妙好人

2012年04月26日

  • 鈴木大拙氏の研究の中に妙好人の研究がある。たとえば、すべて仏となりにけり。どういうことだったのだろうね。私たちは知らなかった。あるいは考えようともしなかった。それが真実だった。真実であるからには証明がある。現実がそのように結実する。それはある。それって、何だったのだろうか。ヘッセは言った。「世界と神を含んでいる 自分の魂との対話になる」。すべて仏の方に投げ入れよ。彼は子どもの頃より常にトップだった。しかし、今は埋没している。だけどね、学校教師レベルに決して大きなことは言わせない。しかし、彼らは勘違いしている。日々の言動が己の人格と品性の限界をを証明している。何を思い違いしたる哉。唇寒し秋の風。黄色いお足が見えている。教育とは偏に人格と人格との邂逅である。天性の己の人格の不備なることを恨みよ。