大死一番絶後に蘇る

この世はどのように出来ていたのだったか。知るべき時が来る。それが大死一番だった。どういう意味だろうね。彼はいう。同期の桜だよ。何のことだろうね。何時か蝶となる。その前にサナギを通る。どういうことなの?それが人生だった。私たちは生きている。それは生かされている。

それは真実だった。アインシュタインはいった。何時か私の理論も乗り越えられる時が来る。それが進化だった。そして重要なことがある。それは何だったのだろう。神仏は実在する。私たちは大自然に生かされている。

触れてはならない逆鱗がある。どういうこと?持って生まれたものがある。貶めてはならない代々の掟がある。どういうこと?大死一番だ。気づく時が来る。黄泉は待っていた。無言で育んでいた。自覚を要する。それまでは冷酷に無言である。教えはしない。

どうして?教えてやっても良いが、それではお前のモノにならない。自分で掴むしかないんだ。そして知るだろう。何を知るの?大死一番だ。飛び込む時が来る。その時、掬いがある。

修業時代に釈迦はある声が聞こえた。それは谷底の羅刹の声だった。上の句をいっている。うめいているようだ。声ならなくの声だった。羅刹は空腹だった。声もやっとの事である。しかし声だった。修業時代の釈迦は気づいた。それは真実だった。下の句を聞きたいと思った。谷底の羅刹に呼びかけた。羅刹は教えてやっても良いが、俺は空腹だ。羅刹の食事は生きた人間の血だった。修業時代の釈迦は約束した。下の句を教えてくれたなら、私の身を捧げよう。羅刹は下の句を歌い始めた。修業時代の釈迦は近くの樹木にその下の句を血でメモした。後世に遺すためだった。そして羅刹のいる谷底に身を投げた。約束だったからだった。約束を破れば、ワルハラ城も焼け落ちる。

その時、修業時代の釈迦は掬いとられた。掬ったのは帝釈天だった。羅刹こそ帝釈天だった。それは神だった。本来神国日本の秘密が此処にある。大死一番、絶後に蘇る。あるいは飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな。

わかるだろうか。これが成功の秘密である。しかし此処にさらに重要な要素がある。掬ったのは帝釈天だった。人間ではない。最後に掬いがある。現代世の中、何が支配していたのだったか。お金を手にした人間だった。テレビ界も芸能界もその傀儡だったかのようだった。

真実は那辺にあり哉。何時かその謎を解くモノも現れる。しかしキリストは処刑された。同じ轍は踏めない。禅は不立文字である。何故であるか。預言者もそれを知っていた。

かつて真実の國があった。ある日、敵に攻め込まれ、滅亡を余儀なくされた。インカも同じだった。武力の行使は物質的優位が勝つ。しかし宇宙にとって物質と精神は同じだった。

真実の國の王はすべての画家を集めた。國は滅んでも仕方ない。しかし奪われてはならないものがある。それは何だったのか。教えだった。その教えとは何だったのか。真実だった。真実とは、神仏の実在であり、その受容祝福守護だった。これを後世に遺す。そのままでは奪われてしまう。

この教えを絵にして遺すべし。何時か後世の誰かが気づくだろう。物質的野蛮な者には見えない。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の系譜がある。大義名分、神風も吹く。それも真実だった。

それは何だったのか。大風をも制御する。爾のチカラを悪に使うのか。善に使うのか。その時が来る。奪えはしないモノがある。それは何だったのか。禅においては六祖鉄鉢だった。

それはある。そして何時か誰かが発掘する。その時とはどんな時であるか。恐怖悪世であるか。それでしか掬えない時であるか。その時は来るのだったか。それがヨハネの黙示録であったか。あるいは地獄の黙示録だったか。

そのようなことはどうでも良い。知らないことを以て火宅である。知れば真実の城である。さて、それは何だったのか。秘密に属する。それで良いと彼はいった。

勘違いの世を矯め直す時がある。今、その時かも知れない。気づいた人からはじめるしかない。世界も待っていた。日本の良心の立ち上がるべき時となったのだろうか。世間は知らない。知らないことを以て否定する。それも出来なくなるのだろうか。明らかとなれば信じるしかない。そして時代は進化する。

さて、人間は何に感動するのか。そして助けようとするか。一生懸命に頑張っている姿である。彼はいった。日本は大丈夫だよ。時代を開くのは何時の代も真実への渇望と情念だよ。この世に生まれて良かったね。幸せになろうね。やさしくなっていいんだよ 。リラックスしていいんだよ 。何時か24時の笑顔となるよ。大死一番、絶後に蘇るよ。

山奥の 見る人なくも 凛として 咲いたツツジは 喜びの中