真実について

2012年04月27日

  • 真実とは何だったのでしょうか 衆生本来仏なり と言ったのは白隠禅師の『座禅和讃』でした それは衆生悉有仏性ということだったのです 私たちはもとも と仏だったのです しかし 人間として或いはそれ以前の段階で 悪性を身に付けていたのです それでどうしても悪の結果となるのでした それをあまりにも 憐れに想われるのが仏です 仏も仏の行をして仏となるのでした それで仏は想うのです 一切大衆を救いたい それは仏に帰ることだったのです そうしない と救われないのでした それでは真実とは何だったのでしょうか 見えない世界があって 見えない世界に通じることだったのです すべては見えない世界で決 します それが見える世界にしみ出してくるのです 見えない世界は魂の世界です 祖先の総体が黄泉でした 子孫を護るのは祖先です 祖先も救われたいので す さて どのようにしますか 私たちは知らなかった 知らずに否定した キリストをも都合が悪くて処刑した 大反省の頃となりました 本来日本は知って いました しかし私たちはそれをも無視或いは否定していたのです 貶めていたのです 裏切っていたのでした それで幸せなどなれるはずもありません 思い 出す頃です 見えない世界に認めてもらえるかどうか その要件が身心清浄だったのです 知っても識らなくてもそうだったのでした 権力ではなかったのです  武力でもなかった 金力でもありませんでした 真実とは何だったのでしょうか 明らかとなっています それが21世紀の約束でした 人類として試されて います 存続するのであるか あるいは滅亡するのであるか 私たち自身の問題でした 考えようともしなかったですね しかし真実は真実です 厳然として真 実です 白隠禅師は言います 隻手の音を聞いたら何をしても真実である 聞かない裡は何をしても駄目だ 隻手の音とは見えない世界でした