一実の道=仏は滅し給わず

2010/03/11


  • 一実の道ということがある。どういうことだろうね。仏は滅し給わず。仏はいる。今も昔もこれからも。そしてすべて知っている。あなたの心の奥底まで。この世の修行の状態も知っている。あなたの辿りついたところも知っている。平等即差別。仏は姿を現すだろうか。それはあるのだろうか。ある。どのような時にであるか。条件を満たした時である。その時、いつでも姿を現す。衆生本来仏哉。体験するしかない。それが真実だった。そして応えてくれる。それはどのようにしてであるか。仮人を遣わす。そのサインに気づけるだろうか。すべては黄泉が決する。あらゆる成功もそうだった。思考は現実化する。あるいはあなたは成りたい自分に成っている。何を思うのか。何に成りたかったのか。何を求めていたのか。何を夢見ていたか。小さな成功ではない。この世は過去からの夢の実現過程だった。生命体は永遠に向かって進化している。ゴールはあるか。前世がある。来世がある。今世がつなぐ。蓮。この世はすべて仏だった。あるいは達磨だらけだった。あなたは愛に包まれている。それを実感することが出来るだろうか。表層の言葉ではない。あなたが変われば世界が変わる。ところでトキが十一羽のうち八羽死んだ。二羽が怪我をし、生き残ったのは一羽だった。ケージの中の監視カメラには小動物の影があった。とても象徴的だね。何の象徴だろうね。どうでもよいことだけれど、彼の学生番号は5261066だった。


妙法蓮華経巻第六 如来寿量品第十六 

  • 我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数 無量百千万 億載阿僧祇なり 常に法を説いて 無数億の衆生を教化して 仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり 衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く 我常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ 衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず 時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず 我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず 方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず 余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば 我復彼の中に於て 為に無上の法を説く 汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり 我諸の衆生を見れば 苦海に没在せり 故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く 神通力是の如し 阿僧祇劫に於て 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり 衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり 園林諸の堂閣 種々の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し 曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず 我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る 是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず 諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は 則ち皆我が身 此にあって法を説くと見る 或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く 久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説く 我が智力是の如し 慧光照すこと無量に 寿命無数劫 久しく業を修して得る所なり 汝等智あらん者 此に於て疑を生ずることなかれ 当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず 医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に 実には在れども而も死すというに 能く虚妄を説くものなきが如く 我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり 凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う 常に我を見るを以ての故に 而もキョウ恣の心を生じ放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん 我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って 度すべき所に随って 為に種々の法を説く 毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと