佛の方便をば除く

2009/09/23


  • 妙法蓮華経化城諭品第七に
    • 一切の法を受けざるを以ての故に
  • とあります。どういうことでしょうね。此処で見える世界と見えない世界があります。見える世界を法と呼び、見えない世界を妙と呼びます。この意味での一切の法を受けないというのです。それは色即是空空即是色も同じです。つまり、色とは法であり、空とは妙です。見える世界に支配されないというのです。何故でしょうね。このあたりが秘密だったのです。そして知らなかった。知らずに否定した。そして勝手した。そしてどうなったのでしょうね。それも法則通りだったのです。間違っていたことを認めませんか。何故でしょうね。明治以降に下級精神の支配があったと彼はいいます。それまでの上級精神を悉く破壊しましたね。あるいは廃した。もういいですね。この事実を認めませんか。そして始めましょう。本来日本の目指していた道があるのです。見失われていましたね。しかしあるのです。それが見つかったのです。彼は伏流するともいっていました。これが亦、
  • 水鳥のいくもかえるも跡絶えて それでも道は忘れざりけり
  • さて、
  • 一切の法を受けざるを以ての故に、
    • 而も諸漏に於て心解脱を得、深妙の禅定・三明・六通を得、八解脱を具しぬ。
  • 亦、おもしろい表現があります。即ち、妙法蓮華経譬諭品第三に曰く、
  • 無量億千の 諸力・解脱 禅定・智慧 及び
    • 佛の餘の法あり 是の如き乗を得せしめて 諸子らをして 日夜劫数に 常に遊戯することを得 諸々の菩薩 及び声聞衆と 此の寶乗に乗じて 直に道場に至らしむ 是の因縁を以て 十方に諦かに求むるに さらに餘乗なし 佛の方便をば除く
  • そして、同じく妙法蓮華経譬諭品第三に曰く、
  • 其の苦難を抜き無量無辺の
    • 佛智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし。
  • 真実は一つしかありません。本当のことはなかなかいえませんね。それで、世阿弥も秘すべしとしたのでしょうか。けれども、いわねばならない時もあるのでしょうか。『能』の極意は普段は愚かと見える。しかしその時が来れば、一番槍のごとく、やり抜くことにあったのでしょうね。そして何事もないのでした。廬山は烟雨 、浙江は潮。やはり、感謝しかないですね。何に対する感謝でしょうか。この世に生まれたこと。祖先。先達。そして、仲間達。