2006年06月30日

言葉の真実

昔は 剣の修行があった
今 それに 匹敵するのが 恋愛による 修行と 云える
人格の涵養 それが 目的である
剣の果たし合いにおいては 強いものが勝つ
しかし 勝負の醍醐味は どこに あるか
決闘の極意は 遅れて撃っても 勝てる
勝ち負けは 神仏が 決めるから
最終目的は 身心清浄 神々の 認めるところとなる
その後 神々が 味方につく
自らも 神力 を 得る 達人 と なる
言葉の修行がある
写経 或いは御経読誦 
それは 宇宙に通じる 言葉のリズムを 体得する
自分の言葉が ロゴス となるかどうか
言葉の周波数 神仏宇宙自然生命祖先にも 通じる
黄泉に認められる 黄泉が助力する
そうした 自分を 発見することができるかどうか
すぐれた文章を 書き写す 良い修行となる
やがて 自分の言葉が 見つかる
あらゆる 表現に 意味が 満ちる
表層の言葉ではない 真実の言葉となる
そのためには 手紙を書くのが良い
自分を 見つめる ことになる
手紙を書くことは 自己の発見 である
自己と言葉が 合致する 手紙の効用である
やがて 飄飄と 生きている自分へ 至る
そのためには 修行としての手紙が よい
恋愛の目的は 自分を読んでくれる 
相手 を みつけることにあるのかも知れない
お経さんは 佛さんからの ラブレター だと
誰かが 言っていた
いい俳句を見つけたことがある すなわち
亡き父の もとに届いた 年賀状
言葉というのは こうした 情緒(じょうしょ)
言葉を大切にするところから 始めると 良い
あまりにも 粗末に してきた 本来の価値 言葉の感性
取り戻そうではないか
言葉の野蛮が 世を 席巻している
言葉が 人を 動かす
真実の言葉は 神仏宇宙自然生命祖先 の認めるところとなり
黄泉が動き 助力し 実現する
すなわち ロゴス である
言葉の真実 今 伝えん
自ら 吐いた言葉は その後 自らを 規定する
その思いが 真実であるなら 天に届き
黄泉祖先の 知るところとなり 
黄泉祖先が 助力し 実現する
夢は 実現する 真実の夢であるなら
だから 諦めないことだ
自分の 真実の願いが あるならば
それが 夢であるならば
実現するまでが 青春である 修行である 夢である
さて ステキな 人を見つけた 妙に気になる人である
ふじわら という姓である 名はまだ知らない 
ところで 長谷川四郎に 『よく似た人』 という 小説があった
とても 好きな小説 だった
このよく似た人との合流を果たすこと
これが 幸せの 条件だよ
生まれた時に 父母より DNA の中に 宿した種が それだ
かつて遙か昔には 同じ 花だった
しかし 人の営みの中で 散り散り 散華した
明治の頃には その魂は ソメイヨシノ に突然変異し 宿り 全国に 散らばった
かつて 江戸の大名屋敷で愛でられた 魂達の 悲劇であった
しかしね 種であるなら やがて 芽吹くよ
いくら 世間で粗末にされ 捨てられても
胡蝶の夢も 夢なら いつか 覚める
目覚めているかどうか よく似た人の条件である
日本は 野蛮腐敗の天下となった
しかし 本来の主権まで 譲った覚えはない
思い知る時が 来た
時は天 あだや おろそかになさらぬように
黄泉も目覚めている 万軍の主も味方についた
もはや どうにもならぬ
世間身勝手 自分解釈 好き勝手 
これより 決して 通らぬ
どこからでも かかってくるがいい
天衣無縫 天下無敵
刃向かうは 黄泉の成敗あるのみ
代々の約束 宿王華 今 果たさむ


2006年06月29日

可能性としての平等

今 自由 と 平等 です そして 民主主義
これは どういうことを 意味しているのだろう
しばらく 間違えた自由を 自由と思っていたね
ほんとうの 自由が どういものか 見えてきたね
自由とは 思い通りにして しかも 法を 超えない
ここに 法とは 法律ではなくて むしろ 宇宙自然生命の秩序及び掟
すなわち 神仏宇宙自然生命より受容され守護された 本来の自由
代々 それを 目指してきたんだね
平等とは 機会の平等であって 結果の平等ではない
と 言われてきました
むしろ 平等とは 生まれながらにして 可能性としての 平等 ですね
持って生まれた DNA の中に 無限の可能性がある
開発するべきは あるいは dig it するべきは 自己自身だった
さて どの種を蒔き どの花を咲かせるか ここに 選択の自由がある
悪の花を咲かせるのか 善の花を咲かせるのか
咲かせた花は実となり 種となる
日々 考えたり 行っていることで 自分が
DNAレベルにおいて 書き換えられていく
往々にして 選択を 間違う それで 腐敗し 不幸となる
自分の花が何であるのか それを 知るまでの 試練
汝自身を知れ とは このことだった
花と咲けば 仲間がわかる 
咲くまでの孤独 咲けば 宇宙自然が やさしく ほほえむ
ひとりではない ひとりだと思っていたのは 自分だった
だれもたすけてくれない と 思っていたのは 自分だった
宇宙自然生命祖先は たすけたい と 思っている
そのためには 咲かなければならない 
咲かなければ どこに いるのか わからない
咲くことだよ 咲かせることだよ 教育の目的はここにある
しばらく 教育も 怠惰だったね
信じる 自分を発見したなら その種を 蒔く
咲けば 実となり 種となる
何を 思い煩うことがあろう
信じた道を 進めばいい
これが なかなか 難しい
自分自身が 見つからない
世は 腐敗 泥の中 すなわち 地獄 と決まっている
地獄の中で 咲く花は 火裏蓮
泥の中で 咲く花は 蓮華
佛の前に 蓮華として 化生することが できるかどうか
殆どの人は 堕落する
そして 自分たちのために 堕落世界を 増殖していく
しかし 悪魔小悪魔は その正体を 見破ると 逃げまどう
それまでは 好き勝手 
さて どうする ?
あらゆる人が 王子 王女 となることができる
それが 可能性としての 平等
そして 自由 を 得る 何をしても良い
お金は 寿 すなわち 寿命を削った対価
お金は大切だ しかし お金だけが成功ではない
精神的な成功がある 達成感
何かを達成する 何でもできる 自分 に 気づく
それは 自信 
自信があって 勇気となる
何があっても 怖れない 自分
殺すぞ と 言われても
命は すでに 捨ててある 佛に 預けてある
究極の自信はね 宇宙自然生命祖先の 守護 
そのためには どうするか
宇宙自然生命祖先 に 好かれる 自分となることだ
そのためには どうするか
自分自身を知ることだ
そのためには どうするか
日々の 思考と実践 だ
何もしなければ ストーリーは 始まらない
何時の頃からか 私は 悟り ということに 憧れていた
無意識に 悟ってみたいと 思っていたのだろう
そのために 本も読んだ 修行もさせてもらった
何もかも 失ったかのように 思った 存在さえも
しかし それは 生まれた時から 導かれていたかのようだった
良い子といえば これほど 良い子は いなかった
悪い子といえば これほど 悪い子は いなかった
しかし 悪いことをすれば 自然現象として或いは事件として
何かが 起こっていた
気づくまでは まさか そのようなことがあるとは 思ってもみなかった
しかし 大鏡 増鏡 古鏡 浄瑠璃 長唄 ・・・ 
主人公は 自分である
私の場合は 一個の 彫像をするようであった
突然に 悟り に至ったのではなかった
気づいてみると 悟り だった
もはや 間違いはないと 思っている
この世で 最高の 幸せを 達成したと 思っている
人生は 私立大学的 要領 ではない 
量ではない 質である 品格及び人格 である
正義は勝つ まじめと努力 が 勝つ
ところで 自由と平等 は 対立概念である
と 言われてきました
そうでしょうか むしろ 自由と平等は ほんとうは
両立概念であることが 明らかとなりました
自由と平等は 人生の 幸せの 両輪です
この車輪を 転ずることに 致しましょう
そして ほんとうの 民主主義を 作りましょう
幸せは 周囲が幸せとなることで その中にいる
自分も 必ず 幸せである
平等大慧会で 教えて いただきました
仕事とは 仕える業であることも
夫婦の関係も 人類が見つけて至った 幸せの鍵
それは 男尊女卑でも レディファースト でもなくて
一夫一婦制の下で お互いに 仕える気持ちがあれば
きっと 幸せ です 真実夫婦平等論です


【読書ノートより】「秘せずは花なるべからず」(世阿弥)ゆとりは生活の花であり、これは秘密の価値なくしては咲かすことができない。 心というものは言葉に到底尽くし得ないことを彼(良寛)は知っていたので、言葉を殊の他慎んだのであろう。全て言葉をしみじみ言ふべし。外からは窺い知れない内面を有することとなつかしい感情をひき起こすことが魅力ある人間の本質である。愛は本来心の秘密であり、秘密を告白するようにしか愛は告白できない。先を見届けようとすることを止めること。存在の根拠には秘密がある。裏は分からぬ、先は見えぬということでストーリーははじめて発展する。


十牛図 第八図 ~ 第十図

十牛図の第八図が 無 あるいは 空
それまで 牛の足跡を見つけて その後 
牛と格闘し 牛に乗って家に帰る
そして 牛は理想であるが それまでも 空ずる
すなわち 無 となる
ここが 神秘の世界であり 自己も客観も なくなる
というのは パスカルにおける メモリアル に 等しい
それまでの あらゆる価値観が 破壊される
自分が 思っていたことが すべて 間違いであったことに
気づく そして 
それまでは 概念でしかなかった 理想 が
現実に存在していることを 自覚 する
そこには 神仏 を 含む
宇宙自然生命の 真実 と 邂逅する
あらゆる 価値観が 破砕される
しかし 確認される 価値観は 言葉にすると 以前と 同じ
ここを 禅においては 花は紅 柳は緑
あるいは  盧山烟雨浙江潮
      未到千般恨不消
      到得帰来無別事
      盧山烟雨浙江潮  蘇東坡
言葉は同じだけれど 内実が 異なる
この 異なるを 世間は 知らない
世間は 前解釈 の 域を でることはない
そして 知る 日月照らす 風の吹く
これが すなわち カクネンムショウ
自然が 自分に対して 満ちてくる
いつも 宇宙自然の 守護の中にいる
ことに 気づく 胎蔵界
そして 心魂を滅して 念ずれば 黄泉をも動かす 
チカラ があることを 知る 金剛界
この 体験を以て 悟りとする
That's 第八図 ~ 第九図 である

しかし この チカラ 確認するに とどまる
行使するべきではない ことに 至る
それぞれの こと であるから である
その意味では 人類など 滅びようと 滅びまいと 
宇宙自然にとっては どうでも よい と 知る
魂の遍歴は 人間も 通過点に 過ぎない と
確立された 魂は 牛に戻っても 良い と
ここを過ぎて ほんとうの 自由 へ 至る
その間 修行は 懺悔であり 
目的は 身心清浄

そして 第十図とは何か 
帰還である
世間へ帰る そして 何をするか
一隅を照らす
どのようにして 照らすのか
存在するだけで良い 開発された 周波数がある
宇宙自然生命黄泉祖先 へ 通ずる 周波数である
時には ぼやけることもある
しかし 一度開発された周波数である
その火を 絶やさないようにすればいい
自然と それは 伝搬する 周囲が 変わってくる
何をしても良い 隻手の音である
これが 佛の 云いたかったこと
佛が救うのではない 
自分は自分が救う
佛は その方法を 説くに すぎない
思い上がりの 世間 である
佛よりも 偉いと 思っている 輩が 多い
悲しむべきかな
知らぬまま 刃向かう 勝ったつもりでいる
天に刃向かえば
黄泉のサンクション ある を 知らぬまま
天の守護するところがある
すなわち 日月照らす 風の吹く
天に好かれることだ 神仏に好かれることだ
佛は 佛とのみ 究了 する
如来は 如来になってみなければ わからない
それで 世間 如何 と するか
武士は食わねど高楊枝
古来大和秘密精神の城塞の意思である

(2006/06/29 20:44 NHK-FM  ピアノ独奏 「展覧会の絵」を聞きながら)


資本主義の中で自由の進化

今 世界は 資本主義
日本も世界の一員であり
その中で 重要な地位を 占めたいと
思っている
その為の 努力も してきた
しかし 気づいてみると 何か おかしい
凶悪犯罪国家となっている
あらゆる 本来の 情緒が うしなわれつつある
その理由も明らかとなった
古来日本の価値を 見直すべき頃となった
日本の 価値を 見直して
あらためて 本来の形或いは姿を 取り戻すべき頃であることに
気づいた
そして 再び 健全な精神と 善良な庶民の 
幸福論を 目指すべきである と
資本主義が 悪いのではない
それは ひとつの フィールドとしてある
パラダイムの変換は 精神レベルでの 問題であろう
戦後教育の中で 見失われていたもの
それは 古来日本精神 
その価値は すでに 世界が 認めているはず
日本が 日本であるために
為すべきことは 何か
そして 世界をフィールドとして どう 戦うか
逼塞した日本の 究極の 打開策は 何か
すでに 明らかである
日月照らし 風は 吹く
大安心の 境涯は どのようにして 開くか
「ばかばかしさの中で犬死にしないための方法序説」(庄司薫)
というのがあった
それが 見いだされた と 云うべきか
経済なくして 生活はない 人生はない
経済を 何に 使うか
目的 と 手段
今 問われているのは 目的 である
気楽な人生は ある
何を 苦しむことがあろう
所詮 この世は 法則通りである
その 法則に反して 幸せはない
その 法則が 見えなくなっていた
法則 は 科学
人間は 本来 偉大である
その 偉大さを とりもどさなくては ならない
自分勝手な方々が あやまった 自由を行使して
世を 乱した あるいは 腐敗させた
あるべき 基盤を とりもどす
それは 古来大和の精神を とりもどすことから
はじまる
そして 再び 自由 
自由の進化と云えるのかも知れない
自由を得て 何をするか 
自由である
アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。 その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである(C.ウィルソン)。


2006年06月28日

Welcome to Japan !

しかし 世の中 変わったね
良い日本になりつつあるね
今まで 好きたい放題していた方々が
できなくなりつつあるのではないかな
繁華街では 取り締まりも 厳しくなってるよ
スタンドでは接待はできないことになっている
ダンスもできないことになっている
それが摘発されて 90日の営業停止もあったそうだ
届けをすればいいのだけれど
その手続きには 10万円かかる
ほんとうにがんばる人が 生きてゆける 時代の
到来だね これまで 虐げられていた方々がね
あまりにも 勝手がすぎていたというべきか
罪 重いよ 当然だね
私にとっては 遅きに 失した観もある
しかし 男の人生は 五十からだよ
まだまだ これからだ
実力があるなら 必ず 芽吹くよ
あきらめるのは まだ 早い
そして 例えば バブルの頃の利率のまま 借金に
苦しんでいる 中小企業の方々に 申し上げたい
お金なんか キツネの木の葉だよ
やはり 人生 どうにかなるよ
正直でいればね
嘘で固めた 自分勝手な 自分計算しなければね
しかし 往々にして 都合が良いのが 人間だ
すべては 自分の蒔いた 種だよ
甘えるときには 甘える
助けてもらえるときには 助けてもらう
いつか 助けてあげるつもりでいれば 良いよね
しかし そうした 余裕もないのが 人間だ
奪ってばかりの 人間が 多いね
しかし 中には いい人もいる
そうした 人と縁を 結びたいね
そうした 縁を 大切にしたいよね
これまでの 人生で 余裕があるなら 必ず
乗り越えることができるね
命あれば 必ず 夜明けは来るね
私の場合は 長い夜だった
やっと 黎明を 見ている
生きていて よかった と 思っている
お金が大切なのは わかる
お金は 寿 つまり 寿命を削った対価だ
たとえば 派遣社員は どうがんばっても 月15万円
企業の勝手で 搾取されている
しかしね 怖いのはね 正当な対価でない場合
そのギャップはね 天に 記録されているよ
銀行の これまでの 所行もね
低金利で 国民に支払うべき 利息を 喰ったよね
それで 何事もなかったように のうのうと しておれると
思っているのかな
かつて 仮登記担保 及び 譲渡担保で 何をしてきたか
そうした 罪を 消せるとでも 思っているのかな
勝手がすぎるね 
天は そう 甘くないよ
そして 組織と身分に安住している方々 堕落したね
すでに その間 でたらめが すぎた
ビジネスと称して 何をしてきたのか
まっとうなビジネスをしてきたものは 少ないね
国家を 喰い物にしてきた方々も 多いね
犠牲となったものたちは 黙っているように 思っているかも知れない
死人に口なしとばかりに
そうは いかない 
時を待っているだけだよ 復讐のね
往復だ 必ず 帰ってくる
黄泉の世界は 現実と 真反対だと思って良い
真実 事実の世界だよ
人間の 自分勝手は 通らない
やがて 思い知る
生きている間に それが 現れなくてもね
死んでから わかるよ
だから 生きている間に 懺悔だね
生きている間に 死ぬことだね 
それが 即身成仏だ
昔より 大死一番 と 言われている
死人となりて なり果てて とね
そうして 真実 すなわち 神仏との邂逅 が
あるのだね
空となって 満ちてくるものがある
放たば 満てり だ
何が 満つるか お楽しみです
人生は 潮の 干満だ
時代も そうだよ
待てば 海路に 日和 あり
ほんとうに なごめる 日が来る
信じて いいよ
だから 身心において 諸悪莫作 だ
それから 富を得る秘訣だけどね
あくせく まじめに はたらくだけでは だめだね
そうして ある 真実に気づく 必要がある
世に流布している成功論では 足りない
究極はね ヨブ記だよ
聖書の内容はね ただの物語ではない
真実の記録だよ
人間の神秘の可能性だよ
だれだって モーゼにもなれる
いくつかの 条件を 満たせばね
しかし 往々にして その条件を 知らない
探そうともしない そして
自分勝手なことを 思っている
自分勝手なことを している
それでは 富は来ない
富は 来るものだよ
神も 来るものだよ
如来だね
さらに 如来は 如来になってみなければ わからない
人生って おもしろいよ
壮大な ゲームだよ
あがりは ある
生まれながらに 運命づけられている
何か 失われた 大切なことに
気づいたものが ほんとうの 勝ち組だ
神仏が かれらに ほほえむ
人生は 自ずから 開ける
それまでの 青春だ
だから 若い人たちも 必ず こうした
夢の実現のあることを 信じてほしい
世の腐敗の中で 負けないでほしい
真実の 声に 耳を 傾けてほしい
真実は 決して 裏切ることはない
まじめで 正直であることは 目的ではない
むしろ 手段だ 
まじめと 正直と 努力の むこうに
新たに 開ける 自由が ある
だれも 教えてくれなかったね
しかし 時代も追いついた
庶民のレベルで こうした 自由と富を
手にすることができる 時代 と なりました
さて 大正天皇は ノイローゼ だったのかな
それには 大正念を なさしむ と 法華経にある
ノイローゼの 主たる原因は 恋の悩みから 発する
自己において 主観と客観が乖離する 
現実から落ちこぼれとなる
で どうして その種が 日本にも 運命づけられたか
世の腐敗の故だよ 
森林の主は 樫の木である (呉市の市木は樫の木)
本来の 古来日本に もどろうではないか
民として ほんとうの 幸せな 生活と 人生を 確保するために
卑弥呼の系譜 古来大和 神國日本の価値 思い知るべき頃である
第二次世界大戦には 神風は 吹かなかった
何故か 
そのチカラが リーダー達に なかったのだね
無理もない 正統ではなかったのだから
ペリー来航に乗じた 下級精神の 支配だったのだからね
その時 支配は 譲られた 江戸無血開城であった
しかし 異端の悲しさ 本来古来日本を 裏切り続けたよね
その帰結が 敗戦であり バブルの崩壊だった
ここに 至って それが 証明された
また あらゆる 歴史解釈が まちがっていた
日本古来の精神を知らずしての解釈であったからである
武将達の 繊細な こころ 感性を 知らないもの達の 解釈であった
精神の繊細なくしては 武将にはなれない 戦に勝てぬ
神仏に好かれずして 神仏は微笑まない
教育もそうである 
江戸の頃 どれだけ 精神が 成就していたであろうか
そうしたことを 知らないで 低い精神での 教育だった
古来日本を 無視した あるいは 愚弄した 教育だった
私の 小学校の頃までは まだ 高等師範の精神 が 生きていた
しかし その後は どうなったか
日本古来純粋繊細精神は 息絶え絶えとなった
さて 本来古来の日本に帰り 
ほんとうの 民主主義国家を この世に 建設しようではないか
日本はどうあるべきか その形を議論するべき頃ですね
しかし それらのことは それぞれの当事者に お任せして
私は 私の言葉を 歌うことを 始めましょうか
文体は人格 魂の声の響き 
源氏物語においても そうだった
枕草子の 明るく かわいい声が 懐かしい
私におきましては あらゆる謎が 解かれました
晴れて 自由 と なりました
自由の歌を 歌う 時節です
言論の自由です 何を言っても良いのです
恣意的中傷誹謗 で なければね
公の真実であれば どこまで 云ってもかまわない
それが 言論の自由です
それを あたたかな 言葉で 表現するのも良いですね
言葉には 周波数があるのです
神仏宇宙自然生命黄泉祖先 と 同調する 言葉もあるのです
それが ロゴス です
しかし だれもが その可能性を秘めているのです
すなわち 言霊 さきわう 國 日本
言葉も 二千年も経てば 命が やどるのです
この事実 真実 大切にしたいものですね
おだやかさの 中で 幸せに 生きる 自由
みなさんの世界にも 開けますように
そのためには どうするか
戦後の方法論は 悉く 失敗に 帰しました
古来日本精神に 謎を解く鍵が 秘められています
日本は この種の 宝庫です
見直したいものですね 自然四季に満ちた ほほえみ世界 日本
やさしさへ 向けて 花咲く 日本
日本発見 新しい 時代の 始まりですね

Welcome to Japan !
かつて 静かに しかし 確かに テイク・オフ との 号令があった
覚えているだろうか
そして おだやかに 離陸した
時代は 静かに 満ちている
面舵は いっぱいに 切られた 
これより 方法は なかったからである
400年周期説に基づく 時代の大変換は
成功裡に推移している 知るものは知る
この時と潮に 乗るのか それとも 流されるのか
それぞれの 選択 ですね

私が 自由を得たことで 祖先たちも 成仏したことであろう
天でごはすよ 人生は 田原坂 『天』という歌が流れている 
枉げて通れぬ道がある と

(NHK-AM 2006/06/28 12:50pm)


2006年06月27日

自由について

自由というとき、何を以って自由というべきか。キャプテン・ドレイクによるアマルダ海戦の勝利が何をもたらしたか。イギリスにおいて、ピューリタン革命・名誉革命を通して、それは、フランスの市民革命に至った。ここで市民の解放があった。その間、アメリカにおいて、 リンカーンによる奴隷の解放があった。そして、現代において庶民の解放がなされつつある。貴族の間で、たとえば、 さまざまな絵画は寝室において自由であった。それらの特権が解放されていく。時代の流れである。 人間が本来求めていたことが実現されていくのである。政治は人間の欲望の現実化と定義される。何が言いたいか。 時代の流れがある。どこへ向けて流れているか。たとえば海へである。人間の欲望が解放されつつある。それで良いと思う。しかし、 犯罪化傾向は厳しく取り締まるべきである。たとえば、ハンセン病も克服された。精神の病気においても、善玉と悪玉がある。 人間の欲望の解放がすべて悪いのではない。それが、人間の求める幸せの形であるならば、実現しなければならない。しかし、 何事も証明を必要とする。そうしなければ、定理として使えない。証明できる人は限られている。神を証明する人もいる。 精神の病気の善玉・悪玉を証明する人もいる。あたかもジェンナーである。経験を通して証明する。一番槍である。それで、 個々のタブーが破られる。その証明は千尋の谷の一本の丸木橋に等しい。勇気を要する。誰かが渡る。その後で、 みんなが渡れるようになる。今、明らかに、世界は、ひとつの理念として、民主主義を選択している。 その過程で進むべき道を模索している。自由であって良い。平等であって良い。何を以って平等であるか。 特権の限りない庶民化である。いわゆるアダルトもその例外ではない。しかし、運用は慎重を要する。この件に関しては、大人に、 厳格に限定されるべきである。個人の責任を自覚している者に限る。教育の問題が遅れている。 日本の精神の清浄な価値は価値として遺す。しかし、世界の歴史の流れは受容する。難しい運転である。犯罪としては取り締まる。 人間の自由の解放は流れに任す。強制しても無理である。しかし、そのスピードは制御して良い。 運転能力のない者には制限するべきである。この意味、わかるであろうか。そのように思った。具体的には、 権利としてのプライベートの確立である。プライベートにするべきものを決める。そして、大人と子供の峻別である。 蓋をしても蒸気は漏れる。密閉しては爆発する。このあたりの常識化である。時代の流れを正確につかむ必要がある。 時代は流れている。その流れを知るには源泉を知る必要はある。しかし、人類の歴史はすでに下流まできている。 かつての特権の庶民化であると思えば、考え方はシンプルとなる。自由であって良い。但し、時代の流れにおいて、 尚早であることもある。麻薬などはその例である。あくまでも、目的はくらしであり、人間の幸福である。 社会生活において害悪は厳重に排除する。人格形成において大切な価値は価値とする。昼の社会と夜のプライベートの峻別をする。 社会のリーダーに対して、敬意を表する。自由の運用は慎重にするべきこととして慎む。少なくとも、公の電波等では慎む。 それに対して、タブーとしての道徳的規範を見直す。或いは払拭する。西洋の流れに学びつつ、時代の流れを正確に把握する。 そして、現代の在るべき文化を推進する。それで良い。そのように思われる。文化的社会の涵養が大切であり、その意味で、 過剰な経済至上主義は反省が必要でしょうね。人間の幸せは、お金ではないのは、昔より明らかなのだから。人間はパンのみにて・・ ・を待つまでもなく。精神の力を、ここで、思い出して、そして、新しい自由を実現することで、 良い社会を復活できるように思われる。もはや現実を古い道徳で縛ることはできない。幸せは、心の交流の自由であり、関係である。 ここを忘れていた。良い方向へ。この基盤を得て、健全な欲望実現のための裕福さの追及は良いことだと思われる。これから、 人格としての善悪の色がはっきりしてくる。今まで、十把人辛げに悪としてきた中にも善玉があったことがわかってくる。 文学において芸術性があれば善であることも、もっぱら傾向犯的であれば悪である。ハッカーとクラッカーの差に等しい。 見極めるべきはここである。本来の自由を求めているのに、蓋をすればどうなるか。社会政策の課題であるように思われる。 社会が健全な欲望実現のシステムを保障されることで、デフレと犯罪化傾向の問題の多くが解決できると思われる。しかし、 理想的には、やはり、根本は心のあり方である。だが、心の地平に至ることは、まだ、当分、現代社会は、時間がかかる。因って、 理想へ向かって、この現実で何をするべきか。時代の方向を正確に見極めることである。人間の願いは何か。しかしこれらの自由・ 欲望は何故縛られていたかを考えると、その取締りは、厳格でなければならないでしょうね。自由・欲望を手に入れるということは、 その運用において、その当事者は、より責任を持たなければならない。他者に対して、あるいは、 社会に対して害悪となる可能性を、 必然的に内在しているから。今までは過渡期だったから、あいまいな部分が多く、 被害もあった。ここで、基準を決めて、 社会として、そして、その中で暮らしている人間として、自由・欲望においても、 安全を得ることができると思われます。そして、 本来の幸せを獲得できますね。(ところで、多くの道徳について、本来、 女性はあまり重きを置いていない。むしろ、 生命の存続を無意識に願い、あるいは知っている。その意味では、当然、嘘もつく。 しかし、それ故に、 生命が持続するということがある。道徳よりも、生命にとって必要なことを知っている。生きるということが、 どれほど、 ある意味で残酷であるかを本能的に知っている。だから、ゲイ現象も起こってくる。 社会的に安住してきた男性にはわからない論理がある。)


2006年06月26日

一大事畢了

ありのままで 生きてゆける
何も 無理をすることはない
どうして このようなことになったのか
常に 理想を 求めていたのか
それもあった
さて 力を抜いて 
生きてゆけそうだ
やっと 求めていたものが 
手に入った
この世の 制空権である
それ故である
生まれた時から 一人で 
戦っていたようだ
何とだっただろう 
祖先達の無念をはらすため
であったのだろうか
一身で背負うには 重すぎた
何時の頃からか 明治をなきものにする 
と 思っていた もう それさえも 
忘れようとしている
過去は 乗り越えるためにある
この度の作業を始めたのは 
昨年11月26日だったろうか
まる七ヶ月 要した
時をかければ 夢もかなう
秀吉の三夜城ではないが 
この城 落とせないでしょうね
守備は 宇宙自然生命黄泉祖先 
鉄壁である 万軍の主も味方についた
日月照らし 風が吹く
砦は城塞となった

始まりは生まれてからのことだった
どうも 予定されていたらしい
そして 突貫工事が始まったのは 
七ヶ月前だった
いつまでも 暗中模索していた
何がしたいのか 明確ではなかった
何時の頃からか 神及び黄泉が 
手伝ったようだ
導かれてのことだった
いつの間にか この 城塞が 
できあがった
できあがったとき 自分自身に 
気づいた
孤軍奮闘していた頃が 懐かしい
生まれた使命は果たしたようだ
これで 重荷を 降ろす
会津 白虎隊は 生きていた
その 無念は 晴らした 
黄泉の國にて その敵は討った
ように思っている

少し 疲れたようだ 
何度か命を落としかけた
よくぞ 戦い抜いた 
捨て身となって 最終突破 三方原となった
横須賀には 原子力空母ジョー・ワシントンも配備される
しかし 何もかも 失ったと思ったら
黄泉の守護のあることに気づいた
これで 大安心を 得た
一大事畢了である


戦いは終わった
これより 私の戦後復興である
しかし 独り相撲だったのかも 知れない
今となっては 何もかも アブザード
これより 気楽に生きるしかないね
十分に これまで ひとり 生きてきた
自己開発は 果たした
精神世界は 制覇したよ
そう思っている

読むものがなくなったら 
書き始める
吉田健一氏が云っていた

それだけの ことはしてきた
見てきた と 思っている
いつも 時代の声を 聞いていた
スタンドバイミー

いつも 黄泉から 見護られていた
この実存を 伝えることができると
いいね

確かな 経験的幸福論
伝えておきたいものがある

身分及び組織に安住するものには
決して わからぬ
ほんとうに 強いということが

腐敗の中で見失われた
卑弥呼の系譜 法華経 宿王華
尊祖父及び祖父直伝 Japan 純粋精神

すなわち 身心清浄
のこしておきたい ものがある


21世紀幸せ研究所設立

長い旅だった
何がしたいのかわからないままだった
しかし ここに至って 見つかった
自分のほんとうにしたかったこと
すなわちそれが 幸せ研究所
十分に読書した
十分に思索した
十分に修行もさせて頂いた
そして 見るべきものは 見た
得るべき チカラも 得た
自分が 何者かも 知った
それで 設立である
21世紀幸せ研究所

少し 疲れたようだ
身も心も 限界だ
しばらく ゆっくり しよう

もう ゆっくりして 良い と 思う
長い 旅だった


思ってみれば

これでよかったのだろう
すべては恵まれていた
これ以上ない ものを 持って 生まれていた
しかし 時は 無駄なように 過ぎ去った
その間 何を見てきたか 何をしてきたか
夢のようである
およそ 不思議な経験を 体験している
今となっては すべて 夢だった
まるで 倩女離魂 だった
しかし これで よかったのだろう
夢は 成就した

おそらく この世で 最高の チカラ を 得た
それは 今更 云うべくもない
大きな 犬をも ふるえあがらせる チカラ である
台風をも 制御する チカラ である
しかし もはや それを 行使 しようとも 思わぬ
その他 いろいろな 事を 見た
橋のたもとで 目の前に 獲物を鷲づかみにした 大鳥が 舞い降りたこともある
山道に迷ったときには 鳥が 導いてくれた
確かに 真実真理 と 邂逅した
この 事実は 事実である
そして あらゆる 謎が 解けた と 思った

汝自身を知れ の 汝とは 自分自身だった
これで良かった のだ と 思う
今 思ってみれば すべては 知らしめんが為に で あった
何を知らしめんとしたのか
自己自身を である

その 自己自身 とは 何であったか
もはや 秘密である 

仏法は 王法に 合し 王法は 仏法に 瞑した
外は 雨が降っている 強いが やさしい 雨である
京都を旅行したことがある その時も 雨が降っていた
細くて 長い雨脚の 絹の糸のような 密度のある 美しく やさしい おだやかな雨だった
京都嵯峨野大覚寺あたりのことだった

いつもの ポプラ で お酒とおむすび を 買った
お酒は ブラックニッカ 180ml 299円 父の好きだったラベルである

さきほど 東北地方で 地震があった 津波の心配はないという

(2006/06/26 3:32am NHK-FM  加藤登紀子 『愛の賛歌』 『バラ色の人生』(1946) 『愛しかない』 を聞きながら)

and now all is good from now on I would like to live my own way and my true life certainly.

午前3時45分 広島 呉 に 大雨洪水警報発令 とのこと 24時間に雨量140ミリに達するおそれがあるとのこと 3:52am 風はない 今日の仕事のために眠ることにする good night


人の花

人それぞれの顔がある
それぞれの花を咲かせている
いい目をしている人がいる
邪悪な目をしている人がいる
目を見ると およそ 見当がつく
詐欺恐喝師の目は詐欺恐喝師の目である
どのような目をしているか
邪悪な目である 虹彩がない
人を見るときは 目を見ると良い
信ずるに 値するかどうか わかる
しかし いい目をしていても
話してみると さほどではない人もいる
騙されないことだ
騙さば 騙される
人為には 勝てない
信用しすぎないように
善人に見えても エゴであるのが 人間である
自分の利益のために 生きているのが 人間である
しかし ほんとうに 良い人は いる
人は 信ずるに 値する
そのような人に めぐり逢いたいね
そのような 縁の中で 暮らしてゆきたいね
人の姿をしていても いろいろ である
蟻もいれば 蛇も いる
人間観察の妙 また 楽しからず哉

人に 迫力がある 
本気になったときに それは 現れる
本気になって どれだけの チカラがあるか
神仏をも動かすチカラがあるかどうか
およそ 人格の差がある
はじめより 勝負は 決まっている
暴力では どうにも ならない
知力の差が ある
小手先ではない 神仏の守護を得た 知力がある
これを使えば あるいは 使わなくとも
黄泉は見ている そして 助力する
神通力 あるいは 如来の神力 は ある 


みんな幸せを求めている

この世に生を受けて みんな 幸せになりたい
過去から 代々 幸せを 望み 目指してきた
しかし 悲しい現実
これはね 過去を清算する必要があるのだね
つまり 発生段階において 形態的に アメーバから 
過去の姿を 経由して 人間となる
人間となってから  心の問題としても
過去を通らねばならない
そして 多くは その過程を突破できない
悲しみの過去に とどまる
悲しみの過去を 突破するにはどうするか
身心清浄 すなわち修行
過去を乗り越えると 幸せの大地が 広がってるよ
こころにおいて 過去を乗り越える
そのためには 勉学と努力 だね
申し訳ないけれど 知性だね 感性だね
ひとそれぞれに 持って生まれた差はある
しかし それぞれに 幸せの 可能性がある
平等即差別だね
このあたりを無視して なお 好き勝手している
こころは 過去のまま
幸せにはなれないね
幸せの条件 わかってもらえたかな
みんな 幸せへ 行ける
だから そのために 選択の自由として 保障するべきものがある

究極の強さは 神仏に守護されること
さて 開発し 発見した 魂の周波数がある
これをもって如何せん 
一隅を照らす すなわち この周波数を 伝搬する
そのために 存在する 勉学する
それが これからの 仕事
自覚ありて 風の吹く 日の照らす
真実を 伝えん これからの 仕事として
あるべき姿を 確立せん 思いを 形とせん
世界は待っている みんなの 喜びの姿を
喜びを 恵まん 恵む人は 恵まれる
愛する人は 愛される 自分次第だね
周りが幸せであると その中の自分も 必ず 幸せである
素質と環境で人格はできる
環境とは エーテルのように 周囲を満たしている 霊達
良い霊と 仲良しになりたいものですね
周囲を 楽しい霊で 満たしたいものですね
目指すべきは 人格の形成
幸せも その人格を好きになってくれる 霊達の 成せる業
自然に好かれる 宇宙に受容される 守護される
それは 過去の 霊達に 認められることかも知れないね
そして 自己の魂を 育成していく
良い人格となって その人格を 魂に託して 未来へ つなげる
ただ それだけのことだよ 人生は
生まれてきた使命は これに気づき 幸せとなることだよ
なにも 心配することはない 
気づくまでの 試練だ
気づけば 幸せ世界が 広がっている
自分の力で成就するものなどない
自分の力で為すべきは 人格 品格 の 涵養と 維持だね
それを 忘れて 何をしても 悪の結果
そろそろ 気づくべき 頃だね 21世紀の意味
やさしさで すべては 解決する方へ
そのための 勉学 努力 大切にしたいね
おだやかさへ シフとしたいね
開発するべきは こころ 自己 

こころの開発は 最も おくれて やってくる
現実の悲しみを 勉学 努力で 耐えて 乗り越えると
やがて その存在は 天界へ 引き上げられる
それが 幸せの形である
そして その後の人生の展開となる
天下をとるとは この展開へ至る 過程に過ぎない
天下を取るとは 自己の悪性を精錬して 焼き尽くし
神仏宇宙自然生命に受容され守護されることである
万軍の主も味方につく 思いは黄泉が助力し 実行し 実現する
このメカニズム 宇宙自然生命の真理真実であり 秘密です
自己の魂が 至って 開示される
すなわち 如来である 如来でなければ如来はわからない
如来の地図が 法華経
そこで 伝えられしは 一切種智慧 と 宿王華
宿王華開花 の 時節です


(2006/06/25 8:11 NHK-AM ビーバー作曲の音楽『ロザリオのソナタ』『ラメント(嘆きの歌)・・・キリストの御心が実現されますようにと主に祈るその情景を託した歌・・・切々と悲愴なメロディを奏でる』を聞きながら 彼はバッハ及びヘンデルより40歳も先輩 この頃から宮廷音楽はあった 2時間にも及ぶ大曲 キリストの運命を見守るマリアがモチーフ 深くて清祥な祈りのような音楽 音楽として悪性が精錬されて結晶した宝石のよう[ヨウは尊祖父千畝の妻の名] モンテベルディの和声を思い出しますね・・・清祥な音楽に触れてその周波数で魂は浄化されるのですね・・・良い朝です・・・良い傾向です・・・世界はかくも美しい至宝で満たされている・・・NHKさん いつも ありがとう ・・・フィナーレはパッサカリア メロディが六十数回も下っていく その度に変奏がある ・・・一曲の音楽は一個の存在の人生の情景と表現ですね・・・表現の自由はこのためにある・・・すなわち芸術目的的行為人格形成人生論)


2006年06月24日

人格と感情のメカニズムについて

この身体は 器としてあるのだろう
この身の回りは エーテル状態の 霊で満たされている
それぞれ DNAにおいて 受けとしての属性があるように
それぞれの 魂において 受けとしての属性があるのだろう
その受けに対して 身の回りを満たしている霊のどれかが入り込む
魂と霊との合体だ その時にオーラもでるのだろうか
オーラは 覚醒したものに 出るのだろう
そして この合体を通して その時々の人格あるいは感情となるのだろうか
多重人格も それで 理解できる 魔が差すということも
それぞれ 持って生まれた受けとしての属性があって その意味では
生まれながらである つまり決定論的である
しかし 外部からの霊に対して その霊は 器としての身体の中を 往来していて
その中から 自ら 受けとして 相手の属性を選ぶのだろう
この意味では 自由意思論的である
やはり 選択において自由であり 自己責任と言える
しかし この人格及び性格メカニズム理論 正しいかどうかはわからない
ただ このように思えば 一個の人間の 時々の 穏やかさと 激情を 理解できる

結果に対しては 結果無価値的責任と行為無価値すなわち道義的責任と 同時に問われる
ところで やはり やさしくありて すべては 解決するね
それまでの 厳しい修行的人生である あるいは 勤勉である
いつまでも そう真面目である必要もない
己が自信を得て 己自身を自覚すれば 修行は終わるね
要は 自己責任の原則の下 他に迷惑をかけなければ 何をしてもいい 
常に焦るべき事は何もない この世に あるのは 本来無一物
ここを知って 現実に 対処する
これが 個人自由主義である だから 起こった事実に対しては関与責任がある
他に迷惑かけなければ あとは 気楽に 思うままに 生きるがいい
自由の定義である ここを キリストは 自分の欲しないことを 他人に施すことなかれという
ただ 子供達に対しては 選択の自由を 保障するという意味で 保護する
それが 本来の 成人ということだよ
様々な人間がいて良い 結果の悪に対しては処断する

目覚めているか あるいは 目覚めていないか だね
目覚めていれば 何をしても 善だ
目覚めていなければ 何をしても 悪だ

目覚めて 事を為せば 何事も 成就する
仕事そのものが 喜びとなる
存在そのものが 祝福となる
いつまでも あくせくして お金の奴隷となることはない
極論すれば お金はなくとも 生きてゆける
鳥のように 花のように

自己を修養する それは むしろ 
自己のマイナスの属性を払拭する作業となる

人生は 喜びに満ちている 笑う門には福来たる
神に 祝福されているのかどうか
神は 自然である 自然の守護があるのかどうか
人間の作為には 人間は勝てない
騙さば 騙される
真実真理神仏を知らず あるいは 無視及び愚弄して
騙して 勝ち組などと 決して 言わせない


地の塩としてのやさしさ

一隅を照らす ということがある
天台大師の言葉だったろうか
天台大師は弘法大師に密教を教えてもらった
しかし とうとうわからなかった
夏目漱石は円覚寺で坐禅した
しかし 悟りには至らなかった
則天去私はわかった

悟りとは カクネンムショウ
すなわち 日月照らす 風の吹く
大自然の守護を取りつけて 悟りです
本来の天下を取るとは これだったのです

しかし 現実生活においては
そのようなことも どうでもいいのかも 知れない
ただ 楽しめばね 

さて 地の塩 としての やさしさ
その人の 持った周波数だ
その人が 存在することで 周囲が なごむ
その周波数で 花を 育てる
子を 育てる
その周波数が 縁だ
その周波数が マントラ 真言だ
宇宙自然黄泉の 周波数だ
だから チカラ ある
こうした 秘密が 古来 ある

さて 地の塩としてのやさしさ
宇宙自然生命の不思議
大切にしたいね

わかってくれるだろうか
もう 一つのことしか云っていないね
実真理は一つだね
この一つ なかなか 手強い
つかめない
真実真理の証明はね
日月照らす 風の吹く
この体験が つまり 隻手の音だよ
あるいは 歩々清風 独坐大雄峰
知ったというなら 証明してみると良いね
奇跡が 奇跡ではなく 事実であることを

そして 何でもするがいい 何でも言うがいい
それが 自由

こころが そのまま 宇宙とリンクしてるよ
探索するべきは こころだね やはり
あらゆる 芸術も こころの 表出
21世紀 こころの大地は 開かれました
人類において 無限の可能性が 発見されました
掘るべきは こころ 無量の資源の 宝庫です
あらゆる可能性は 自己の中にある
この宝 取るにどうするか
自己との戦いをする 自己と対峙する
自己の本体は何であるか
代々の営みが 英知として
蓄積されている

やはり 勉学は 必要だね
要領だけで 他を犠牲にして 自らの地位を築く
そして自分たちだけの利益を追求する
そうした方法論は終わったよ

すでに 21世紀 情報理論(二進法)の世界である
二進法 つまり 善 あるいは 悪
すなわち All or Nothing !

人間として自由を求めることは
正しい
しかし その自由が 
人間の魂のレベルからすると
後退しているのではないか


2006年06月23日

魂の到達(NHK-AMメモ)

本来の自分に気づくことだ
自分は誰なのか
考えが世の中についてゆけなくなる
自信を失う
身体が衰えていく
しかし変化しない永遠のものがある
世の中は変化するものに執着している
変化しないものを
ひとつひとつ味わって手放していく
そこに小さな悟りがある
押してもだめなら引いてみる
人間関係もどうしたらよいのか
わかってくる
どのようにしたら幸せになれるのかも
たくさん知っているわけでなくとも
わかってくる
一つの最高の体験をしているから
すべてわかってくる
人間の本質 存在
体験して知る
それがサマディ 悟り エンライトメント
向こう側の自分になる
魂の到達
煩悩を超えて 深い静寂の中へ
至高なる存在となる
色々なステージがある
すべての煩悩を焼き尽くして
本来の自分となっていく
どこからも邪魔されないで
瞑想していく
執着して こころが こだわっている
スイッチをオフにする
気をつかう 頭をつかう
それで 寝ても夢を見る
日々 本来の自分を覚醒している
深い眠りが来る
覚醒がポイント 眠っていてはだめである
五欲から 自由な人になる
こころが 自由になる
こころが 解き放たれる
何事も 心配しないことが
何かを 成し遂げる
心配していれば
全力投球のつもりがしていない
事は成就しない
今までの価値観がブレーキとなっている
心が解き放たれていれば
目標を定めたとき 100%のチカラとなる
無心であることの大切さを
わかっているのだが 実行できない
日々 無心となることを 練習する
それはこころと身体のバランスとをとること
身体がととのうことで こころも ととのう
見えない存在 大いなるチカラ
これを信じる 
信じるとは 疑いがないこと
最高に価値があることがある
身心を清めて
自分のことについて 誰も知らない
自分を知り 外を知って
最高の人になる
教えは 一万年以上前からある
実践の行をして 自分となっていく
宇宙に満ちているエネルギーが
自分の中にある
それに目覚める
大いなる神
その分身としての自分
そこに 帰っていく
土から水となり火となって風となり空となる
自然のプロセスである
自分の中にあるもの
その一つを味わって超えていく
また一つを味わって超えていく
最後に空となる
すべてを産み出すチカラが
自分の中にある
不安 知識 価値 勝ち負けの心 で暮らさない
心をつかうと いいこころでも 疲れる
いい人になろうとすると 疲れる
強制されない自然がいい
最終的に何が大切か
ただ気持ちよいだけでは 堕ちる
覚醒していること
パワフルなチカラ 光 あるいは 音 マントラ
ヒマラヤの聖者アリババが
日本の人にサマディを伝えるように言われた
苦しみから解放されること
社会生活をしながら瞑想をしていく
煩悩を破壊するチカラがある
真言はマスターからいただくと チカラがある
言葉の波動 スートラ
秘宝として伝授
出家 社会的煩わしさがなくなる
皆を導く尊い方に施し 功徳となる
福が来たと 施しをしてきた
人生の目的は何か
心の総合ケアとして 心を清めること
年寄りを大切にすることで
老人問題はなくなる
一般の人は修行に入れない
愛が大切となる
聖者に学ぶ
他人に施す 助け合う
ビジネスに成功した人は
高いところから眺める
得たものを皆に分配する
身体の弱い方
自分自身が素晴らしいことに気づく
やさしさ
大いなるもの 神から与えられたものがある
すべては 学びであることを知る
深呼吸を何十回かする
身体の毒素を吐く
こころのストレスを吐き出すつもりで
呼吸を見つめる(5分)
悩みの方へ行かない
色々なことに感謝する
見えないところからの恩恵に対して
自分にそぐわないことは 警告
自分の間違いに 感謝する
気持ちが切り替わる
自分の過去の経験に 嫌なことがある
感謝することで
自分のこころに 新しいエネルギーが
充填される
何を選択したら 気持ちいいのか
エネルギーを消耗しなければ 楽
心配しない 
子供のことも 信頼して 見守る 見つめる
いい波動エネルギー
信頼エネルギーは 信頼エネルギーを 呼ぶ
変えようとしても 良いものは出てこない
暴力性を呼び出す
自分の発する 良いもの それが愛
あるがままを 受け入れる
自分を卑下しない ジャッジしない
すべては 学び そして 出会い
色々な自分がいた だが
自分が解放されて 楽になる 自由になる
感謝して ゆるしていく
深呼吸して 冷静になる
そして 話をしていく
人を傷つけることがよくない
すべては 愛である
自己防衛で 人を 悪く言う
人は皆 内側に 素晴らしいものがある
例え いじめられても ゆるしていく
バランスが大切である
身体のバランス こころのバランス
人のいいところを見て 信頼していく
相手の中にも 純粋性がある
自分が良いものを出すと 相手も出してくる
疑いと不安からの解放
自分を信じる 信頼する
日々 感謝して 生きる
見つめること 高度な覚醒である
無知ではできない
瞑想して 楽になる
ゆとりをもって 立ち止まる
瞑想しても がらくたばかり出てきては 落ち込む
身体から入るヨガがいい
身体がバランスがとれてくると こころも安定してくる
楽しく スポーツするのも 良い
心をこころにしていくこと 難しい
こころと身体をととのえて
本来の自分と出会い
こころのしがらみから 解放されて
自由となる
休むときには 休む
無駄にエネルギーを漏電しない
アンバランス エネルギーの浪費 から 迷いへ入る
ある日突然 悟りが来る 導かれている
信頼は大きな力を持つ
信仰することで 神からパワーをいただく
あちらこちら掘れば 自然地球も くしゃみする
何事も冷静に受け止めていく
悪い方へ行かない
自然治癒力 生命力
何事にもとらわれない 自由の人
愛に満ちて 楽に 生きていく
蓮の花は 泥の中にあって 泥を超えている
あなた自身が素晴らしい人間である
愛と生命力がある
神すなわち無限の命から与えられた存在である自分
に気づいてそれを信頼して生きる
無心 エンジョイ 力強く
心が平和で 調和がとれて 幸せの人