2005年12月24日

英知に乾杯!

「夫れ法華経巻第七神力品に云わく。『要を以て之を言はば如来の一切の所有の法。如来の一切の自在の神力。如来の一切の秘要の蔵。如来一切の甚深の事。皆(此)の経に於て宣示顕説す』等云云亦普賢菩薩行法経に云わく『(此)の大乗経典は諸佛の宝蔵なり。十方三世の諸佛の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり(此)の経を持つ者は即ち仏身を持ち。仏事を行ずるなり。』等云云。亦十功徳品に云く『(此)の経は能く是くの如き無量の功徳不思議の力あつて衆をして疾く無上菩提を成ぜしむ』等云云眞の佛法を求め学する者は権実の二法の名を知らずして佛法を学したとは云はれない。たとゑ二法の名を知って居ても、(此)の経たるや何んであるか知る由も無くいたづらに時を過せり、・・・」(『一説妙法』南無平等大慧一乗妙法蓮華経(1)より)

この人生はありがたい、もったいない。このような宝があるというのに、何を以て、世間一般人生、経済行為と動物行為とのみに走るのであろうか。愚かなること限りなし。五欲を断ぜずして、仏の知恵=さとりを獲る、これ、究極、人生の目的、使命(生まれてきた意味)。極楽三楽、確かにある、須彌山。されど、自分解釈身勝手で、感謝なき輩、地獄を彷徨う。自信のなきことその證明なり。自分は正しい、と言い切れるか。キリストは言い切って十字架に架かった。

さて、人を喜ばすと言ってお笑いしても、その精神の傾向に於て、神仏は悲しんでいる。「精神的向上心のない奴はバカだ」と、すでに、漱石が『こころ』の中で言っている。精神的向上心のない文化を増長し、低いレベルで自己満足しているだけではないだろうか。自分より上の価値は見えまい。結果、日本の資質を落とした責任がある。衆愚と結果その助長は罪である。出版社におけるパーティで主賓は漫画家である。文筆家が末席である。どう答弁できるだろうか。しかし、悪人正機説。善人なおもて往生す、いわんや、悪人をや。平等は神仏からみてのことである。上から見れば、善人も悪人もない、人間である。現代芸人の過失は、謙虚さを失っていること、すなわち、恥ずかしいことをしているという意識をなくしていること、むしろ自己主張していること。善人は、名を以て、世の中を生きる。惜しむべき大和心の傾けるこの身賭して也護る人有る。高貴なるかな古のこころふたたび大空舞うを見む。

日本国民ひとりひとりが、今ある地点から、ほんの少し、意識を高める。一度高めたとする。全体としては一億度。灯が点る。あるいは、それぞれが、方向を意識する。意識の合力が浮力となる。大和は浮上する。怖れることはない。疑うことはない。すでに、諸佛諸天善神の体験的実証済みの手段である。過去に於て失敗も確かにあった。しかし、今、システムが違う。信頼してみようよ。英知に乾杯!