難信難解

2009/09/02


  • 昨日はよく晴れてとても美しい日でした。これを彼は廓然無聖といっていたのです。山田無文老師のいう、聖諦第一義はわかってもこれはわからんとするところです。そしてこの光景を瑞相だとします。それに対して法華経化城諭品第七は次のように書いています。
  • 大徳の天の生ぜるとやせん
    • 佛の世間に出でたまえるとやせん
    • 多くは是れ佛の世に出でて 苦の衆生を度脱したもうならん
  • 亦、無文老師は、一を聞いて十を知るようでなければ、仏法は授けられないとも書いておられました。どういう事でしょうね。彼(無文老師ではない)はいいます。魂と宇宙は連動している。見える世界と見えない世界がある。要は霊界から認められることである。それを黄泉の守護といって良い。霊界から見て、どのような者が可愛いのか。その時、祖先が重要な要素となる。
  • 法華経の目的は何だったのでしょうか。諸佛の智慧と大威神力を知らしめることでした。それは測り知れないとします。人智すなわち思慮分別の及ぶところではないとします。故に難信難解とします。そして、
  • 力・無所畏ありと雖も、而も之を用いず。
  • 佛はどのようにして佛となるのだったのでしょうか。法華経に「世世」という言葉が出てきます。どういう事でしょうね。仏法には、初説・中説・高説があるといわれます。私たちは何度も生まれ変わっています。人間として生まれたのは今、三度目でしょうか。世世とは初説と中説の時代です。その時、既に佛の教えに従っていたのです。そして諸佛を供養し、徳本を植えていたのです。それからこの世に生まれて菩薩を集め、教化していくことで諸佛となっていくのでした。何事も種です。諸佛にも種があるのです。法華経で説いていたのは、そうした諸佛の世界でした。故に、難信難解です。
  • 佛世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、勤修精進して一切智・佛智・自然智・無師智・如来の知見・力・無所畏を求め、無量の衆生を愍念安楽し、天・人を利益し一切を度脱する。是を大乗と名く。……人として独滅度を得ることあらしめじ。皆如来の滅度を以て之を滅度せん。