レベルアップの頃

色々な立場があり、様々な意見があります。それで良いですね。民主主義は多数決を原理としています。民主主義が制度として絶対に正しいというのではありません。その他のどの制度よりも若干優れているのです。それで選択されています。プラトンの『国家論』によれば、理想の政治は哲人政治です。孔子の実現したかった理想の國は周でした。

生命体として限りなく進化しています。それは自由獲得の歴史でした。かつて王侯貴族のモノだった自由が庶民に開かれています。その時、嘘とバイオレンスは野蛮状態となります。これと戦ったのが例えば西部劇のテーマでした。

色々な立場があります。様々な意見があります。臆することなく自由に議論して、一つの選択があります。それがルールです。議論を尽くしてルールとなれば、それは遵守しなければなりません。それが人格の表現です。人格こそこの世の通行手形です。何処でも通ることが出来ます。亦、君子危うきに近寄らずということもあります。

学問上、民主主義は衆愚化するといわれています。故に少数意見の尊重があります。何れにしても議論を尽くすことです。その中で、少数意見も評価されて取り込まれます。それが議論です。そのようにして進化するのでしょうか。

今日も良い朝です。少し肌寒いですね。これからお経さんをあげさせて貰います。昨日、仏さんの文字が我が家にやってきました。何時かそうしたこともあるのでしょうか。夢は実現します。祖先に恥じない自分を見つけましょうね。

今の連続が未来です。今を大切にしましょうね。私たちは自然に生かされています。この世は素直に生きて、自然の偉大さに気づきます。幸せはあります。神仏は実在することを疑えなくなる時が来ます。パスカルもそうでした。

政治のレベルで愛を語りはじめたようです。人類の祈りは何だったのでしょうか。アメリカの祈りは何だったのでしょうか。政治は欲望の現実化であるとする定義もありました。欲望という言葉に違和感がありますね。それはそれとして私たちは何を意欲するのでしょうか。何を実現しようとしているのでしょうか。人類は進化しています。レベルアップの頃ですね。やさしくなっていいのです。

それは強きが故のやさしさです。それが本来日本武士道精神でもありました。知らないことを以て勝手な解釈が横行していました。自分を大切にしましょうね。本来日本の培っていた精神があります。それを自ら傷つける理由はありません。日本は日本です。

身心清浄と正直こそ大和魂でした。世界も待っていました。本来日本精神が目覚める頃を。思い出すべきはそれでした。取り戻すべきもそれでした。そして再び歩み始めるのでした。そして幸せ世界に合流するのです。

本来日本の自信回復の頃です。それは愚かさと野蛮からの脱却です。その意味でテレビ界及び芸能界の暴走もありました。諸価値を破壊して顧みない市場主義に立脚する視聴率絶対主義の故の本末転倒がありました。政治もそれに迎合あるいはそれを利用しようとしていました。故に民の勘違いもありました。政治は政治です。リーダーシップです。衆愚化傾向に荷担するべきではないですね。理念が違います。履き違えた自由は自由ではありません。

青少年の鬱が多いですね。何が正しいのか、日本人としての精神のよりどころを見失っていたからでしょうか。ビジョンが必要です。それは何でしょうね。議論を尽くしましょうね。そして進むべき方向性を定めましょう。自分の理念と信念が確立されたなら、それを生きるのが良いですね。本来の自分となって新しい時代が始まります。何れにしても衆愚を煽って餌食とし、女衒的利益する時代は終わりました。庶民及び消費者も学んでいます。欺罔は何時か見抜かれます。