デフレの世の中をどのように生き抜くか

斎藤一人さんの本を読んでいて、時代の流れについて、とても教えて頂きました。時代は人類史上これまでに経験したことのないデフレ状況となっています。デフレとは供給過剰で価格が下落し、不景気となってモノが売れないことですね。企業の生産は調整され、それ故、仕事がなくなって失業者が増加する。その悪循環となって、経済としては恐ろしい状況です。

金融危機の問題はそれだけではなく、背後にもっと大きな時代の変革が秘められています。取り組むべきは何でしょうね。デフレからの脱却ではなく、デフレの中でどのようにして生き残るかということでしょうか。その意味で意識の変革を要します。大量生産大量画一化製品消費社会の限界でしょうか。これまで隠蔽されていた資本主義社会の問題点が露呈されたのでしょうか。大企業も危うい時代です。かつて恐竜が滅んだ頃に、既にネズミがいました。400年来あるいは二千年来の大きな時代の変革の波が押し寄せているのかも知れません。どう生き抜くかは、硫化水素の海から生まれ、猛毒の酸素を利用して生きることを選択した時からの生命進化の営みです。

物質偏重主義の終焉かも知れないですね。精神と物質の新たなバランスの頃でしょうか。人間は二足歩行により考えることが出来るようになり、手で道具を作ることで発展しました。その手はゴッドハンドであり、指はゴールドフィンガーでした。どういうことだったのでしょうね。思い起こすべきはそれかも知れません。万物の霊長として神の七つのチカラが賦与されているともいわれます。物質偏重の時代としてしばらく忘れていた事実でしょうか。職人の時代の復権かも知れません。機械による生産には魂の仕事はありません。職人が手でモノを作る時、職人の魂の周波数が作品に伝搬します。その辺りに芸術としての秘密があります。作品に触れる時、何か感じる人間的やさしさとあたたかさがあります。それを手にすると、どこかほっとします。つまり癒されるのです。そこに芸術的価値があります。この辺りにヒントがあるのかも知れないですね。

さて、斎藤一人さんが指摘するのは、これまでのマクロ経済理論では説明できなくなっているということです。つまり、時代はモノ余り、人余りの時代に入ったのです。かつてこのような状況になると戦争をしていました。それが最大の消費だったからですね。モノを壊すことで新たな生産となるのでしょうか。原爆を知ってそれも出来なくなりました。お金がないから不況になるのではなく、お金はあってもモノが売れなくなっています。どうしてお金があるのに売れないのか考えるべきです。モノ余りの時代に売れるのは何でしょうね。それぞれの個性が成熟し、その好みに合致すれば売れるのでしょうか。つまり、画一的大量生産製品そのものが魅力を失い、限界に至ったのでしょうか。可能性は常に無限です。これまでの考え方は悉く通用しません。新たな発想とその新たなシステムに完成度があり、それに時代のタイミングが合えば、投資家は投資します。お金はあるのです。
かつてミシンの問題がありました。簡単な機械としてのミシンは後進国で安く生産され、日本のメーカーは競争力を失いました。それでマイコンを組み込んだ高度技術を要するミシンに転換を余儀なくされました。世界の工場は今、中国ですね。中国では人件費が限りなく低い。中国の人口十数億人がすべて中産階級化するまで100年はかかるだろうといわれています。それまで中国の競争力は衰えないのです。その間、デフレ現象はつづきます。デフレからの脱却ではなく、デフレの中でどう生きるべきかを考えるべきでしょうか。デフレとなってもお金はなくなりません。お金がある限り、お金儲けは出来ます。これまでのパラダイムが通用しなくなったのです。メーカー絶対優位の時代が終わったのでしょうか。同じレベルであれば安いモノを人間は選択します。日本には人件費の問題があって、単純労働レベルでは競争力を失いました。既に世界が一つであるとする時、自ずから生き残るために何が必要なのか考えるべき時代となりました。

高度技術を要する機械を開発生産し、そのオペレーターを養成することが出来るのは高度先進国家ですね。その時、単純労働ではなく、頭脳労働となります。日本の生き残る道でしょうか。頭脳労働者にとっては限りなく明るい未来です。世の中は実力の時代となりました。その時、要件に人柄と心構えがあります。お金は使うべきモノです。時代は頭脳労働者に開かれたのでしょうか。その時、単純労働者をどのように保護するのか。それが政治及び行政の仕事でしょうか。頭脳労働者には限りなく自由と幸福な時代です。デフレを憂える必要はありません。デフレの中でどう生き抜くか。これが新しい課題です。思うとおりに生きて良いのです。法は守りましょうね。ところで彼はやはり凄かったですね。日本を取り戻すといっていました。恋は鯉だともいっていました。広島城は安芸鯉城。芸術と恋のふるさとだといっていました。花は何処へ。その花が咲いたともいっていました。どういうことでしょうね。わからないですね。彼に自覚が来るまでが試練だったそうです。そして何を自覚したのでしょうか。彼は今、この世の幸せを知ったといっていました。それが彼のいう大鏡だったのでしょうか。すべてに感謝だそうです。