リラックスしていいんだよ


ずっと戦っていたのだろうか。何と戦っていたのだったろうね。自分とだった。それは辛い苦しい戦いだった。相手が自分である限り。それは緊張の連続だったろうか。何かを探していた。それは何だったか。自分だった。この世に生まれた意味は何だったか。それを探していた。そしてそれは戦いだった。何時か勝利しなければならない。そうしないと、すべてが無駄となる。焦りもあったかも知れない。そして気づいた。すべては与えられていた。そして導かれていた。常々サインもあった。雷も落ちた。大風も吹いた。大風の制御もあった。鳥に導かれた。何だったのか。この世に秘密がある。それは存在だった。天候をも支配する思念力があるという。そうした人生もある。それが古来大和の秘密だという。代々の務めだともいっていた。そして彼は何をしたのだろうね。何を確認したのだろう。存在だった。存在は亦道真もそうだった。知性の回復と勝利を目指したか。それは凄まじい戦いだった。十九の春にそれはあった。その後埋没した。人生を諦めていた。しかし何時か立ち上がる。それも宿命だった。彼は最後の戦いに挑んだ。すでに思索は十分だった。そして何を得たのだろう。 リラックスしていて良いということだった。それで才能も発揮される。この世はそのように出来ていた。しかしその過程では嵐もある。いつかは辿り着く。それはある。幸せと愛と富と。永遠のテーマだった。富は物質だけではなかった。精神も物質も本来同じだった。それはこころだった。壊れたこころがあった。それは時代でもあった。もう修復は出来ないかと思われた。こころを修復するのは現代医学ではなかった。それだけは確かだった。彼は存在していた。その意味が確認された。どういうことだろうね。一休髑髏だった。それを受け入れることが愛だった。不思議がある。謎がある。いつか解かれる。そして本当の自由を知る。彼はいった。リラックスしていいんだよ。知らなかったね。知らずに粗末にした。その報いはある。宇宙の法則だった。いつか至りたいね。永遠の幸せへ。それはある。この世の現実として。お金ではなかった。それは物質だった。日本は古来精神的国家だった。ペリー来航以降、文明開化は失敗だった。本来日本の目指していたものがある。それは生命進化傾向だった。知らない方々が悉く破壊した。本来日本精神が復活する。そして世界をも救う。武士道精神は野蛮ではない。知らなかったね。知性が復活する。
愚かな文化は滅びる。カラカラ浴場は日本にはない。そしてリラックスしていいんだよ。戦いは終わった。安らかな文化となる。都会は都美である。何をしてきたのだろうね。あらゆる欺罔とバイオレンスは本来通らない。舌切り雀である。鬼ヶ島である。鬼はどこに住んでいたか。己の心の中に。それで愚かな戦争もある。彼はいった。直接間接に害を為さないことである。黄泉が動く。リラックスしていいんだよ。時代は開かれた。彼の自覚があった。彼の試練があった。それは存在だった。何かを確定しなければならなかった。とても重要な使命があった。本当だろうか。本当かも知れない。宇宙の掟がある。それは何だったのだろうね。知るべき時が来たのだろうか。まだ知らないことを以て否定するのだろうか。悲しいね。自分が基準だね。それで見えていない。知性はある。それを仏といっていい。力はある。それを神といっていい。何時までも勝手は通らない。彼は何を観たのだろうね。自分をも壊したといっていた。それほどまでの試練があったらしい。それは忍辱だともいっていた。それも偏に自信を失っていたが故だった。しかし彼こそ彼だった。彼が果たさなければならない使命があった。始めに何が蔓延ったのだろうね。それを自由とはいわせない。本当の自由は遅れてやってくる。古来日本の本懐がある。それは何だったか。ある時、破壊された。彼らにとっては悉く邪魔だった。何を愚弄粗末にしたのだろうね。今もその支配である。黄泉が何時までも黙っていない。受忍限度を超えた。それも確かであるらしい。知らなかったね。そして知る頃となった。リラックスしていいんだよ。彼はいった。日本は大丈夫だよ。主権在民。平和主義。本来日本。無事開花。愛と幸せの國。求めていたのは何だったのでしょうか。絶対の自信というべきものでした。それは失ってやってくる。生まれ変わるといっていいですね。それが如来でした。こころのおだやかさを取りもどして本当の人生が始まります。何もかもゆるせるのです。
それは自分をゆるすということでもありました。緊張していては失敗します。失敗しても良いのです。より完成へと近くなります。故に失敗も必要です。無駄も同じく必要です。何時か辿り着きます。一朝一夕には行かないですね。三十有余年を有することもあります。自分を壊す失敗もあります。もう駄目かと人生を諦めざるを得ないほどに。それも試練だったのです。失ったものが大きければそれだけ獲るものも大きいのです。この世で実現出来るでしょうか。何を求めていたのでしょう。永遠の幸せでした。それはないと思っていませんか。あるのです。神仏との邂逅だってあるのです。信じたいですね。確率論を大成した数学的天才のパスカルは云いました。神が存在している方へ賭けてみよ。こころの嵐が治まって何かが開けてくる。それは何だったのでしょう。21世紀こころの大地でしょうか。すでに科学者及び医学者がそれまでタブーだった魂のレベルを語っています。怠惰な自分がありました。時代は進化しています。殺戮の時代ではありません。暴力及び詐欺の時代でもありません。気づくべき頃となりました。愚かなテレビも猛反省です。何が嬉しいのでしょうね。知性の確立とその実践です。やがて知性は何処へ辿り着くのでしょうか。すでにクラシックがあります。何故に古典でしょうか。すでに至り着いた方々の足跡でした。四聖、何するものぞ。果てしない魂の遍歴です。何を求めていますか。この世は素晴らしい。無となって精神の嵐が静まります。何もかもなくなって新しい未来が開けます。誰も観たことのない真実もあるのです。探しませんか。求めませんか。何をあくせくしていたのでしょうね。お金の問題で自殺なんかする必要は一切ありません。銀行のしていることは言語道断な場合があります。それでもここしばらく彼らのためのシステムでした。何かがおかしかったのです。それが人生だなんて。何がおかしかったのでしょうね。そろそろ気づく頃です。本当の幸せとは何だったのでしょうか。本当の豊かさとは何だったのでしょうね。あらゆる不安からの自由ではなかったでしょうか。思い通りの人生が開かれることではなかったですか。新しい時代です。リラックスしていいんだよ。無。それで何が見えて来るのでしょうか。楽しみですね。彼は帰ってきました。何処にいるのか解りません。しかし帰って来ました。宝を一杯持ち帰ったようです。よかったですね。新しい時代が確定しました。
戦後処理の問題は次世代がする。それは全共闘の自由ではありませんでした。世界の中の日本として試されていました。何を選択するべきだったのでしょうか。主権在民。平和主義。その意味も明らかとなりました。不思議ですね。それはあるのでした。苦しい試練もありました。何時か夜は明けます。日本は復活しました。明るい未来が開けました。もう大丈夫です。本当でしょうか。本当のようです。何故でしょうね。彼はいいました。日月照らし、風が吹く。本来神国完全復活。それは王権神授説ではありません。それはアナクロニズムでもありません。生命進化です。自分のためにする精神のない成金スノッブよ、さようなら。あなた方の時代は終わりました。本来日本が帰って来ました。野蛮と愚かはこれより己の分際を知るのです。尊敬と敬虔と謙虚さが生まれます。混沌の中から秩序が形成されます。秩序とは知性と精神でした。何を愚弄しましたか。反省の頃となりました。誰もが平穏豊かに暮らしていくための条件です。もう勝手は通りません。テレビ界は猛反省ですよ。 地獄も天国もこの世にあるのでした。すべてはこころが現実化していました。宇宙は情報とエネルギーの波動です。その中から何を取り出すか。幸せですか。殺戮ですか。精神の野蛮はもう過去となりました。本来日本の選択と確定がありました。試練の後で。テレビ界の罪は何だったか。衆愚を煽動して多大な富と成した。かつてホリエモンがタレント化しようとした頃、著名な方々がこぞって時代を変革するのは君たちだと絶賛した。その後のコメントはない。無責任ではないか。キンピカ先生というのもあった。本当の知性を知らなかった。それを知らなかったのは象牙の塔の中の方々も同じだった。知性は常に空閑にとどまる。変革は辺境より始まる。各々罪を償う頃である。どうするべきか。解っているね。時代は腐敗した。平家も秀吉もそうだった。時代を切り開く。爾の時が来た。
「たとえば、人にエネルギーを与える人、人のエネルギーを奪う人というのがいるものです。人にエネルギーを与える人というのは、いつも笑顔で明るくて、口から出る言葉が優しく、あたたかく、ポジティブで、良い波動を放つ言葉ばかりなのです。(中略)なので、話していて、とても気持ちが良く、癒されたり、励まされたり、元気になったりするのです。それで、一緒にいてとても心地良いので”この人とずっと一緒にいたいなぁ”とか、”また逢いたいなぁ”と思うのです。そうやって、こういう人は、他人の気持ちも高め、自分も高まっているので、良いことがどんどんやって来る人になるのです。」(ゴマ文庫、佳川奈未著、『成功感性』p115) 「もし、あなたのまわりに(中略)人のエネルギーを奪うタイプの人がいて、あなたに何かイヤなことを言ったりしたりしてきたとしても、あなたの側では、”落ちこまない””一切影響されない!”ことです。(中略)そうしなければ、あなたは、こういう人と接するたびに、どんどんエネルギーを取られて、そのことを許していると今度は、あなたがすっかり枯れた人間になって、自分を回復させるために、人のエネルギーを奪う人になってしまいかねないのですから。悪の連鎖反応は、自分のところで断ち切らなければなりません。」(同p118)