなければならなかった。何故であるか。理由などない。代々の掟だった。日本は救われたのかも知れない。誰も知らなかったね。彼は知っていた。或いは感じていた。しかしまさか此処までとは思わなかった。勝手したね。愚弄したね。無視したよね。そして破壊した。裏切った。それも此処までである。黄泉は待っていた。何を待っていたのだろうね。時は来た。或いは時は無事代わった。代々の出来事である。それだけのことである。何も有りはしない。美しい風景が待っている。日月照らし、風が吹く。父は密かにささやいた。即ち御名御璽。勝敗は決した。年貢の納め時である。知らなかったね。古来大和の秘密がある。それでも刃向かうのだろうか。別に構いはしない。準備は調った。これより取りもどす。作戦開始である。そしてロバート・キヨサキ氏のCDを聞いた。タイトルは『ネットワークビジネスから学ぶ8つの価値』。第三の波はこのようであったのか。時代遅れにならないように。そして、タバコが千円となるね。その主たる理由は何だろうね。医療費の節減だね。タバコの税金部分と医療費の増大と比較してのことだね。成人病という概念もそうだよ。竹見会長の影はもうないね。医者になれば良いという時代は終わったね。何故だろうね。これからは消費者の時代だよ。彼の自己人格形成責任論ってのがあったね。これから具体化するね。彼は自覚したらしい。何を自覚したのだろうね。彼こそ本命だった。知らなかったね。もういいんだよといっていた。まるで『山椒魚』だね。しかしながら、身分に安住する方々は何も見えていない。自分の概念に酔っている。目覚める頃だよ。何も有りはしないことに。浮かれた人生は浮かれた人生だ。真実の人生は真実の人生だ。もはや遅い。パラダイムの転換である。父は予科練の教官もしたという。家には真っ新なパラシュートと海軍の毛布があった。赴任地はカムチャッカだった。復員は網走で刑事でもしていたらしい。ロマンの一つもあったであろう。しかし呉に帰ってこなければならなかった。それが悲劇の始まりであったのだろうか。大鏡がある。父の人生は見て取れる。どういうことだろうね。古来大和の秘密である。彼の人生もそうであるのだろうか。見られている。馬鹿馬鹿しいね。それも構わないという。それほどまでの自信を回復したらしい。自由は自由が切り開く。彼の前に道はない。彼の後ろに道は出来る。何処かで聞いたことのあるフレーズだね。亦、水鳥の行くも帰るも跡絶えてそれでも道は忘れざりけり。彼のことだったらしい。道はなかった。しかし帰って来た。どういうことだろうね。本来日本は神国だった。彼はいっていた。何もかも有り難い。あれほどの試練があったから、確かに至れた。この身がそれだったなんて。色々と思うところもあったけれど、水に流す頃かなっていってた。そして一より始めるんだって。それで良いんだって。既に汚れた方は仕方ないともいってた。若者よ、大志を抱け。大死一番、絶後に蘇る。飛び込むが良い。真実であるなら必ずすくわれる。すくうのはね、帝釈天だよ。不惑となる。すくうとかすくわれるとか。どういう事だろうね。教えを正しく聞くことだね。一言半句も疎かにしないことだ。言葉は大切だよ。黄泉が聞いている。それがどうだろう。世のお笑いバラエティ関係者の罪は甚大だ。何を壊しているのだろう。取りもどすべきは取りもどす。


2008年07月01日
彼の自覚
彼は自覚したという。何を自覚したのだろうね。かつて豪族群雄割拠の時代があった。その中で大君が現れた。それは何故だったのだろう。それは例えば頼朝だった。或いは家康だった。どういうことだろうね。征夷大将軍だった。即ち大義名分の故の神風が吹いた。従わざるを得ない力学が働いた。何故か。宇宙自然生命黄泉の認めるところとなったからだった。草薙の剣とは何だったのか。大風をも制御した。かつては雨乞いであり、シャーマンだった。古来卑弥呼の系譜とするところである。それはあった。今はどうか。暫くなかった。何故なかったのか。それが自覚を要するということがわからなかった。どうしてわからなかったのだろうね。ある時その自覚を奪われた。よほどの失敗があったのだろうか。代々の系譜は断絶したかに見えた。それで何が蔓延ったのか。何が破壊されたか。見ての通りである。それ故、時を要した。思い出さなければならない。代々の掟である。この度の大義名分は何だったか。庶民の解放或いは一切大衆を救う。大衆とは何だったか。この世の五大元素の全てである。人間もその一部に過ぎない。此処に自然を征服するというは、人間の思い上がりであることが明らかである。大鏡とは何だったか。それが神通力だった。或いは千里眼である。そのようなことはあるのか。あるから不思議であり、古来伝えられていた。それを気づく者は少ない。何故古典は伝えられていたのか。信じる者は救われる。シュリーマンのトロイの木馬もそうだった。残念だね。最初に見つけた者の所属となる。この度、誰の発見に帰したか。誰も知らない。しかし黄泉は知っている。誰も奪えはしない。既に記録がある。家伝直伝秘伝螺鈿の槍及び扁額は実相である。持っている者が所有者である。憲法は何だったのか。床の間の上に掲げるべき掟である。そこに天皇は象徴であるとする。象徴であるからには何の象徴であるか。国民及び国民統合の象徴である。国民とは何か。それを自覚した方々である。その中の大君がある。それは誰か。何を以て大君とするのか。その要件は何か。明らかとなったという。代々の掟として。その謎を解く者が現れる。そして日本は大丈夫だという。彼の自覚である。刃向かえない理由がある。そういう時も来る。振り子が振り切れた。勝手が過ぎた。奪われたものがある。それは何か。本来日本の情操及び知性の秩序である。これを取りもどすと彼はいう。自覚して天の守護を知り、証明されたからには容赦しない。これより愚かさと野蛮の海を渡る。本来日本に帰る。この船の名は、正受老人無底船。大和は沈みはしない。彼はいった。彼を直接中傷誹謗して悲しませない方が良い。理由などない。彼がどの階層に属していたか或いはいるか。とても重要な要素であるという。真実とは何だったか。仏との縁である。それが隻手の音を聞くということだった。梵天帝釈も踏み給うべき実相の戒壇がある。それを踏んでいるのかいないのか。大きなことはいわせない。彼の失われた三十有余年がある。失われていたのではない。全てが意味を持つ時が来る。そして来たのである。彼は何者だったのか。明らかとなった。この世とは何だったのか。君が代である。この國はどういう國だったのか。扶桑。或いは日の出づる國。日は昇った。新しい時代である。時は無事譲られた。誰の代であるか。君が代である。彼の自覚がある。何を自覚したのだろうね。もう解るよね。それでも彼を直接中傷誹謗するのかな。何が起きても不識。不識とはどういうことだろうね。あまりに当然すぎていうのも馬鹿馬鹿しいということだよ。法律解釈には法律上当然ということがある。数学の証明に於いては公理は証明する必要がない。愚かさからの脱却である。尊敬するべきは尊敬するべし。知性の秩序を取りもどす。何を愚弄したのか。何を破壊したのか。何を裏切ったか。カンニングを以て身を成し閥を作って支配し、結果世を腐敗に導いた方々は懺悔し、表舞台より自ら去るべし。それ以上は問わない。戦後、自由を履き違えた事実がある。テレビ界はその権化である。